2013年12月29日日曜日

人々に知らせた

[聖 書]ルカ2821
[讃美歌]21-194、旧-74、21-268、

 

11月に江別教会と交換講壇を致しました。そのとき週報を頂き、拝見しました。

竹井先生は、小樽教会にいた時の慣わしを、ずいぶん残していらっしゃるようです。

その一つが、教会暦を用いた各週の呼び方です。降誕節のような呼び方です。

教団が棄ててしまった古い呼び方を、ローズンゲンを採用し、利用しています。はるかに多くの教会、教派が用いているからです。プロテスタント諸教派の伝統を共有したい、と願います。とりわけ三位一体主日を用いておられました。教団の出版物では、聖霊降臨節となってしまいました。

私も古い教会暦を用います。私は、ローズンゲンには馴染みがありません。そこで、自分なりに週数を数えて、計算し、割り出しています。竹井先生のほうが、はるかに合理的、効率的です。

 江別教会では、もう一つ古いものを用いています。古い教会行事です。

たとえば、九月第一主日は、振起日・総員礼拝日、十二月最終主日は歳晩礼拝と呼び、31日夜には、歳晩祈祷会を行う。一月一日は、元旦礼拝。第一主日を新年礼拝、その週には初週祈祷会を行う。こうした慣わしは、異教社会で伝道した明治期の宣教師たちが、日本社会の慣習から日本人信徒を守るために考え出したものでしょう。

 

 

本日は、天使の羊飼いたちへの告知の場面、割礼と命名の場面の記事を読みました。

羊飼いの礼拝、天軍讃美、宮詣などとも呼ばれる事のある有名な箇所です。順に読んで行きましょう。

 

「ベツレヘム」、エルサレムの南7キロ。ナザレからは120km。一里・四キロ・一時間、一日8時間なら36km。四日間の旅路。5時間なら20キロで6日間。

その意味は「パンの場所」、ダビデの出身地、ラケルの墓(ラマト・ラヘル)があり、ラテン(ローマ、西方)、ギリシャ(正教、東方)、アルメニア(コプト?)各教派の僧院に囲まれるように聖誕教会が建っています。

また、救い主の預言で知られます(ミカ5:1)。

エフラタのベツレヘムよ  お前はユダの氏族の中でいと小さき者。

お前の中から、わたしのために  イスラエルを治める者が出る。・・・

彼は立って、群れを養う。主の力、神である主の御名の威厳をもって。

彼らは安らかに住まう。  いまや、彼は大いなる者となり  

その力が地の果てに及ぶからだ。  彼こそ、まさしく平和である。」

 

10節、10節で、天使は羊飼いたちに言いました。

羊飼いたち、彼らの中から王が生まれた。古典ギリシャの時代。ペルシャ。ダビデも。

しかし、この時代には、その栄光は、すでに彼らの上にはなかった。

貧しく、身分は低い。そして粗野かもしれないが正直であり、熱い気性の羊飼い。彼らの仕事は危険に満ちていた。託せられた弱い羊たちを守るためには、命を懸ける準備が出来ている人たちだった。そのためには、モーセ律法を一点一画までも守ることは断念せざるを得なかった人たち。

 

何ら誇るものを持っていない故に、彼らは選ばれました。

神の独り子イエスにお目にかかり、讃美するために。彼らは召し出だされました。

世の中には、知恵ある者、賢い人、有能な人はいくらもいます。選ばれたのは、彼らではありません。蔑まれ、軽視され、侮られていた羊飼いたちが選ばれました。

 

彼らが招かれたのは、神の国の招待客名簿にある貧しい者、体の不自由な者、目の見えない者、足の不自由な者の中に彼らが属しているからです(ルカ141314)。

そして、その故に、羊飼いにして真の王であったダビデに結び付けられています。

「恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」

 

天使の最初の言葉は「恐れるな」。

これは、降誕物語全体に流れ、響き、轟きわたる言葉です。恐れるべきことがなければ、この言葉は不要です。恐るべきことが充満しているからこそ語られます。私たちが生きる現代と2000年昔とをつなぐ言葉です。

