2013年5月26日日曜日

動機は愛か欲か



[聖書]フィリピ11220
[讃美歌21]351,481、
[交読詩編]99:1~9
 
この手紙は、パウロによって書かれました.その生涯の終わりごろ、紀元60年前後に、ローマ帝国内のどこかにある牢獄の中で書かれています。その場所は、カイザリヤ、ローマ、エフェソのいずれかであろう,と言われています。

パウロ、元の名はサウロ。ユダヤ人の中でも、とりわけ熱心に律法を研究し、それを守ろうとするファリサイ派のひとりでした。彼は生粋のユダヤ人でしたが、同時に生まれながらのローマ市民でした。この市民権は、当時の世界では、特権を保証するものでした。千人隊長クラウデオ・ルシアという人が登場しますが、この人は、長い軍団生活における功績の報奨金、戦利品によって、この権利を買い取っています。

パウロは、キリストを迫害する者でしたが、キリストを宣べ伝える者に変わります。彼は、シリアのアンテオケ教会を根拠地にして、外国伝道に出かけました。当時のアジア州、今のトルコから、マケドニア、ギリシャにまで伝道しました。このあたりの西はアドリア海です。その向こうはイタリア半島。当時の世界の中心です。

彼の行く先々へは、かつての仲間、ファリサイの律法主義者たちが、押しかけて、活動の妨害をしました。ユダヤ人の訴えにより捕縛されたパウロは、此処で切り札を出します。

ローマ市民の権利により、この件を皇帝に上訴する、とクラウデオ・ルシアに申し出ました。隊長は、無罪放免にするつもりでしたが、パウロの権利を尊重せざるを得ません。パウロを警護する兵士を整え、ローマへ向かいます。

パウロは、ローマ軍の兵士たちに守られ、首都ローマへ向かいます。これまで三度に渉る伝道旅行では、アドリア海を渡ることは出来ませんでした。パウロの熱意も能力も、首都へ行き、キリストを伝えることは出来ませんでした。

投獄される、ということは、普通なら都合の悪いことです。不具合なことがたくさん起きてくるでしょう。マイナスの出来事です。ところがパウロは、却って「福音の前進に役立ちました」と書きます。マイナス、と考えていたけど、現実は、プラスになった、と感じています。

どのようなことが起きたのでしょうか。

第一は、前回お話したように、パウロが、不法行為のために投獄されたのではない、と言うことが理解されるようになりました。当時、監視の兵士は、囚人と手鎖で結ばれていたそうです。さまざまなことが語られたでしょう。パウロは、キリストを宣べ伝えていたので、こうして皇帝の法廷に訴え出ることになった、と話したでしょう。そのことが理解されるのは、福音の前進に役立ちました。

第二の点は、パウロが投獄された結果、多くの者たちが、キリストを宣べ伝えるようになったことです。これまで、その仕事は、パウロの独壇場でした。すっかり、彼に任せられていました。彼が投獄され、自由に動けなくなった時、人々は、パウロが出来ないならば、自分たちが少しでもそれを補おうと考えました。パウロを助けよう、と考え、教えを伝えた人たち、逆にこの際パウロの勢力を、名声を傷つけてしまおう、という考えの人たちもいました。

キリストを宣べ伝える動機は何でしょうか?

15節では、妬み、争いの念、善意から、と語ります。

「キリストを宣べ伝えるのに、妬みと争いの念に駆られてする者もいれば、善意でする者もいます。」
18節「口実であれ、真実であれ、とにかくキリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。」

118は、少々驚かされる言葉です。どのように理解するべきでしょうか。
ある学者は、これをパウロの諦めの心境、と考えます。
「厳しく監視されていた監禁生活の終わりの頃となれば、(諦めの気持ちは)当然のことである」アルフレッド・プラマー

此処に現れた党派的宣教者とは、パウロ終生の敵、ユダヤの律法主義者(フィリピ3)ではない、と考えます。彼らは、異なる福音、福音と呼ぶべきでない教えを語りました(ガラテヤ169)。パウロは、このような宣教であれば、生命を賭して闘うでしょう。

