2013年2月24日日曜日

祝福し、聖別された

[聖書]創世記214a
[讃美歌21]487,357,470、
[交読詩編]130:1~8、
 
11から天地創造物語が始まりました。実に壮大、華麗なドラマです。説教は四回目。
この部分が、祭司資料と呼ばれています。初めて聖書に触れた時は、何がなんだか分かりませんでした。50年を超えると、多少は、理解も進んだようです。
 
24a「これが天地創造の由来である。」口語訳も新共同訳も、全く同じ言葉、文章です。これは、珍しい例です。11に始まる天地創造物語の締め括りの言葉です。初めて読んだ時は、面食らいました。2章の途中、4節の初め。ここから物語が始まるのだろう、と感じたものです。そうではなく、次の行から新しい物語が始まる。
それにしても、天地創造が二つあるとはどういうことだろうか?天地創造と、人間創造なのかな、と考えたりもしました。
答えは、口頭伝承を組み合わせた(編集)もの、ということでした。
24節の初行までと次行以降では、資料が違う。文体も内容も全く違っています。ここまでは、祭司資料、紀元6世紀のバビロン捕囚時代の編集。希望を失った捕囚のユダヤ人たちを励まそうとしている。イスラエルの神は、この世界の創造主である、と宣告しています。
 
神は、六日の間に天地の間の、すべてのものをお造りになられた。
それらをご覧になって、それらを祝福された。「良しとされた」
第五日の水の中と、大空の生き物。そして、第六日の生き物、地の獣、家畜、土を這うもの。そして、人については、もうひとつの祝福が与えられた。
「産めよ、増えよ、地に満ちよ」。そして、男と女とには、更なる祝福が与えられます。
2829節、生き物を支配せよ。草と木を食べよ。
 
創造のすべてを終えられた主は、七日目に休まれた。創造の主の安息である。
丁寧に読むと少々違っています。131「第六の日である。」とあります。続いて、
213、「天地万物は完成された。 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」 となります。
安息の日は、すべてを完成した翌日ではありません。安息日は、すべての完成の日です。
休むことによって仕事を離れ、仕事を完成されました。この安息なしでは、完成もなかったのです。
 
旧約聖書、ユダヤ教では、この七日目の安息を覚えて、この日を休息の日とし、すべての働きを休むことにしています。神が、祝福し、聖別されたからです。祝福は、肯定すること、聖別は神のものとすることです。
 
古代社会では、労働を休む制度などは考えられなかっただろう。そうした社会で、七日目ごとの休みをこのような形で保障したことは、大変偉大なこと、と考えるべきだろう。奴隷を初め、弱い立場の多くの労働者に、休む権利を与えたことになります。古代において、このような権利を保障する旧約聖書は、ずいぶん進歩的な、人権思想を持っていた、と言うべきでしょう。
しかも、労働する人の雇用主からの恩恵とせず、宗教的な権利、義務とした所が凄い、と感じます。雇用主であっても、その社会であっても、これを奪うことが出来ません。聖域に属することです。不可侵の権利とする、これはたいへん優れた発想です。
 
この日は、単なる労働から離れることが出来る日、と言うことにとどまりません。
「安息日を覚えて、これを聖とせよ。」モーセの十戒に刻まれました(出208、第四戒)。すべての安息日は、労働から離れて、創造主なる神を讃美する時です。礼拝する日としなければなりません。
「聖」という語は、「神の専用のもの」を意味します。第七日は、だれのものでもありません。ただ主なる神のものですよ、ということです。主を讃美する礼拝の日です。
私たちの意識はどのようなものでしょうか。
 
英国、ダーラム市では、サンデイランチが生きている、と書かれていました。
『ダーラム便り、ある英国留学記』(山田耕太著、すぐ書房1985年)の一節です
ダーラムのクリスチャンは、土曜日のうちに日曜の食事の用意を済ませる。
教会で礼拝を済ませると、帰宅してサンドイッチなどのランチを摂る。その際、教会に客人があれば、連れて来てランチを共にする。これをしないと、客人は、食事が出来ないことになる。著者の山田さんは、これを経験された。『これが有名なダーラムのサンデイ・ランチか!』と書きました。
 