この言葉によって、羊飼いたちの時代と私たちの現代が、共に恐るべき状況に置かれていることが露わになります。

メー フォベイセ、フォボス、フォブーマイ恐ろしい、畏怖する、こわがる、

 

羊飼いたちは、出かけました。羊はどうしたのでしょうか。放牧地の中に、夜の間、羊を護るための囲いがあり、そこに残しておいたかもしれません。連れて行った、とは考えられません。この御告げは、すべての日常の事よりも大事である、と感じられました。

したがって私たちは、福音を告知し、福音を聞く礼拝を重んじます。自分のその時々のご都合によって変更したりしません。

 

「民全体に与えられる大きな喜び」は、与えられた仕事にも増して重要なことです。

私たちは、多くのものによって、捉えられています。聖書は、悪霊に憑かれている、と語ります。たいていは心身の病気です。原因も治療法も分からない時、古代人は悪霊の働き、としました。独裁者の恣意的な決断によって、人生が全く変わってしまう事もあります。

政治、経済、法律、教育、医療、その他多くのものが、私たちひとりびとりに関わり、支配拘束し、人生に干渉してきました。多くの悲しみが生まれました。救いとは、私たちを拘束・支配する諸々の力からの解放です。癒し・解放・救いは同義語です。大きな喜びです。福音書記者も、そのことを感じ取って、羊の事には触れません。関心を寄せません。

 

14節は、天軍讃美です。

『いと高き所には栄光、神にあれ、  地には平和、御心に適う人にあれ。』

これは、179の預言の成就を先取りしているようです。

『暗闇と死の陰に座しているものたちを照らし、  我らの歩みを平和の道に導く。』

時代の戦いと困窮のさなかで平和に取り囲まれているのです。

19391225日、バーゼルでトゥルナイゼンが説教。ミュンスター教会

第二次世界大戦は、193991日、ドイツ軍がポーランドへ侵入したことによって、始まったとされる。その直前823日、秘密条約を持つ独ソ不可侵条約が締結されている。

1940年にノルウエー、ベネルックス、フランス等を次々に攻略。戦火は拡大され、全ヨーロッパが暗澹たる空気に包まれた。

 

さまざまな伝説を、優れた絵画・芸術をいっとき、忘れようではありませんか。福音書に書かれているのは、ごくごく貧しい普通の若夫婦の出産の物語です。何の飾りもなく、必要と考えられる照明器具さえなく、忙しく立ち働く人々の姿さえありません。ルネッサンスの輝きはどこにもありません。クラドックは書いています。

「厩には何の飾りもなかった。しかし、神の栄光がこの物語には溢れている。」

御使いガブリエルの言葉に聞き従ったマリア、彼女を守り、ベツレヘムへ伴ってきたヨセフ。この二人が、この家畜小屋にいる、ということは、まさに奇跡です。ここには神の栄光だけが輝き、平安が満ちています。

 

イエスと命名します。ヨシュアは「救い」を意味する。

ギリシャ語、イエスースは「ヨシュア」と「イエス」の両方を指し、ヘブライ語の「ヤハウェの救い」の意ともとれます。

何よりもマリアは、懐胎告知がされたときの敬虔な信仰。御旨に対する従順さを持っている事をこの名によって思い出しているだろう。

 

八日目になされた割礼。命名と一体となり、唯一の神ヤハウェの民として登録されました。マリアとヨセフ、彼らは、モーセの律法に従順なユダヤ教の中でももっとも厳格な人々の一人であることを示しています。嬰児イエスも、このユダヤ人のひとりとなりました。

御旨に対する従順さが示されます。

 

ルカは、この降誕物語によって何を伝えようとしているのでしょうか。

神の言葉、計画、御旨、秩序は成就する、ということです。

そのためには無神、反神的な国家権力も、人間も神によって用いられます。

 

17節では、羊飼いたちが、「幼子について、天使が話してくれたことを人々に知らせ」ます。更に、天使の御告げは、そのまま眼前に繰り広げられた事、いや、それ以上だったことを。メシアが誕生された、と告げた事でしょう。しかし、それにしては、暗い、惨めな光景だった事も忘れずに語ったでしょう。家畜小屋、飼い葉おけ、布切れにくるまれていた。普通の幼子以上に、貧しく、居場所のない状態でした。