「党派心」、エリセイア、特段、悪いことではありません。「賃金のために働く」「報酬を取って働く」。これは現代でもごく普通のことです。自分の利益のため、他人を押しのけても自分の得となり、権益となることのために働く。職業的な仕事、自分を見せ付けるための仕事。今では自己アピール、パフォーマンス、と言う言葉で表現されています。
我々は、馴らされてしまいました。これが普通のこと、当たり前のことと考えるようになりました。70年代までは、容子が違っていました。
ボランティアが、本来の意味で用いられていました。無報酬で奉仕の活動をすること。
ボランティアで報酬を求める、と言うのは論理矛盾です。
パウロは、他の人々の宣教が正当かどうか判断する基準として、その動機を取り上げました。動機の正しさは、必ずしもその方法、手段に結びつかないかもしれません。良い動機であっても、悪い手段を選ぶことがあるでしょう。悪い動機であっても、たまたま良い方法、内容に至ることもあるでしょう。動機がどうであれ、伝えられているのがキリストなら、私はそれを喜ぶであろう、とパウロは考えました。それは諦めだ、とする学者もいます。私はもっと積極的なことを考えます。

 

アドニラム・ジャドソン(1788-1850)のことをお話しましょう。
少年時代から大変な秀才。父親は名声を得ることを期待し、少年は野心を持った。
大学に入る前、病気となり、その病床で不思議な声を聞く。長く記憶する。
「我々にではなく、我々にではなく、神のみ名がほめたたえられるように」
大学時代、友人の影響で無神論者になります。大学卒業後、旅先で、この親友の死を経験し、野心を棄てる。
さまざまな経験の後、神学校に学び、宣教師となる。1812年、ケープコッドを出航。
この地は、ピルグリム・ファーザーズが上陸した所。

ジャドソンが、ビルマで大変困難な活動をしていることは、レポートによって米国内に知られていた。休暇で帰国すると、多数の教会が彼を招き説教、講演を依頼した。彼は、それを引き受けて、語った。キリスト・イエスの愛を。

彼の支援者たちは言った。「もっとビルマでの困難や、危険を話して下さい」。

「私にとって最大の発見・経験は、キリスト・イエスにおける神の愛です。これ以外のことを話すつもりはありません」。

パウロにとっても同じだったに違いありません。
自分が称賛されること、認められることも、かかわりのないことでした。キリストにおける神の愛が、それだけが大切でした。神に背く罪人を愛してくださり、独り子を犠牲にして、罪人の罪をお赦しくださる。この愛が伝えられることに引き換えられるものは、どこにも見つけられません。

 キリストを証するようになった人たちの動機は、パウロに対する愛でした。
同じことをしている他の人たちの動機は、自己拡張の自己愛だったようです。妬みです。
彼らを問題にしないパウロの動機は、神の愛を知ったことでした。何物にも換えがたいアガペーの愛です。これを顕してくださったキリスト・イエスに対する愛も働いています。
アガペーは、代償を求めず、与える無私の愛です。最もこれに近いのは、母の愛である、と言われます。

 子どもは、本能的に、直感的に本物を知ります。母の無償の愛を知ります。その中に代償を求めるような気配があると、抵抗します。ジャドソンが無神論になったことはそのひとつの顕われです。野心家になり見返してやろう、あるいは、非行に走り困らせてやる、と言う形が多いのです。キリストを通して神の愛を知る時、私たちは待った気合をもって愛することが出来るようになります。

2013年5月19日日曜日

福音の前進のために


[聖書]フィリピ11220
[讃美歌21]194,152,529,78、

厚別の気温も、ようやく20度近くまで上昇したようです。5月下旬になろうとする頃、春の花たちが競うように咲き誇っている、と言いたいのですが、そうでもないようです。

大通り公園の桜は、蝦夷山桜がほぼ満開。他の種類、染井吉野、里桜などはまだまだでした。レンギョウは盛り。コブシは盛りを過ぎたところ。ユキヤナギは、白いものがちらほら、モクレン、チューリップは膨らみ、色づいて見えました。各種の花が、一斉に咲きそうだな、と感じます。これも最近の寒さのお陰、と思います。北海道らしさ、その素晴らしさを知るために、ひとつの、大きな恵みと感じています。