ダーラムには、日産自動車が工場を開設し、岩槻の家庭集会の出席者が、お連れ合いの転
勤(日本人トップの安藤さん)で、行くことになった。そうした関連で、この本を購読し
たのだろう。
この著者は、現在、新潟県新発田市にある、敬和学園大学の教員のようです。
今では手に入れにくいこの本を読みました。幾つかのことが記憶に残りました。
ダーラムは、ハドリアヌス・ウオールの東の基点である。その北はスコットランド。
かつてダーラム大聖堂があり、その修道院の大食堂は、ダーラム大学の学生食堂。
ダーラム大学は、かつてCHドッドなど、名だたる碩学が教授であった。
 
ハドリアヌス・ウオール、ローマ帝国時代に建設された時代の城壁。長城と訳されること多し。
現在のニューキャッスルからカーライル北部にかけて東西に延び、全長はおよそ120kmに及ぶ。
スコットランド人(ケルト人)の侵入に苦しんだハドリアヌス帝が防御のために122年からおよそ10年間かけて建設したもので、拡大政策を進めてきたローマ帝国の転換期を物語っている。土塁を石で補強した壁は厚さ約3m、高さは約5mあったと推定される。
142
年にアントニヌス帝がここから北方約160kmのところに防塁を築いたが、後にこの長城まで撤退している。ローマの影響が去ってからも、この長城はイングランドとスコットランドの境界線として認識されていた。
1987年に世界遺産に登録され、2005年にはドイツのリーメスの長城跡と合わせて「ローマ帝国の国境線」として登録名称が変更されている。
 
 神の安息、ということでは、ある時期、こんなことが言われました。『神は死んだ』。
ドイツの哲学者、ニーチエの言葉でした。あるいは、「神は眠っている、永遠の休息に入った。」などとも言われました。
 
あるいは、作家、遠藤周作さんの小説『沈黙』。これは、殉教者と背教者の物語です。宣教師が殉教する場面では、宣教師を呑み込んだ海が静まり返っている様を描き、神の沈黙を暗示する。
スエーデンのラーゲルクヴィストは、1950年のノーベル賞作品『バラバ』、最終場面。
「バラバだけは、まだひとり生き残ってぶら下がっていた。あれほどに恐れ続けてきた死が近いと感じたとき、彼は暗闇のなかへ、まるでそれに話しかけるかのようにいった。
--お前さんに任せるよ、俺の魂を。  そして彼は息たえた。」
 
 神は、創造の働きをなし終えて休まれたかもしれない。そうすることで、人間に休息することを教えられた。その後の神は、休むことをしておられない。人を守ろうとしている。
「監視」という言葉を私たちは嫌う。これの本来の意味は、『見守る』ことにある。
 
私たちは、しばしば、他の人を傷つける。傷ついた人は、誰も自分を守ってはくれない、という気持ちになる。皆が自分を笑っている、ざまあ見ろ、と言っている、と思う。
実は、周囲の人たちは、自分のことをとても心配してくれているのに、そのようには考えられない。そうして自分の殻のなかに閉じこもってしまう。
 
神は何もしてくれない。神はいない、お休みだ。神は死んだ。そうではありません。
神様は、私たちを見守り、支え、助けてくださっていたのです。
今でも思い出します。1997104日。東京から埼玉へ車を走らせている時、突然飛び上がりました。広い通りで、他の車の後ろになっていました。何が起こったかわかりませんが、バットで殴られたような痛みがありました。車を脇に寄せて、休んでいるうちに収まりました。自己診断では、脳内出血。それ以上は、医師が判断すること。自分で決めたら怒られるぞ、なんて気楽に考えていました。脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血でした。
 
金曜日、朝のニュースで、タクシーが川の対岸へ10メートルのジャンプ、着地に成功したが乗客の一人は重傷。運転手はくも膜下出血、意識不明の重態、とありました。
97年に、そのようなことになっていてもおかしくなかったのだ、と感じます。
もっと悪いことにならないよう、守られていました。
 
安息日は、働きをしない余分な日ではありません。創造主は、この日にその業を完成させられました。安息することによって完成、成就に至らせたのです。
 
安息日は、金曜の夕刻に始まり土曜の夕刻に終わります。かつて、イスラエル南部のスデボケールのキブツ(集団農場)で2週間を過ごしました。そのなかの金曜日、夕刻になり、食堂へ行きました。ユダヤ人たちも座っています。いつもと違って、なかなか食事が始まりません。ワインも出ています。オイルサーディンもあります。御馳走です。何かがありそうです。やがて皆が静まって行きます。視線がラビの顔に向かいます。そして西のほうの丘の頂を見ます。私たちも見ました。太陽が沈んで行きます。その最後の輝きが消えました。その瞬間、ラビたちのテーブルから歌声が起こりました。皆が和して、大合唱。
安息日の始まりに、私たちも立ち会うことが出たのです。鮮烈な出来事でした。
 このように、厳粛な思いをもって安息日がはじめられているのです。それだから未だに安息日を厳守できるのでしょう。明らかに、他の日々とは違います。
 