真理は、このように、ごく自然に、順次伝えられるものです。

2000年にわたって伝えられてきた、ということだけでも、これが真理である証拠です。

 

 伝える人がいます。伝えられた人、聞いた人は、伝える者になり、語る者になります。

こうして教会は生まれ、成長し続けてきました。教会はキリストの福音を証言する者たちの群れです。どんな時代であろうと、どのような場所であろうと、恐れるな、と告げられます。励まされ、恐れることなくクリスマスのおとずれ・福音を伝え続けましょう。

 

 

2013年12月22日日曜日

イエスの誕生

[聖書]ルカ217
[讃美歌]21-231,21-269,21-67,21-259、21-261
[交読詩編]113:1~9、

    

本日は、クリスマス主日の礼拝です。クランツのローソクは、四本点きました。

さて、本日は降誕物語の中心部分を読みました。

「皇帝アウグストゥス」、有名なユリウス・カエサルの養子オクタヴィウス。カエサルが共和主義者たちにより暗殺されると、その後継者となり、幾多の戦いを切り抜け、紀元前31年、第一執政官、実質的な皇帝となる。前27年アウグストウス・尊厳なる者という称号を元老院議決により、贈られる。紀元後14年まで、およそ半世紀近く統治した。

 

ユリウス・カエサルは、ポンペイウス、クラッススなどを政敵とし、彼らを打ち破った。

オクタヴィウスはアントニウスと組んで、カッシウス、ブルータスたちを、破った。

アントニウスは、進んでエジプトに入り、クレオパトラと連合して、ローマ軍と戦い破れる。

紀元前31 アクティウムの海戦で、オクタヴィウスがクレオパトラ・アントニウス連合軍を破る。

 紀元前30 クレオパトラが自殺をし、プトレマイオス朝エジプト が滅びる。

 

人口調査、現代でも国勢調査の名で行われている。これは単に人口を知るだけではない。

人口は国力である、との考えがある。

国家の行政のための基礎であり、さまざまな施策を作るためのもの。

ローマ皇帝による人口調査は、明確な政治的意図を持っていた。課税と兵役の義務を課するためである。ただし、ユダヤ人の兵役は免除されていたので、課税目的となる。

何時の時代でも徴税は、国家権力の発動と考えられ、ユダヤ人の間では、反ローマの熱心党が活動する場を提供した。

ある時期には、農耕者の適正配置を目指して行われている。「自分の町へ」

 

「キリニウスがシリアの総督であった時」、この記録があれば、イエスの誕生年月日を確定できる。残念ながら、ローマ時代の記録は今のところ不充分である。キリニウスのシリアでの活動は、紀元前118年の範囲と考えられ、人口調査もその間の事だろう。

ヨセフスは、『古代史』の中で、キリニウスによる人口調査について報告している。それによれば、紀元前67年のこととされる。更に、ヘロデが紀元前7年に人民に対し、カイザルと自分に忠誠の誓いを行うよう命じている。これが人口調査と同時に行われたことは、充分に考えられる。

タキトウスは、『年代記』六巻で、カパドキア(現トルコ東部)のアルケラオス王の領地に対し人口調査が行われたことが記されている。それ以前の可能性も指摘される。

エジプト出土の資料によれば、アウグストゥスは税負担の土台を整備するため、人口調査を命じ、これを14年ごとに繰り返すこととした。さかのぼって紀元前104年には、エジプト人の定期的な登録を示す資料が知られている。

紀元前7年、アウグストゥスの命令によりパレスチナで行われた初めての人口調査。

 

旧約聖書では、人口を数えることは、人間が自分の力を誇るためのものと考えられ、通常は禁じられていた。神の命令なしにこれを行ったものは罰せられる。

民数記の人口調査は、「戦争に出ることのできる者」を数えていた(12262)。

 