本日はペンテコステ、聖霊降臨日です。これは、クリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大祭の一つです。ペンテコステは、ギリシャ語で「50番目」という意味の言葉です。元々、ユダヤ教に過越の祭から50日目に「7週の祭」と呼ぶ、小麦の収穫を祝う祭がありました。そして、紀元70年以後、この日を律法授与の日として大切にしています。その「7週の祭」をギリシャ語に翻訳したのが「ペンテコステ」、つまり7週(=49日)を経過して50日目、という言葉なのです。新共同訳聖書では、「五旬祭」と訳されています(使徒言行録2:1)。旬は10日という意味ですから五旬は50日となります。
 この五旬祭、ペンテコステの日に、聖霊(神の御霊、真理の霊とも言われる)が、天から降りました。当時、主イエスの12人の弟子を初め、120名ほどの者が一緒に集まって、主イエスが約束された聖霊が降るのを、熱心に祈りながら待っていました。彼らは約束の聖霊に満たされ、神の力を受けて、いっせいに様々な国の言葉で神の福音を語りだしました。言行録第2章です。このとき、ペトロの説教を聴いて、3000人ほどの人が洗礼を受け、仲間になりました。これが教会の始まりです。ペンテコステは教会の誕生日です。

さて先ほど、フィリピ11220をお読みいただきました。

先ずこの部分で、パウロは、自分の最近の状況をフィリピの人々に知らせています。それも大変嬉しげに、喜びをもって知らせます。ひとつは、自分が監禁されている、という既知の知識を伝えます。いつからか分かりませんが、兵営に捕らわれていたようです。此処では、プライト―リオンという語が用いられています。これは、間違いなくローマ軍の兵営です。なぜなら、パウロが活動した地域、を支配していたのがローマ帝国だからです。他の国の支配は、排除され、ローマの支配権が優先されるようになっていました。

そしてパウロは、生まれた時からローマの市民権を有する自由民でした(言行録2227)。総督ペリクス、千卒長クラウデオ・ルシア。カイザリアで、2年間、監禁される。

  プライトーリオン、①総督プロクラトールの官邸、公邸。カイザリアではヘロデの建てた宮殿が総督官邸として使われ(行伝2335)エルサレムでは市内西部「ヨッパの門」の側にあった北西のアントニアの兵営が使用された(マタイ2727、マルコ1516、ヨハネ1828等)。②(皇帝の)近衛兵団、近衛隊、兵営、または皇帝の裁判所の役人たち、フィリピ113は、この意味で用いられている。     上訴の経過は、言行録2511.総督はフェストに代わる。

パウロの監禁場所は、このほかにエフェソとローマが考えられています。フィリピ教会への手紙がどこで書かれたか、不明です。フィリピからの距離を考えると、エフェソという説が有力です。残念なことに、この説には大きな弱点があります。言行録は、エフェソでの監禁を記録していない、ということです。

ローマ市民の権利としてパウロは、皇帝に上訴しました。出廷までローマ市内で監禁されます。一軒の家の中に監禁され、外部の人が自由に訪ねてくることが出来たようです。

上訴した人間を警護する目的の監禁だったようです。

半世紀近く、聖書を勉強してきたことになります。最初に教えてくださった先生方の多くは、彼岸の人となられました。その書かれたものも、多くは入手困難になりました。

今は、自分よりもお歳若な先生方が、教えていますし、その著書なら手に入る時代となりました。更に、その若い先生も定年退職するようになりました。驚くような変化です。

神学校に入った年、『ローマ書二文書縫合説』が公になりました。なかなか受け容れられないようです。しかし、その手法、考え方は認められたようです。研究者の中から、フィリピ書二文書説、あるいは三文書説などが出るようになりました。