 キリストの教会は、この安息日を、主イエスが甦られた週の初めの日、日曜日に移しました。命の主キリストの甦りを喜び、感謝し、讃美するためです。
私が集めたLPレコードの一枚に『真夏の夜のジャズ』がありました。1958年の第5回ニューポート(カリフォルニア州)ジャズフェスティバルのエッセンス。愛聴盤と言えるでしょう。同じフェスティバルを同名の映画にしています。これも観ました。感動します。
今思い出しているのは、その中で、ゴスペルの女王と呼ばれるマハリア・ジャクソンの場面です。司会者に呼び上げられ、中央に立ったマハリアは、「まるでスターになったみたい」と興奮を隠しません。雨も上がった会場でお客さんに告げます。『日曜日です』。
そして唄い始めます。マロットの作った『主の祈り』。繰り返し聴いて、覚えるほどでした。
その数年後、私は聖歌隊で同じ曲を合唱します。嬉しいことでした。
この会場で、今は日曜日になった、主イエスの甦りを讃美する礼拝の日です。
祈りましょう。こう呼びかけて祈った歌手がいる。
 
 私たちも、甦りの主イエスを日曜ごとに賛美するようにと招かれています。誠実に応えて、生きて行きましょう。

2013年2月17日日曜日

人を造ろう

[聖書]創世記12031
[讃美歌21]487,386,226,78、
[交読詩編]91:1~16、
 
本日の週報には、四旬節第一主日、となっています。これは、キリスト教会の長い伝統に基づく暦・カレンダーの呼び方です。レントと言う呼び方は、同じことのラテン語です。日本基督教団の中の偉い先生が、今から20年以上も前のことだった、と思いますが、復活前、または受難節と呼ぶべきだ、と主張されました。私が尊敬する熊沢先生は、反対され、その主張を発表されました。しかし、教団の大多数は、これを検討することもなく、流されて行きました。何よりも教団出版局が、定期刊行物にこの呼び方を採用したのですから、止むを得ない所でしょう。信徒の友、こころの友、教師の友、牧会手帳その他。
教団独自の神学的主張をしている時代でもあるまい。とりわけ、ひとりの神学者、説教者の主張に対し、会議制の教団が、一斉に右へ倣え、となるのは、認めがたい。
新しい主張は、主日本来の意味を忘れさせ、混同させる恐れがある。呼び方を変えるだけではなく、四旬節を棄てさせようとするもの。
違いよりも一致を求めよう。これは、役員会の討議を経ていません。
どうぞご意見、感想をお聞かせください。
 
 繰り返すことにします。
教会の長い伝統である。
他の教派と共通するものである。
主日の意味が明確に成る。復活に備えるのは毎主日が担っている。主の甦りを喜ぶ主の日。
主日を除いた40日間は、キリストの受難を偲ぶ時、十字架と葬りに備える時だ。
 
 さて、本題、創世記に入りましょう。
11、ベレーシース バーラー、初めに創られた、バーラーは、創造に関してのみ用いられる言葉です。それ以外では、アーサーという単語などが用いられます。漢字で、創、造、作などと書き分けるのと似ています。
創造以前の状況は、カオス、混沌、地も水も形なく、空しい空虚なものとなっていた。其処を満たしているのは暗黒。先が何も見えない、ものの形がなく、形を極めることが出来ない。しかしその上を神の霊が覆っていた。
 
光あれ、と言われると光があった。生きて働く神の言葉であり、力ある言葉である。
言葉とは何か。伝達、コミュニケーションの道具、それだけではなく、働きかけ、実現に至らせる力が盛られている。神の言葉は力だ。
光がもたらされなかった所が闇だ。夜は、闇が支配するときとされる。そこには神はいないのか。神の視線も届かないのか。人は、見られたくないこと、知られたくないことをこの闇の所、夜の時に行おうとする。
もし常に闇であり、夜であれば、我々の行き方は恐ろしいものになるだろう。
幸いなことに、明けない夜はないのだ。必ず昼の、光の時が来る。第一日。
 