「民数記」とはシナイ山(1章)とその四十年後にモアブの草原で行われた(26章)、二度にわた  

る人口調査に由来した名称です。

歴代誌第一:21章1~30節をお読みください。尚、この箇所はサムエル記第二24章でも扱われていますので、併せて読まれることをお勧めします。

ダビデは人口調査を強引に行って、神の怒りを買ってしまいます。

神ご自身が戦って勝利を得られるのです。勝利は神によって与えられるものであり、人間が自分の力で獲得するものではないのです。そうであるならば、兵の数を数え戦力を数えることは、神様の力ではなく人間の、自分たちの持っている力に頼んで事を計画し、実行していこうとすることです。神様の力に依り頼むのではなくて、自分の力、自分の兵力によって事を成そうとするところに、この人口調査の罪があるといえるでしょう。

使徒言行録537チウダの乱、「そののち,人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を  起こしたが、この人も滅び・・・。」

 

4節、「ヨセフも」、ここでは、ヨセフが前面に出ている。マリアは身重で、未だにいいなずけ、婚約者のままである.ユダヤの結婚式は,だいぶ派手に行われる。大勢の客を招き、食べるもの、飲むものを提供し、一週間にわたる祝宴がなされます。

ガリラヤのナザレからベツレヘムまでおよそ120キロ、語られていないが、ヨセフの大変な労苦があったことだろう。

 

「泊まる場所」、居場所がなかった。ある神学者は、これを故郷喪失と語った。ドイツの学者だったかもしれない。強制収容所の中で、クリスマス説教の時・M、ニーメラー?

この二人は、父祖の地へ帰ってきた。しかしそこで拒絶された。ハイマートロスト

 

業平・押上へ行ったとき、そこは大空襲の後もなく、戦後、綺麗に区画整理された町、スカイツリー建設に備えている期待に胸ときめく町。高校生のとき,戦後暫く生活した練馬へ行ったことがある。たくさんの住宅が立ち並び、畑も林もなく、全く寄せ付けようとしない冷たい顔だった。

私は、故郷から拒絶された、と感じてきた。全く違う、見知らぬ街になった故郷を見出すことは出来る。そして自分が知っていたあの故郷を喪失している。

 

このようなことは、開発、発展の名の下に現代の至る所で起こっている。

高校生の頃、世界史で学んだことを思い出す。英国の産業革命の影の部分、エンクルージア・ムーブメント、囲い込み運動。多くの農夫が家を離れ工場労働者となり、故郷を失うという悲劇が生まれた。

 

産業革命は、蒸気機関の発明によってもたらされたことが多い。

紡織機が機械化され、大量に生産が可能となり、原材料の増産が必要となった。

国内では、羊を増やし、羊毛を増産しようと考えられた。牧羊地を拡張しなければならない。それまでの農地を転用するのが近道。農地を羊飼いが包囲して、農業者は立ち行かなくなり、農地を棄てて工場労働者になる。

この反省の中から、英国の政治哲学が刷新される。

『貧乏人や、力の弱いものが、正直に暮らしてゆける社会を作るのが政治の務め。』

グラッドストーンやチャーチルが語っている。

他方、海外に原料を求める方法も考えられた。植民地の活用の道が開かれ、積極的な海外進出が図られた。羊毛だけではなく綿花の収穫も図られた。

 

一部の者たちの利益追求の勢いは、植民地経営に拍車を掛けさせ、奴隷労働を拡張させた。

 

 

故郷喪失、「布にくるんで、飼い葉桶に寝かされる」イエスは最初からこの地上には故郷を持ちません。そしてマリア、ヨセフも、故郷から出で立ったもの、故郷から拒絶されたものなのです。その姿は、現代の私たちのものです。

 

徹底的に低いところまで降りてくださった。そこが救い主の居場所なのです。私たち低いところにいる者たちの救いです。降誕物語は福音全体の始まりであり、その徴です。

2013年12月15日日曜日

ヨハネの誕生とザカリアの預言


[聖書]ルカ15780
[讃美歌]231,182,247,78、
[交読詩編]85:2~14、

昨日は、明星幼稚園のクリスマス礼拝。
本日午後には、こひつじ会のクリスマス礼拝が行われます。
友人からのメールに、母教会の牧師が、この時期によく言っていた言葉が書かれていました。「牧師にとってクリスマスは、苦しみます、です」と。
私も、その言葉を聴きました。しっかり記憶しています。ひとりの説教者として、共感せざるを得ません。「そうだ、そうだ、クリスマス説教を生み出す苦しみを経験しているぞ」