本来の感謝の手紙、律法主義者を警戒せよと教える手紙、贈り物への感謝、

もっと細かく分ける考えもあるようです。ただし、その分け方などは、人によって違うし、一致は見られません。

昔は考える必要もなかったことを今は考えなければならない。情報過多の時代となり、その中から選択することが求められる。たくさんの出版企業が、それぞれ出版活動をしている。その中で、読者から選ばれなかった出版物は、廃刊される。企業は倒産するか、他の領域へ転進することを余儀なくされる。選ばれなかったのは、その出版物の内容が、知るほどのないものとして退けられた、ということを意味している。情報は吟味され、必要に応じて蓄えられ、用いられる。 

パウロの投獄は、当時の教会の人にとって、何のための信仰か、何のための福音なのか、という疑問を抱かせたに違いありません。世俗一般の人たちも同様の疑問を持ったでしょう。そればかりではありません、パウロは犯罪者なのではないか、と言う疑いを持ったかもしれません。

そうした事情だからこそ、彼はこの手紙を書き送る必要を感じたのです。パウロの監禁は、不法行為を働いたためではなく、ただキリストを信じ、宣べ伝えたためです、と。

そうした事情が、監禁されている所の人々に理解されるようになったことを、パウロは喜び、伝えようとします。私の身に起こったことが、かえって福音の「前進」に役立った。

活動していた人が捕らえられてしまえば、その活動も中断され、停滞するのが当たり前です。ところが、その活動、福音宣教の業が、進展した。これが、パウロの喜びの報告でした。ある学者は、これは監視の兵士が洗礼をうけたことを示している、と考えます。

そこまで行くと考え過ぎになるでしょう。ローマ市民が、ユダヤ人の信仰問題で訴えられているので、本来自由の身である、ことが理解されたのでしょう。

 

パウロは、血筋では生粋のユダヤ人です。同時に法律の上では、生来の権利所有者としてローマ市民です。二重国籍であることが、パウロの宣教活動を助けました。ユダヤ人の迫害を逃れて、ローマの支配者に身を委ねることを得させました。

更にパウロにひとつの信仰、確信を与えた、と言えるでしょう。それは、「我らの国籍は天にあり」ということです。一人の人間が、地上に存在する二つの国で市民権を同時に持つことが出来るように、同じ人が、同時に地上の国と天の国の二つの市民権を持つことが出来る、と考えることが容易でした。

 

日本とユダヤは、国籍を血筋によるものとしています。それも主として、父親による者としていることもよく似ています。それに加えてユダヤは、信仰をひとつの条件とします。ユダヤ教であり、その割礼です。割礼があれば、肌の色や話す言葉の違いなどがあってもユダヤ人と認めます。

アメリカとローマ帝国は、移民による多民族国家という性格にもよるのでしょう。領土内での出生を条件とし、二重国籍を認めます。徴兵制度があります。その時点で、二つの国籍のうちどちらかを選択します。どちらの国家に忠誠を誓いますか、という問いと向き合うことになります。

 

「かえって福音の前進に役立った」

奇跡的な逆転は、誰の力でもなく、聖霊の力、その働きによって起こされます。

「体が弱くなったことがきっかけで、あなた方に福音を告げ知らせました」ガラテヤ413、「かえって福音の前進に役立った」フィリピ112

 

これらのパウロの言葉は、驚くべき逆転が、彼自身の力ではなく、神の聖霊の力によることを語っています。

『聖霊によってのみ教会は、主が居られる所には苦しみはないとする態度から、苦しみのあるところに常に主が居られるという態度への奇跡的な転換を経験することができるのである。』クラドックp55

 

それにしても、福音の前進とは何でしょうか。何を指して語るのでしょうか。

使徒言行録の中で、しばしば教会の進展報告がなされています。24147、67

此処では、洗礼を受け、多くの者が仲間になった、と語られます。しかし、パウロの場合は、そのようなことではありません。パウロの事情が周囲の者たちに明らかになった、と言っています。それが福音の前進になるのです。

 