神は、大空の上と大空の下に水を分けられた。この大空が天と呼ばれ、ここに開いた穴から落ちてくる水が雨となる。第二日。
 
天地創造の第三日には、大きな動きがあった。水が一箇所に集められ、そのところは海と呼ばれた。乾いた所が現れ、そこは地と呼ばれるようになった。さらに地に草を芽生えさせられた。地上にあらゆる木や草が作られた、ということ。地上の生き物たちのための食べ物が準備された。当然、次はそうした生き物たちの出番になる。
 
次いで第四日。昼を治める光と夜を治める光を造られる。こうして光と闇が分けられた。
この結果、被造世界には、昼、夜、季節、日、年が生じます。創造主による大きな秩序です。これが崩れる時、あるいは乱れる時、さまざまな不調和が生まれます。
 
第五日に至って、水の中の生き物、大空の鳥を造られた。水の中には、大きなうごめく怪物もいた。これは、海の中にいると信じられた怪獣、レビヤタンではないか、と考えられている。これらのものは、特に祝福される。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
 
こうして第六日を迎え、創造は、頂点に達する。
真打登場、という言葉があります。江戸時代から続く寄席は、数が少なくなりました。最初に足を踏み入れたのは、大学生の頃だったでしょうか。その後神学校の時も、教授の中に寄席へ行って、話し方を学びなさい、と教える先生が居られて、時々新宿末広亭へ行きました。
どうしたことか、芸事の好きな末の妹が、その道へ進みたい、と言うことで国立劇場の研修生となり、寄席の出囃子を弾くようになりました。やがて、八戸出身の噺家、桂小文冶と結婚しました。小文治さんの研究会やら何やらにも行きました。
 
この世界では、真打登場という言葉は、なみなみならない重みを持っています。その日のプラグラム全体が、その時に向かって構成されているように感じられました。
普段の寄席では、その日の出し物は決まっていません。出演者とその順番だけです。各人が、腹の中にしまっている。演目が重なる中で、自分がやりたいものを決めて行く、出し方も決める。よくよく考えた末のことになります。一見するとかなりちゃらんぽらんに見えますが、どうしてどうして、なかなかに緻密なものです。
 
天地創造、なかでも人間創造の場面を読むと、一切が、このときのために準備されていたように感じられます。「いよっ、真打登場!と掛け声をかけたくなるようです。
もう一度お読みしましょう。
 
「地は、それぞれの生き物を生み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに生み出せ。」
地の獣、家畜、地を這うものが造られた。そして、それら生き物の一つでありながら、別格のように作られるのが、はじめの人、男と女である。地上の生き物の一つでありながら、それらとは別格、と言うのは、それらを支配するものとして造られるからである。
 
「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろうそして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』
 
いくつかの言葉を考えてみよう。
「我々」、神は唯一である、と信じていたのに、複数形で登場。詩編にも神がご自身を複数で表現されることがある。創322117。詩編811「神は、神々の中で、裁きを行われる。」(この神は、会議の長としての最高神ではなく、会議を見届ける神の証人性を示すもの、との説。20109月、宮田玲)。 従来は、御使いを含む神々の会議を想定した。私自身は、実体のない「尊厳の複数」と理解する。
 
「かたどり、似せて」。かつては、神の選民を呼号し、他民族を見下してきた。しかし今や、敗戦の捕囚民。どこに誇るものがあろうか。そんな人間が、神様の形に似ている、って嘘でしょ。そんなはずがないよ!
それに神といえば、目に見える形がないのだから、似ているかどうか、判るわけがないでしょう。
 
「形」とは何か?
形を、外側の見えるもの、手で触れることの出来るものと考えるなら、今もどこかに髭のながーい、腰の曲がったお爺さんがいることになりそう。
眼で見ることも、手で触ることも出来ない形がある。内面的、精神的な形である。大きく言えば人格性、と言う考えがある。神と対等な相手となる存在。
あるいは、神の尊厳こそ、と言う考えもある。
いいや、愛ですよ、とも言われる。永遠性、支配力もそのひとつ。綜合する。
こうした見えない形の中からひとつを選ぶ、絞り込む必要はない。
創造の神が発揮した性質は、自発性ではないだろうか。自由、と言って間違いはなかろう。2章、3章にも関わること。
 
「治めなさい」、地上における神の代理人である。
ローマ教会の教皇を指す言葉、と思われているだろう。しかし、創世記は、そのようなことは言っていない。造られた人、一人一人が、そのままに神の代理人である、と語っている。どれほど劣弱、醜怪、悪辣、非道であろうとも、その人は神の形を内包している、と語る。
 