それでも、決して同じではありません。資質・能力が違います。私のほうが、もっともっと苦しんでいるはずです。

それでも私は考えます。説教作りにどれほど苦しんでも、産み出すことに困難を感じても、『クリスマスは苦しみます』と言うことだけはしないようにしよう。御子イエスの受肉降誕の喜びのときを汚すことになる。喜びの福音は、苦しめば苦しむほどみ栄えの輝きに満たされるのだから、感謝しよう。時に苦しみを語らざるを得ないことがあっても、語れば語るほど、喜びになることを語ろう。証しよう、それが私の宣教だ。

これは、私だけのことではありません。アドベント・ランチのために土曜日に準備をしてくださる方がいます。大変だろうな、と思います。しかしその方は、楽しそうに働いています。その姿を拝見してきました。救われた喜び、主が見ていてくださっている確信があれば、苦しみ、などと言わず、喜び感謝するでしょう。

母教会の牧師は、はるかに高い能力をもって使命を果たし、深い信仰によって多くの人々を指導しました。誤解を恐れ、申し添えます。

本日の聖書は、三部分からなっています。
5766節、誕生、割礼、ヨハネの命名
6779節、ザカリアの「霊感を受けた預言」
80節、ヨハネについての短い叙述。これは、要約と彼の公生涯への移行の役割です。

初めの部分は、ユダヤ文化の慣習と律法とを反映しているようです。親戚や近隣の人々は、誕生の喜びに参加するだけでなく、とりわけそれが、年老いた夫婦の最初の男の子の場合には、その子の命名にも参加していました(ルツ417)。

多くの場合、その家の先祖が用いた名の中から嬰児の名を選びます。ザカリアの選択は、意想外のものだったようです。先祖の中に、この名が見られませんでした。

そうであっても、誕生の事情を背景とし、それを説明する、というもひとつの命名法には適っていました。

 

父となったザカリアは、書き板に「この子の名はヨハネ」と書いて、皆に知らせました。
ザカリアは、この時まで、これ以降も、神のご計画に対し、従順でした。
「ヨハネ」は、エホハナンを短くしたものです。「エホバは恵み深い」、または「エホバの贈り物」を意味します。この誕生は、全く予期していなかったが叶えられた。ヨハネという命名は、その喜びと感謝の表明になっています。
母となったエリサベトも、この名をつけることに賛成しました。

八日目の割礼は、レビ記123に規定されています。
後期ユダヤ教において、命名は、明らかに割礼と結びついています。割礼によって、男子は神の民のメンバーとされたのです。

ザカリアの話す能力の回復は、奇跡と理解された。それによって、彼は神を讃美し、近隣の者たちは、神の力の臨在に相応しい畏れの感覚に満たされました。

第二の部分、6879、ザカリアの霊感による預言は、そのラテン語訳の最初の一語をとって『ベネディクトウス』と呼ばれています。これは二つの部分に分けられます。
前半部分、6875節は、神を讃美する。それは、神がヨハネを送ったことの讃美ではなく、「我らのために救いの角を、僕ダビデの家」から起こしたから、つまりイエスを送ったから神を讃美する、ということです。
これは、旧約の詩編34,67,103,113、と死海文書の収穫の感謝の詩に似ています。

ユダヤ教的な終末の希望は実現され、約束は保持され、アブラハムの契約は覚えられ、すべての敵は神が上げた「救いの角」(神の力を指す。サムエル上210)によって打ち負かされるだろう。

後半部分、7679節は、ヨハネやイエスがこれから何をしようとしているのかということの要約になっている。それは、すでに11517で、み使いによって知らされていたことである。ここでは、マラキ3122324、イザヤ91427からかなりの部分を引用している。