キリスト教は、ローマ帝国東部の辺境で始まりました。パレスティナは、帝国の東の辺境です。パウロは、エルサレムでその活動を始め、シリアのダマスコ、アンテオキアに移り、そこを根拠地として西へ西へと活動を広げました。目指すのは帝国の首都ローマです。

自力では無理だったようです。不思議なことに、軍団兵の護衛つきで、ローマへ行くことになりました。パウロの活動に対する理解、上訴の事情に関する理解が、役に立ちました。

 キリストの福音をローマへ至らせることが前進。当時のローマは、悪の巣窟、バビロンと呼ばれています。パウロは、この地を目指していました。数量や、支配力や、改宗者の数でもない。諸悪の巣窟へ福音を至らせる。

 

 私たちは、神様も自分の利益に奉仕してくれるもの、と考えるような世界に生きています。ごく自然に、信心をしているから、問題はないはず、大丈夫、と考えています。ところが私たちの現実は、信仰のあるなしに関係なく、思いがけない時、都合の悪いときに大問題が襲い掛かってきます。そして、神も仏もあるものか、とつぶやきます。

牧師も同じです。天地創造の神への信頼を語り、四季折々の神の恵みを讃美することを勧める説教者。礼拝を終え、玄関へ出ると雨になっている。なんだ、雨か!

どこかへ行く予定があったのでしょうか。それとも、家路に着く信徒たちの足元を心配してのことでしょうか。いずれであっても、神を自分の都合のために存在していることに変わりはありません。

 

 パウロは、私たちを、共に喜ぶものになるよう、招いてくれています。

神は、間違いなく、私たちの苦しみの時に、私たちの傍らに共にいてくださるのです。

私の好きな祈り、文章、201088日、玉出教会説教《家族》より確認、引用

この家の主はイエス・キリスト、
  すべての食卓に見えざる客あり、
  すべての会話に沈黙の聴き手あり。

2013年5月12日日曜日

知る力と見抜く力


[聖書]フィリピ1111
[讃美歌21]194、227、530
[交読詩編]93:1~5、

例年より厳しく、長い冬が、ようやく春に場所を譲ってくれたようです。桜の開花宣言が出ました。近隣では、ツツジが咲き落葉松の葉が大きくなり、芝生が青々として、太陽は暖かい香りを注いでいます。北海道生活の醍醐味でしょうか。34日、雨が降ると2日ほど晴れる。この繰り返しで春を飛び越えて夏に向かうのかな、と感じてきました。もちろん、桜や梅が咲く春は、間違いなく来るでしょう。咲いている間だけが春で、それが散ると、夏が来るのではないでしょうか。予想を超える激しい変化があって、とても面白く感じています。

 さて、本日は、17以下を学ぶことになります。

78節は、パウロの愛の告白と言いたいほどのものがあります。一般的な、恋愛感情とは違います。彼が、その愛する者たちを思い起こす時、喜びをもって祈るような、愛を意味しています。
 パウロは、自分の愛は「キリストの心」(8節)であると語る。
「キリスト・イエスの愛の心で、あなたがたを思っている。」
「キリスト・イエスの熱愛をもって愛している」。このようにも訳せます。
熱愛は、スプランクナ。心臓、肺臓、肝臓、腎臓など内臓を指す言葉。心が所在すると考えられ、特に愛、悲しみ、怒りなど深い感情が発する所と考えられていました。常に複数形で用いられます。キリストによって引き起こされる深い愛情を指しています。
 このようなパウロの熱愛は、三つの性格を持ちます。
パウロは、ピリピの教会に対して、誠意を尽くしています。それは、他人からの働きかけに応える愛ではなく、こちらから働きかけて行く愛なのです。
「あなた方一同に」対する愛です。教会の中の協力者だけではなく、反対する者たちも含んでいる、と前回お話しました。4節の「あなた方一同」。
そして、ただ、神だけが、そのことをご存知であり、証明してくださるのです。

 私たちは、愛があれば、何事もなく、完了する、と考えたい者です。「愛があれば大丈夫」。

しかし、現実はそうは行かないことを知っています。愛があるから問題が起こるし、愛があるから解決が困難になる、ことを知っています。確かに、愛し方が悪いことがあります。愛してはならない相手があることも理解できます。それぞれが、ご自分のこと、あるいはご家族のことなどで経験しておられるとおりです。
 