バビロン捕囚のユダヤ人、エルサレムにいるときは、王侯、貴族、祭司、将軍、勇士、技術者として、国家に欠くことのできない有能な人たちだった。他の人々を治めていた。しかし、今このバビロンにあっては、納めるのではなく、治められ、支配されている。何の力も持たない。必要なものがあっても、作り出すことも出来ない無力な人たちである。孤影悄然たる人々。その彼らに、「あなたがたは、神の形を持っている。神の尊厳を内に包み持っている」、と告げられている。
このことに気付かされた時、私の心のうちに、熱いものが満ちてきた。
 
 
これらは、昔話、として聞き流しにもできる。余り意味のないものとなるだろう。
しかし、紀元前500年代のイスラエル人にとっては、そのような読み方、聞き方のできるものではなかった。現代の私たちにとっても同じこと。優劣強弱の違いがあり、弱肉強食が当たり前の世界。悲しみや苦しみがあり、多くの嘆きが生まれてきた。その時代に対し、本質的な平等を告げる。人間の尊厳が告げられる。
 創造物語は、また福音を告知している。

2013年2月10日日曜日

日や年のしるし

聖書]創世記1619
讃美歌21]487,355,224、
[交読詩編]107:10~22
 
1:6神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。 1:7そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。 1:8神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
1:9神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。 1:10神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。 1:11神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。 1:12地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。 1:13夕となり、また朝となった。第三日である。
1:14神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、 1:15天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。 1:16神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。 1:17神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、 1:18昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。 1:19夕となり、また朝となった。第四日である。
 
 
天地創造の第一日は、混沌の闇の中に光が生まれました。ここで、光の昼と闇の夜が出来ました。神は、これをご覧になり、良しとされます。
闇を神が創られた、というのではなく、神が光を創られたことにより、闇の存在が明らかになった、ということです。
 
第二日は、大空の創造。大空は天と名付けられ、その上と下に水が分けられます。
その間に乾いた土地が現れます。これは、陸と名付けられます。水の集まった所が海と呼ばれます。そして上の天に明けられた穴から落ちる水が雨となります。
乾いた土地は、下の水の上に浮かび、柱によって支えられている。
泉や川が地上にあるのは、下の水が、湧き溢れるのです。
これらは、メソポタミア・中近東に共通する宇宙像です。
 
第三日は、植物の創造、となります。ある学者は、次のようにまとめます。
「種がないように見える草、そのもの自身が種子である草、種子を包む実のある植物の三種です。」光が創られ、陸地と水の場所が分けられました。その次が植物の創造です。
この順序にも意味があります。動物や人間の創造以前に、その生存のための環境を整えておられるのです。食糧の準備、確保です。
 
 14節以下は、太陽、月、星の創造です。
地を照らす大きな光に昼をつかさどらせ、小さな光に夜をつかさどらせます。
ここでは、太陽とか月という言葉を使わないよう、避けています。何故でしょうか。
「当時の近東世界における太陽神とか、月神とかいった異教の神々との混同を避けるためです。同時に、人間の運命と天体の動き、とりわけ星の運行とを結びつける占星術の影響も全く見られません。」(米倉33ページ)
第四日も、こうして創造主に祝福されて、夕となり、朝となります。
 
いつの時代でも、このところを読んでいて、最初に出てくる疑問、質問があります。
これは、誰が書いたのだろうか、誰が見ていたのだろうか、ということです。
『初めに』とありますから、その前には何もなく、何者もいなかったのでしょう。当然、これを見た者、目撃証人はいない、となります。
昔から、この点に関しての答えが用意されていました。
「モーセが、神の啓示によって、書いた」というものです。
創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、この五巻を『モーセ五書』と呼び、いずれも、モーセが、主なる神の命じられるままに書いたものである、としてきました。
申命記34章は、モーセの最後を書きます。これは、後継世代による加筆、と考えます。
 
 アメリカでは、今でも世界の始について、創世記そのままを教えなければならない、とするところがあるようです。おそらく、すこぶる保守的とされる、南部諸州でしょう。
(北米南東部は、バイブルランドと呼ばれるが、西部も負けず劣らず保守である。)
進化論や現代の宇宙物理を取り入れるべきだ、とする人たちと裁判沙汰になります。 
 