神ご自身が持つ光と平和の世界が、いまや暗黒と戦乱の世界の中に突入しようとしている(マタイ414以下参照)ということです。

第三の部分は、ヨハネの成長に関するもの。
ナジル人サムソン(士師1324)や少年サムエル(サムエル上226)を思い起こさせる。
使徒言行録も、パウロがナジル人の誓願をたてていて、ケンクレヤで髪を切ったように書いています(使徒1818)。
ヨハネのこれからの生活の大部分は隠されています。ヨハネの物語が再開する時、彼は神の国の接近を告げるために登場します。その間,私たちは待っていなければなりません。
ここに、もうひとつの待降・アドベントがあります。

ルカ福音書は、祭司ザカリアとエリサベト、そして二人の子として生まれてくるヨハネに、かなりのスペースを割いています。これは何を意味するのでしょうか。
エリサベトは、142で「聖霊に満たされて声高らかに」言いました。内容は、マリアを称賛、祝福するものです。

ザカリアは、神を讃美し、すべての人に関わるその預言の成就を展望し、その中での我が子の働きを見詰めています。

福音書記者ルカは、ザカリアの出来事を通して、私たちに語りかけています。
神の計画は、聖書に預言されており、それは、確実に成就すること。ヨハネは、その成就の先駆的な徴であること。そして生まれてきたヨハネも先駆そのものであること
彼が指し示すのは、十字架と甦りの主イエス・キリストであること。
人々の賛嘆、驚嘆すら、こうした神の御心に対する憧れと讃美に結び付けられます。

人の子の親となり、親となり続けるとはどのようなことを意味するのだろうか。親業とは、忍耐することと見付けたり、と言った人があるようです。

それを不可能、と思い定めたのでしょうか。産まれてきた子供を次々と棄てたり、殺したりする男女が摘発されています。

自分ひとりだ、と思うとき、感じるとき。親になるということは、とてつもなく困難なことなのです。子どもを棄て、親になり続けることを放棄した人たちは、思慮が足りませんでした。知るべきことを知りませんでした。同時にその知識を与えることができる私たちにも大きな責任があります。肉親のつながりの中で、地域、友人の輪の中で、子どもは育てられ、自分自身も生長し、親になって行くことが可能になるのです。

このような親になろうとする人々と絆を結び、輪をつなぐことは、幼児教育施設に求められる役割と考えてきました。親となることの闇に覆われる人たちの光となることです。

祭司ザカリアとエリサベト。二人は、長い間、闇の中を歩んできました。子供が産まれて、光が見えてきました。ところがそこでも育児の困難さ、という闇が待ちもうけています。

ザカリアは、その闇の向こうを見据えています。光が見えます。

我が子ヨハネは、いと高き方の預言者と呼ばれる。この方こそ、闇を貫く平和の光へと、我々を導く、と確信しています。

祭司の息子ヨハネは、ユダヤの伝統に従うなら、その民族の中で最高に尊崇される祭司職を継承するはずであった。父、ザカリアも母、エリサベトも、それが正しいこととは考えなかったようだ。神から与えられた名を持つヨハネは、神から新たに与えられた職務に就く事になる。そのために備えの期間、待つ時があり、荒野に赴きました。証明するものはありませんが、エッセネ派のクムランの宗団にいた、と信じられています。あの死海写本を保持し、それを隠し、消えていった人々です。そこで、時を待ちました。

闇の彼方に光を見出すことこそ、アドベントに相応しいことです。
混迷の度を加えるこの時代は、主を待ち望むことが許されています。
感謝して祈りましょう。

2013年12月8日日曜日

マリアの讃歌


[聖書]ルカ14656
[讃美歌]231,175,432、
[交読詩編]19:8~11、

 12月に入り第二主日となりました。早いものです。
2日で塔屋の補修工事が終わりました。その工事に来てくれた人とおしゃべりをしました。
前週の雪の名残を見ながら。「雪があって、寒かったでしょう」
「たいしたことありません。白いものがあると北海道って感じ、ホッとしますよ。」
60歳代の前半ぐらいの年輩の方でした。道産子なのでしょう。勿論スキーもなさるそうです。確か28日・木曜日に雪が降ったはずですが、そのとき、私も安心しました。
落ちてくる白いものを見ながら、呟いていました。
「これでよし、これでいいんだ。この白いもの、雪と氷が北海道の冬なんだから。もっと、もっと、降れ、降れ。」
余り降ってくれません。それでも路面は濡れているし、教会の外はぬかるんでいるので、たいていは長靴を使っています。いつでも降ってください、という姿勢です。
こうした自分勝手な願いは、聞かれないでしょう。ここまでは土曜日午前中に書きました。
明日にかけて、雪だるま印が出ています。