パウロは、フィリピの教会、その信徒を愛します。彼らが、信仰的に成長、発達することを求め、祈っています。私たちは、愛は、そのあるがままを愛するもの、と知っています。同時に愛は、その人の成長、成熟を求める者です。人は、愛されて愛を知り、その愛に相応しい者へと成長、成熟して行きます。そこでパウロは祈ります。

9節、「わたしは、こう祈ります。」

「知る力と見抜く力を身に着けて、あなた方の愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。」

口語訳は、次の通りです。「あなた方の愛が、深い知識において、鋭い感覚において、いよいよ増し加わり、・・・何が重要であるか判別することが出来、」

「知る」、識の字を使うこともあります。知ることには、学ぶこと、理解すること、考えること、記憶することなどさまざまなことが含まれます。そのうちのどれだろうか、悩む必要はありません。総合すればよいのです。

もっと大切なことがあります。ユダヤの民は、幼少の頃から聖書を学びます。箴言17

「主を恐れることは知識の始めである。」知る力とは、主を恐れることではないでしょうか。恐れを知らないでいると、自分自身を主の座に立たせるようになります。自己神化です。

「見抜く」とは、事柄の上辺を貫き、その奥に潜む真実に触れること。すなわち隠された奥義に到達すること。「感覚」は、道徳に関するあらゆる感覚である、とされます。口語訳は、「鋭い感覚」としました。ことの善悪を見抜くのだから、鋭いのでしょう。

『宗教とは、すべての事柄の第一原因を神に求めることである』と定義した人がいます。すべてのことには、隠された秘密・ミュステーリオンがあります。これが、神の奥義であれば、人間の側からは、決して到達することは出来ないでしょう。
しかし神が、これを開いてくださるならば、到達することが出来ます。これが啓示です。
アポカルプトー、覆いを取る、正体を現す、暴露する、
(今までミュステーリオンであったものを誰にも分かるように)明らかにする。啓示する。
アポカルプシス、現すこと、覆いを取ること、出現、啓示、黙示。

パウロは、此処で単なる謎解きを勧めているのではありません。神を知る知識を語っています。
知る力と見抜く力は、人間の理性と考えます。しかし理性が、神を知る知識になるわけではありません。しばしば、自分自身の利益を考えるでしょう。

パウロも、決してそれで良しとはしません。その結果、「愛が豊かになり」と語ります。物事を知り、見抜くことができたとき、その蓄積された情報に、愛という蝕媒を加えると化学変化が起こります。すると、何が重要か、正しく判断することが出来るのです。そしてこの愛は、どのようなものでしょうか。触媒は、それ自体は変わらないで、他のものに働きかけ、それを変える力を持つもの、と習いました。私たちの愛は、いつも、それ自体が変化し、大変不確実なものです。触媒になるのは、キリスト・イエスの愛であり、それによって引き起こされる愛である、と示されます。



パウロは、律法を学びました。当時の大学者ガマリエル先生の弟子として、高く評価されていました。たくさんの知識や大勢の人からの賞賛は、彼にとって「損失」と考えるようになります(378)。

「そればかりか、わたしの主イエス・キリストを知ることの余りの素晴らしさに、今では他の一切のことを損失と見ています。」

口語訳は次の通りです。
「私の主キリスト・イエスを知る絶大な価値のゆえに、一切のものを損と思っている。」

10節、後半から、祈りのまとめとなります。何を求めているか、明らかにします。
「キリストの日」は、旧約における「主の日」(アモス520、ゼファニア114)をキリスト教的に言い換えたもので、再臨すなわち、キリストの出現のことです。