これは、教育と宗教の正しい分離が出来ていないしるしでしょう。
『政教分離』、国家の宗教への関与を禁じる。特定の宗教の国家への関わりを禁じる。
これは、個人の信教の自由を守るためでもあり、表裏一体のものである。
フランスや日本の憲法規定は厳格なものであり、イギリスは国教会制、ドイツは公認制を取っている。アメリカは、建国の事情から、国教会の首長である国王を排除する方向にあった、と考えられる。特定の宗教による関与を排除するので、諸宗教が繁栄している。
 
私たちが手に持ち、読んでいる天地創造物語は、決して世界の歴史物語ではありません。歴史は、科学であることを求められます。今読んでいる創造の物語は、科学であることをはっきり拒絶します。実際に起こった事柄についての叙述ではありません。
むしろ、特定の時代状況の中で、イスラエル人たちを生かし、希望を抱かせ、ひとつの民族意識を与えるようにした神学的主張です。
 
私自身は、これは神話的表現を用いた、イスラエルの信仰告白である、と考えています。
信仰告白は、自身のうちから発する叫びであり、他の人に聞いてもらうためのものです。何よりも神に聞いていただくのが、告白です。前回、『歴史に働く神――朗唱としての神学』という書名に触れました。朗唱、リサイタルです。告知されたものは、聞かれることを求めます。リサイタルであれば、真心から生まれた音楽は人の心をうちます。聞くものの心に響きます。信仰の告白は、神と人の心に届き、心を打つでしょう。人は誰でも、自分が本当に信じていることしか語ることはできません。
 
 1119までに関しても、歴史叙述としてではなく、特定の時代状況の中で語られ、告げ知らされ、聞かれ、受け容れられた、意味ある言葉として聞きたいのです。
1124aは、さまざまな研究の結果、祭司資料、略称Pと考えられています。祭司資料と呼ぶのは、これが祭司によって礼拝において告げられたもの、と想定されるからです。時代は、バビロンにおける捕囚時代であり、捕囚の民こそこれを読む者たち、聞く者たち。
 
 彼らの状況を考えてみてください。戦争に負けました。バビロンへ連れて来られました。
敗戦国の民として二流、三流の存在です。生存は出来るけれども、そのことに意味を見出すことが難しい。故郷で保持していた信仰も薄れて行くように思える。望郷の念は募る一方。帰りたい、帰れるのだろうか。バビロニア人からは侮蔑され、嘲笑されている。
 戦争に負けたのはなぜか。捕囚民たちは、自分たちの罪がこれを招きよせた、としか考えられないのです。決して自虐史観などと呼ぶべきではありません。既に、預言者たちが警告して来ました。真の神を礼拝し、正義と公正を行えと聞いてきました。思い起こせば、神の愛は絶えずイスラエルに注がれていました。それを拒絶してきたのです。
 
このような失意と落胆、絶望と怒り、嘆き、悲しみの中にいる人々に対して、祭司たちは何を語ることが出来るだろうか。そもそも語る内容を持っているのだろうか。
これは今日の私たちにとっても、問題であり続けていることです。何を語ればよいのか。
悲しむ人、怒る人、失望・落胆する人、実にさまざまです。こうした現代の状況の中では、神の言葉は慰めと希望になり得ない、と考えているのではないでしょうか。
 
 紀元前500年代の祭司たちは、大胆に語りました。
このカオス(混沌)的混乱の中にあっても神は大能の御力を保持している。無秩序の中に神の秩序をもたらそうとしておられる。
当時の諸民族共通の認識では、戦争は民族が信じる神と神との対決、というもの。
民族、国民は、その土地の神の力により戦い、勝利は、神の勝利とされた。
しかし今や、イスラエルの主なる神ヤハウェは、カナンの地を遠く離れたバビロニアにあって、その力を揮い、イスラエルを守り、導き、勝利を与えようとしておられる。
メソポタミアの民は、自分たちの力を誇る。その占星術の力を自慢し、生活のすべてを、この占いによって決定する。しかし祭司は、それすらもイスラエルの神ヤハウェが創られたものと明言する。
 
 こうした状況は、イスラエルの詩人によって、見事に捉えられ、歌われています。
詩編8058では、あなたは涙のパンを私たちに食べさせ
 
詩篇126篇 都もうでの歌
1
主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。
2
その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。
その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と/
言った者が、もろもろの国民の中にあった。
3
主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。
4
主よ、どうか、われらの繁栄を、ネゲブの川のように回復してください。
5
涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
6
種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであ
ろう。
 