さて本日は、《マリアの讃歌》、場面は、139以降のエリサベトの家。親戚の娘マリアが訪ねてきたところです。前回の部分をもう一度。
38節「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
はしため、仕える者であることの認識、同時に主なる方への信仰告白です。
この主に対し従順であることは、当然です。

辛い、苦しいことであっても、主の御心をその身に引き受けよう、それがマリアの信仰です。それに対して、主なる神は、聖意実現の確証をお与えになります。それが親戚の女エリサベトの身の上に起こっていることでした。マリアは、み言葉を疑っているためではなく、神の恵みとして与えられた徴を見ようとして、ユダの町へ向かいます。

この場面は、多くの芸術家の創作意欲を刺激し、多くの名作を生み出させました。
この讃歌は、今日『マグニフィカト』として知られています。

ラテン語訳聖書の冒頭の句(Magnificat anima mea Dominum)を略してdas Magnificatと呼んでいます。

 

マリアは、神に愛され、思慮深く、従順で、信仰深く、神を崇め、ユダヤ教の律法と信仰に忠実な女性です。これは、先週申し上げました。
小塩節先生は、マリアの讃歌について、いろいろなことを書いておられます。
「全身全霊をもって捧げる感謝の祈りは、このまま古いユダヤのメロディーに合わせてうたえば、見事な歌となる。」
小塩先生は、小塩力牧師の息子として佐世保に生まれる。旧制松本高校(ドクトル・マンボウは先輩)、東京大学に学び、国際基督教大学、中央大学教授、在職のままドイツ大使館公使、ケルン日本館館長を勤める。日独の文化交流に顕著な功績あり、同国政府により叙勲されている。
井草教会に所属し、ひこばえ幼稚園園長。先生はドイツ文学を専攻されていますが、音楽にもお詳しくていらっしゃる。バッハ、モーツアルト、シューベルトを愛される。
古いヘブライのメロディーをご存知なのでしょう。

マリアという名は、モーセの姉ミリアムの別称で、『神に愛される者』という意味です。
「人は、与えられた名前に一生かけて近づいて行き、ついには一つになるものである。ナザレのマリアムも、悲痛と栄光の生涯を通して人類の『マリア』となって行ったのである。」

人は誰でも愛されて愛を知るものです。私たちは、ローマ教会のようにマリアさんを拝むことはしません。しかし、真実の信仰を貫いた女性として敬愛することは致します。
さまざまな伝説を排して、聖書に記されたマリアの姿、生き方は、確かな尊敬の念を引き起こします。しかし決して礼拝の対象ではないし、仲保・媒介者でもありません。
主イエスの名によって祈りますが、聖母マリアの名によって祈ることはしません。
私たちには、聖徒たちの余分な功徳、という考えはありません。

どれほど人間的に見て、素晴らしい人格であるとしても、それは、選ばれた理由ではありません。私たちには決して分からない、知ることのできない、神のご計画なのです。
もし資格が必要であるなら、「身分の低い、このはしため」であるということだけです。
ギリシャ語では、ほめたたえる事を、ホモロゲオー(動詞)という言葉で表現します。

ホモロゴスが元の形。ひとつの言葉の、ひとつの心の、が元来の意味です。同じ心になって同じ言葉を語る、相手の言ったことに対して同意を言い表す。約束する、告白する、公言する、ほめたたえる、などと訳され、意味されるようになりました。名詞形は、ホモロギア、告白、言い表すことを意味します。とりわけ、ナザレのイエスが神の子・キリストであることを受け入れ、告白することを指すようになりました。(Ⅰテモテ61213