パウロの祈りは、二つの懇願で締めくくられます。愛において成長、成熟することと神から与えられる義の賜物の成就としての生活をすること。

愛は、情緒や感傷ではなく、学ぶこと、理解することに結びつき、重要なことについて、善悪の理に適った選択をさせるもの・力です。ローマ122は次の通りです。

「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを弁えるようになりなさい。」

10節、キリスト者は、アプロスコポスになること、「とがめられることのない者」になることを求められています。

プロスコポス、(プロスコプトーを語源とする)、向かって打ち付ける、ぶっつける、ア、は接頭辞として否定、共通、強意等の意味を付加する。

この語は、他の人の躓きにならないことを指しています。人を罪に導かない、責められるところのない。此処では複数形が用いられている。誰かひとりの人ではなく、信仰の仲間全体に語りかけているのです。

パウロは、牢獄の中から、愛にあふれ、喜びと讃美に満ちた手紙を書きました。それは、暗い闇の中にありながら、光り輝いています。そして、私たちすべての者を、この秘密へと招いています。暗黒の中に輝く光へと、歩もうではありませんか。

2013年5月5日日曜日

神に感謝し、祈る


[聖書]フィリピ1111
[讃美歌21]194,482,495、
[交読詩編]95:1~11、

前回、気になりながら、お話できなかったことから、始めましょう。受信人たちです。

先ず「キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち」、以前は、「にあって、にある」と訳されました。「あって」エン トー クリストー、英語のINが用いられています。キリストの中にある、と言いたいのでしょう。合致する、適合する、一致、などさまざまな考えが可能です。新共同訳は、『結ばれている』という訳を採用しました。血が通うような結合、と理解されることを期待しているのでしょう。生命的な、一緒に生きている、という感じが出ている、と感じます。

「聖なる」、ハギオイスという言葉は、日本語の聖人とは、かなり意味が違います。修行して、世俗からは特別な人になる聖者とは違います。神のものである、あるいは、神のご用に当たる者、という意味です。悔い改めた罪人すべてが、聖なる者です。

「監督たちそして執事たち」、(エピスコポイス カイ ディアコノイス)、
エピスコポス、監督、管理者、保護者、NTの監督は、いくつかの群れを主宰するものではなく、ひとつの群れに複数の監督がいた。彼らへの尊称が長老であった。ディアコノス、食卓の給仕人ディアコニアから発する。奉仕者、教会の実務的奉仕者、世話役、奉仕者たちという翻訳もあります。通常『執事』と訳されています。

組織としての教会は、役職を備えていますが、その名称は、この二つのほかに牧師(ポイメーン)、長老(プレスブテロス)が、よく知られています。

ポイメーン、羊飼い、牧者、群れの先頭に立って、青草と水のあるところに導く。外敵と戦い群れを守る、エフェソ411。キリストはすべての者の大牧者である、ヘブ1320、Ⅰペトロ225
プレスブテロス、年長の者、老人、LXXでは使節、使者を指した。ヘブルでは、重要な指導的ポストにあるものを指した。サンヘドリン(七十人議会)の議員、町や市の指導者、教会の長老、これは正式に選出され任じられた者(使徒11302017、ヤコブ514

本来これは主ご自身が育て、作る者であり、それを見た人々が「この人こそ我々の霊的長老だ」と認めて、選ばれ、任じられる者。(エピスコポスは、彼らの機能面を指している)

日本基督教団は、教会が保持している伝統に従って、呼び方を選ぶことを認めています。
私の経験では、「長老、執事」を順序をつけて用いる教会。幹事、長老、役員があります。
これらは、いずれも教会運営に当たる者たちへの呼び名の性格が強かった、と感じています。本来の、信仰の先達であり、尊敬される者たち、という性格は余り感じられませんでした。私たちの教会では、役員と呼びます。かなり、組織運営に当たる者、という性格が強く感じられます。役員は、信仰の先達、霊的指導者であることも忘れず、敬意を払っていきたいものです。選挙に当たっても、この二つのことを忘れないようにするべきです。

パウロは、二つの語、『恵みと平和』を挨拶に用いました。信仰に基づく誠実さがよく顕われるものです。恵みは、上位の者から下位の者に、対価なしで与えられるもの。

パウロは、このことばで、すべての罪人の罪の赦しを意味しています。そして平和は、戦争、争いのない状態を指すものですが、聖書では、より内面的な、心の平和を指し示します。ここにおいて、二つのものが一つのこと、罪の赦しに結び付けられてきます。