祭司資料の記者、祭司の信仰は、まさにこの詩人の信仰です。
私たちは、この信仰の言葉を聴き、共にこの信仰に加わることが求められています。

2013年2月3日日曜日

天地を創造された

[聖書]創世記1:1~5[讃美歌21]487,149,361、[交読詩編]103:1~13、
 
これから暫くの間、創世記による説教をさせていただきます。
説教者は、主題説教であれ、講解説教であれ、あるとき、ある所で説教する時、そのことについて理由を語れるものだ、と考えています。今、何故創世記なのか?
理由は、余り読まれず、語られることも少ないから。聖書66巻の冒頭に置かれているのには、それなりの理由がある、と思います。そうしたことを読み解くには、かなり力量が必要だと思います。自分にそれが備えられているとは考えません。しかし説教者は、挑戦しなければなりません。
神学校の説教学の時間で、『註解書があるから』と言うのも大きな理由になる、と言われました。残念ながら、今の私には、これは相当しません。ダンボール箱に入ったままで、目に触れるものは3冊ばかりです。むしろ、私が好きだから、と言う理由になりそうです。
もうひとつ、理由があります。私は、神学校の頃から、創世記をどのように考えたらよいのか、悩んでいました。決して深刻なものではありません。モーセ五書の資料なるものを学んだ時、こんなことにどんな意味があるのだろうか、と考えたのが始まりです。祭司資料P、ヤハウェ資料J、エロヒム資料E、申命記資料D、鈍根の私にとっては、大変分かりにくいものでした。以来長い間、どのように説教に結びつけるのか考え続けました。多くの書物に教えられました。その成果を、お話したい、と願っています。
 
計画をお話いたしましょう。
本日より310日まで、6主日で第2章を読みます。
317日は、大坪先生の壮行礼拝、先生が説教し、聖餐式も司式されます。
324日は、3章《禁じられた木の実》、31日、復活主日礼拝《キリストは甦られた》
47日、《善悪を知る者となる》、14日、《追放も神の恵み》、3章の終わり。
一応、ここまで計画しています。続けるかどうか、考えながら、となります。
どれだけ理解していただけるように、お話出来たか、ということもあるでしょう。
 
「始めに神は天と地をお造りになった。」口語訳
「元始(はじめ)に神天地(あめつち)を創造(つくり)たまへり。
地は形なくむなしくしてやみわだのおもてにあり。神の霊水の面を覆ひたりき。」文語訳
「巨人・大鵬・玉子焼き」の時代は、既に文語は分からんと言われました。
それから既に、450年が過ぎ去りました。大鵬って何、誰の時代です。新訳登場です
 
「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」新共同訳
 
 たくさんの問題があり、それに応じてたくさんの解答があります。その中でも印象的であり、記憶に残っているのは、内村鑑三です。次のように書いて、称賛しています。
「聖書の創造神話は、実に素晴らしい。日本の創造神話とは、比べることも出来ないほどだ。なんと言っても、あの光の創造だ。電磁的な光、オーロラのような光であり、熱を帯びることがない。このような光をどの国の、どの民族の創造神話に見ることが出来ようか。」
 
彼の死後にも、内村の著作は聖書注解全集、信仰著作全集、日記所感全集が教文館
から出版され、全集が2度にわたって岩波書店から刊行されました。 歴史の教科書には
内村鑑三不敬事件」や日露戦争での「非戦論」で、彼の名前が記されています。
「聖書註解全集」は、内村30年にわたり『聖書之研究』その他に発表してきた聖書注解を、聖書の順に従い章を追って配列。著者の全生涯にわたる聖書研究と伝道活動の成果の集大成。
 
内村鑑三は、札幌農学校出身、独立伝道者として文書伝道に励み、無教会を唱えました。彼は、はじめ黒岩涙香の『萬朝報・よろずちょうほう』紙に加わりますが、考えの違いもあり、退社します。多くの文書を公刊しました。特に力を注いだのは、聖書注解、聖書研究です。
同じ箇所について、繰り返し違う側面から書いています。そのことは創世記に関しても、良くわかります。アメリカのアマースト大学で、最初化学を学びました。
 
明治15年、福沢諭吉『時事新報』を創刊。
明治2511月、都新聞を退社した黒岩涙香は、『萬朝報』を創刊。よろず重宝にあやかる。
簡単、明瞭、痛快をモットーに、社会悪を徹底的に究明する姿勢、涙香自身による連載翻案小説の人気により急速に発展。明治32年末には、東京市内の新聞中一位となる。明治3610月には、日路交渉の危機に臨み、なお非戦を堅持する幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三が退社。これを機に次第に衰微に向かい、昭和1510月、『東京毎夕新聞』に合併された。
近代日本の新聞史上異色の新聞であり、その功績は大きい。
ただし、今日の視点からは、余りにも個人攻撃に偏り、センセーショナリズムに走りすぎる、と批判され、赤新聞(一時期ピンクの用紙であった)とも呼ばれた。
 