讃美の歌は、同時にマリアの告白、マリアの祈りです。
讃美の歌は、神がマリアに与えた恵みの故に神をたたえることに始まり、選ばれた民の救いのためになして下さった神の業の豊かさを讃えることで、その頂点に達します。
この讃美は、マリアの『私は主のはしためです』という告白を更に詳細に述べたものです。

この讃美に関して、これをエリサベトのものとし、後にマリアの口を通して語られたものにしたのだ、という解釈がある時期なされました。今日では、内容から、マリアのものと理解されています。48節は、明らかに、救い主の母として身分低き者が高められたことを讃えています。もしエリサベトであれば、子どもがない、という辱めの除去を讃美するでしょう。このことは125に語られています。

またこの讃美には原型があることも指摘されています。サムエル記上21以下にある『ハンナの祈り』がそれです。ラマタイム・ゾピムの人エルカナ、その妻ハンナ。ハンナには子供が産まれなかった。祭司エリが執り成し、男の子が与えられる。その名前がサムエル。
この子が乳離れすると、シロにある宮へ連れて行き、主に捧げます。そのときの祈り。
どうぞ各自でお読みください。

母となることは、正常な場合であれば、心踊る歓びとなるでしょう。
しかし、マリアの場合、処刑される可能性もある恐ろしいことでした。
それにもかかわらず、マリアは、主を信じました。み言葉をそのまま受け入れました。
信じ難いときにこそ真の信仰が見えてきます。
神は、すでに行った事柄に関して称賛されています。
私は文法は苦手です。それでも、このところのギリシャ語動詞の文法は、未来時制ではなく、過去時制になっている、と学びました。

ある学者は(クラドック、61ページ)は次のように記します。
「動詞の過去時制(アオリスト)は、時間に関係のない真実を表しているのです。
そこでは、過去も現在も、未来も区別されないのだ。しかし、私たちは過去時制を、あたかもそのことがすでに起こっているかのような自信と確信を表現する方法としても、考えるべきなのである。神は約束されたことをなすのだと(マリアが)確信しているからこそ、それは成就された事実として宣言されるのである。」

この讃歌で強調されるべきものは、5253節にあります。
ある註解者(レングスドルフ)は、簡潔に記します。

「それ故、神が王として支配する終わりのときには、これまでの基準は完全に打ち砕かれ、これまでの価値は完全に消滅する。」

マリアは、権力あるものを低め、低い地位にあるものを高める神、そして飢えたものを満たし、富んだものを手ぶらで返す神を歌っています。ここには、神の最後の審判の特質がある、と言ってよろしいでしょう。つまり、権力を持ち、富んでいる者は、弱く貧しい者と場を入れ替わる、ということなのです。そしてこの終末的な逆転は、マリアの選びにおいて、始められました。聖書に基づく福音信仰の革命的性格。

38節をもう一度、思い出しましょう。「お言葉どおり」、これが実に難しい。
私たちも信仰者を自認しています。主日礼拝の度ごとに信仰告白をしています。あなたこそ私の主です、と。ところが、自分にとって不都合なことが起これば、それは困る。神は全能であるから、私の都合に合うよう変更できるはずだ、と考えます。わたしがすべての都合を捨てて、主なるお方の御心に従うのではなく、主は私の都合に合わせて、主が私に仕えることを要求するのです。

70年前、アジア、ヨーロッパは戦争のさ中にいました。その中で、ナチドイツは、600万のユダヤ人を、強制収容所において最終処分しました。戦後、ジェノサイトが明らかになるにつれ、何故ユダヤ人たちは従順に殺されていったのか、と批判する者たちが出てきました。ユダヤ人の信仰は、自分にとって不都合なことでも、神に従う所にありました。現代のユダヤ人は、不都合な方向が現実とならないよう、事前に闘おうとしているようです。神を従わせよう、とするものではありません。
私たちは、マリアの讃歌によって、まことの信仰告白を示され、問いかけられています。
「あなたは、信仰を告白していますか。その告白を共に生きましょう。」
正しく応える時、主の語降誕を正しく迎えることが出来ます。

感謝して祈ります。