この挨拶のことばは、もうひとつのことを指し示しています。

カリス、恵みという語はギリシャの日常的な挨拶のことば。エイレーネーは、ヘブライの言葉に直せば、ユダヤ人の日常的な挨拶の言葉シャローム。パウロは、フィリピの教会の二つのグループ、ギリシャ人とユダヤ人の集団の仲たがいを心配していたように考えられます。ひとつのように見られるフィリピの教会、その中にも対立があり、争いの種が絶えることはありませんでした。パウロは、心配していました。この二つをひとつに纏め上げることを願って、二つのことばを並べて用いたのです。バランスよく挨拶する、という細やかさを感じます。

さて、本日の部分、3節以下に入ります。この部分は、難しい文章です。主文は、『思い出す度ごとに、祈りの度ごとに、神に感謝している』。その理由を次のように書きます。
『最初の日から今に至るまで、福音に与っているからである』。ドン・ボスコ社の訳は、ほとんど、これと同じです。

思い出すたびに神に感謝し、祈るたびに、喜びをもって祈っている。

此処で、与っている、と訳される語は、コイノーニアです。本来「共有する、共に与る」。何を共有するか、金銭、苦難、働き、感謝、恵み、祈り、苦難その他何を共有するかによって、訳は変わります。この手紙では、何回もこの言葉が用いられます。そこで、ある註解者は、次のように書いています(クラドック、p45)。

「フィリピの教会、信徒は、これほどにパウロの宣教と福音の語りかけに完全に一体化していることを証明している」。

実は、36節の部分で、4節は挿入されたもの、と指摘されています。一体化しているようですが、大変細かい配慮を必要とする食い違いがあったようです。この最初の宣教地にあっても、後々まで災いすることになる、ユダヤ人たちの妨害があったのではないでしょうか。フィリピの信徒とはうるわしい信頼関係を築いているけれども、後から入り込んできて、悪い噂を撒き散らす人々によって、動揺するのではないか、と心配していた、と考えられます。

それでもパウロは、分裂を引き起こす狙いの人たちをそしり、退けようとはしません。

「あなた方一同」のために祈ることを明言します。パウロと親しい者だけではなく、対立的、反発的な者たちも祈りのうちに捕らえています。

こうした反対勢力がいたことは、32「あの犬どもに注意しなさい」という文章が、明らかにしています。彼らは、ユダヤ人の律法主義者でした。似て非なるものには注意が必要です。パウロは熱心なファリサイ派のリーダーだったようです。かつての仲間から裏切り者とみなされ、執拗に狙われました。キリストを信じる者たちの中に入り込んで、対立と争いを引き起こそうとしていました。

今日、キリスト教を標榜しながら、全く違うものたちがいます。キリスト教年鑑にもその名前が、キリスト教団体として掲載されています。出版社の人に聞いたことがあります。掲載料・協賛金、広告料の収入です。勘弁してください。という答えでした。私たちが、充分気をつけて見分けなければならないようです。見分け方があります。

イエスを唯一の救い主とするか。預言者に過ぎないとするグループがあります。

66巻の聖書を唯一の正典とするか。他に、~経典などを最上のものとしています。

主イエスの甦りを信じ、日曜をその記念の日、主の日としていますか。

土曜を安息日とする人たちがいます。

この三点は、直ぐに分かります。キリスト・イエスではなく、ユダヤ教なのです。

あるいは、全く新しい教祖を頂く新興宗教です。

それは結構ですが、キリスト教の名を利用しないで戴きたいものです。

そのような反対者たちがいても、主なる神は、始められた善い業を、キリスト来臨の日までに、完成してくださる、とパウロは確信しています。だから、喜びは消えることがありません。私たちの信仰を崩そうとして、狙い撃ちしてくる者たちがいます。足元ではなく、遠い先にある望みを見詰めましょう。喜びと確信が沸いてきます。