以下、順を追って読むことにしましょう。
1節、『初めに』、この語に関しては、考えるべきことがたくさんあります。何の始でしょうか?難しい解釈もありますが、単に創るはじめ、それ以前に何もなかった、と言っているようです。
旧約学の先生のお一人は、「ここは、ベレーシース バーラー」、
「何の初めか、君たち分かりますか? 私にも分からん。」
船水衛司教授、「天地創造は、バビロン捕囚のイスラエル人たちの心象風景です。」と言われ、それ以上の説明がなかった、と記憶します。それだけに考えさせられたようです。
ある時、ある教授が言われました。「神学校での授業は、知識の切り売りとは違う。卒業後、牧会と伝道の現場で、考え続け、学び続けるための基礎を作ることが目的です。自分で神学する、ために。」
これは、保育でも教育でもあるいは医学、看護学、農学、法学、経営学でも同じでしょう。どんな学問も大学で学べば、それで完了、完成ではありません。
 
『学びて思わざれば即ちくらし、思いて学ばざれば即ちあやうし』「論語」為政篇より
どんなに勉強したとしても、自分で考えたり、研究したりしなければ本当の知識にはならないし、
かといって、自分ひとりで、考えるだけで、人の知識や経験を学ばなかったら、独善に陥ってしまい
正しい知恵にはなりえない。人に学び、自ら考えるその両方を行なってこそ、自分の身につく知識となるもの。学ぶ姿勢を忘れずに、考える気持ちを大切に、歩んでいきたいものですね。
自分だけの考えでは、独善に陥ります。
 
 
2節、『混沌』カオス、形なくむなしく。創造以前の状況は、バビロン捕囚の人々にとって、まさに混沌そのものでした。形は、秩序、筋道、と考えます。むなしく、中身のない容子です。カオスの淵は暗黒。光なく、音もなく、何の動きすらない所。時間の動きすらありえません。
これは、聖書を学ぶ中で必ず現れる「シェオール」陰府・黄昏と同じです。
「すべての死者が必ず下る所。光も、音も、そして動きすらないところ。死者は、ここで審判の時まで横たえられる。」と考えられています。
捕囚の民は、ある意味で、全く、死んだ者でした。
 
3節、「神は言われた」、そして創造の業は、すべて言葉によるものでした。
「光あれ」、「こうして光があった。」神が語られると、その言葉の通りになりました。
 
4節、イスラエルの神ヤハウェは、混沌の中に秩序をもたらされる方です。
光が作られ、闇と分けられることによって、昼と夜が生じる。
光が作られたことにより、一日の時間が決まる。時間は、すなわち歴史の始まりを指し示す。歴史の創始を承認することは、そのまま歴史の主なる神を告白することです。
G,E,ライト『歴史に働く神』God who acts、朗誦(リサイタル)としての神学、が副題。
 
「光を見て、良しとされた。」ご自身の作品に満足されました。承認されました。
バビロニアとの戦争に敗れ、バビロンに捕囚としてつれてこられたイスラエル、ユダヤ人たちは、バビロニアの豊かな光に、神の創造の力を知りました。敵国であっても、神の力は、なお働いていることを確信しました。
 
 その確信は、繰り返されます。「夕べがあり、朝があった。」異国にあっても、創造主なる神の力は働いている。一日一日が確実に流れて行く。朝の来ない夜はない。
今は、光が薄れる夕方であるかもしれない。しかし、確実に光溢れる朝となる。
捕囚のイスラエルよ、頭を上げよ、光を仰ぎ、神を讃美せよ。
 
 「第一の日である。」第一には、第二、第三が続きます。光によって時間が生み出され、
一日が連続し、歴史が作られます。そのときのユダヤ人にとって苦しい歴史ですが、それもまた主なる神ヤハウェが支配される歴史です。
苦難の中にいるイスラエルに向かって、主なる神は、今も生きて働きたもう。希望を持て。
神の民として、讃美して生き続けよう、と語りかけています。
 
現代に在っても、苦しみ、悩みの中にある人々は、この創造物語を読む時、慰めと望み、そして力を与えられるでしょう。