2013年7月28日日曜日

キリストゆえの逆転

[聖書]フィリピ3111
[讃美歌]419,149,518、
[交読詩編]71:14~19、

本日は、先週、お話しするはずだった「肉」のことから始めます。
「あの犬どもに注意しなさい」と切り出した文章。読み進めると、それは、「切り傷に過ぎない割礼を持つ者たち」であることが分かります。そして、彼らこそ「肉に頼る者」である、と言っています。ずいぶん厳しく、ひどい言葉だ、とも感じられます。パウロ自身、ユダヤの宗教を熱心に信じ、その戒律を熱心に守るファリサイ派の一人だった、ことを思えばなおさらです。天に唾するようなものであり、自分自身を嘲るようなものではないでしょうか。また自分の青春時代の全てを否定しても大丈夫なのか、と心配になります。

このところをよく読むと、確かにユダヤ人、割礼を持つ者たちを警戒しなさい、と言います。彼らは、肉に頼る者たちだからです。この肉とは何でしょうか。
聖書の「肉」サルクス、おもにヘブル的な意味に用いられる。
    人体または動物体の肉の部分、すなわち皮や骨に対する肉をいう。サルクス カイ ハイマ(肉と血)生まれながらの人間、自然のままの人間、人間性、人間存在を表すヘブル的迂言法
    肉体、人体を構成する実質、有形の要素、身体、からだ、;すなわち人間から例と精神を除いた物質的部分。この意味のサルクスはソーマの意味に、大体等しい。
    人間、人類、特にそのもろさや肉的性質に言及せず、単に「人間」と言う代わりに「肉」でこれらを表す場合
    自然的起源、血のつながり、血縁関係、肉親、血統、
    肉なるもの、肉的存在、;肉的存在としての人間の本政情有する肉的弱さ、もろさ、無力さ、不完全さ、はかなさとうに言及する語。
    倫理的意味における肉。信仰者のあるべき状態においては霊によって支配され服従させられているべきものが、人間の人格全体を支配しているものとしての肉、肉性、人間の官能に支配されやすくまた罪の中へと駆り立てようとする性質。  

此処では上より恵みにより与えられるものに対し、人間の側での有形の業績、律法の行為、人間の側での努力・功績・価値に言及することが、意味されています。フィリピ334
キリストの十字架以外に、人間の力によって何かを加えることで救いが完成する、と考えるようなことです。これが「肉を頼りとする」ことの意味です。

多くの人は、神に委ねることが、無力の印であり、勇気のないことだ、と考えます。
そして、何とかして、自分の力の徴、勇気を印象付けることをしよう、と努めます。
自分の力を誇り、弱くないこと、強いことを証ししようとするのです。無力で、弱くて、臆病であって悪いのでしょうか。恥ずべきことなのでしょうか。確かに、これでは、誰からも賞賛、称揚されることはないでしょう。
有能で、強くて、特別な勇気を示すと、それが戦時であれば特別な称揚の対象となります。
勲章が与えられ、階級が上げられ、広く告知されます。
安倍総理の愛国心、戦力による防衛、自衛隊の海外派遣など一連の構想は、こうした賞賛の機会を広げる役割を果たします。自衛官が正装した時、その左胸に、沢山の勲章が、その略章が飾られています。最初の頃、旧軍隊を経験した人が入隊し、何もない胸が寂しい、と言っていたものです。
自衛隊で、それほど多くの勇気と能力が発揮された特別なことがあった、とは聞いていません。災害救助活動でしょうか。海外派遣では、保険に加入する、ということも聞いています。支払いが、多数発生した、とも聞いていません。組織は組織を守るために行動する、と聞きました。
産官軍複合体は、誰のために存在するのでしょうか。誰を守るのでしょうか。
北朝鮮軍は、金王朝三代という国体を守るために組織されています。忠誠の誓約。

使徒言行録241416は、大祭司アナニアの告発に対して、総督フェリクスの前でパウロが行った弁論の一部です。割礼を受け、律法を守る者たちへの気持ちが少し分かります。

14 ただ、わたしはこの事は認めます。わたしは、彼らが異端だとしている道にしたがって、わたしたちの先祖の神に仕え、律法の教えるところ、また預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じ、
15 また、正しい者も正しくない者も、やがてよみがえるとの希望を、神を仰いでいだいているものです。この希望は、彼ら自身も持っているのです。
16 わたしはまた、神に対しまた人に対して、良心を責められることのないように、常に努めています。」

此処には、二つの重要なことが、語られています。
第一は、律法、予言の示すことをことごとく信じていることです。すでに、イエス・キリストを信じる者となっているパウロですが、同時にひとりのユダヤ人として、かつて学び、実行してきた教えを、廃棄することはしていない、と語ります。しかし、新しく与えられた信仰は、律法の行いによって、自分の救いを成就できるとは考えていません。
フィリピ39私には、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」

第二は、自分たちの正しさや、正しくないとの判断によらず、全ての人が、主イエスの甦りに与るようになる、と信じていることです。
 此処で正しいと言う言葉は、ディカイオスが用いられます。これは、神の義しさの標準に合致していることを示します。神の眼から見て正しい。従って絶対的な意味ではディカイオスなのは神(ヨハネ1725)とキリスト(1ヨハネ21)だけであるが、相対的な意味で人についても(マタイ119、同101、行伝1022)使われることがある。しかし厳密な意味においてはディカイオスな人は一人もいない(ロマ310)のが事実で、ただキリストによってのみ人は義なる者として生きることが出来る(ロマ117)。

パウロは、ユダヤ人の生き方を嘲り、罵ろうとは少しも考えてはいないようです。自分自身、全く彼らと同じ生き方をしている、と語ります。57節にその内容が記されます。
割礼は、掟に従い八日目に受けている。
イスラエル十二部族の残りの一部族ベニヤミン族の出身。
ヘブライ人の中のヘブライ人、と誇ります。
律法に関してはファリサイ派の一人として研鑽を積み、その名を知られている。当時、著名な律法の教師ガマリエルの弟子としてもその名を知られていました。
これらのことは、パウロにとって決してくだらないことではありません。しかし、これらは、彼に義をもたらすものではありません。いまや、十字架と甦りの主を知り、与えられる義、救いの恵みを知った者には、無用のものとなりました。
教会が律法による自分の義を求めるようになるなら、計り知れない損失を受けざるを得ないのです。パウロは、信仰による神からの義を受ける者として、それには何ものも付け加えようとは考えていません。パウロが求めるものは、10節が示します。

10節、スンモルフィゾー、・・・と同じ形、形において等しくする、フィリピ310では、キリストと同じ経験をすること。「彼の死と同じ形を取る」、パウロに見られる神秘的なキリスト体験を言っている可能性があります。

パウロの信仰は復活に始まり、復活に終わります。復活のイエスを経験したことが、彼の信仰の土台であり、かなめ石です。パウロは、言行録236で、「わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、私は裁判にかけられているのです。」と語ります。母の胎内にいるときから、となるでしょう。両親も敬虔なファリサイ派ユダヤ教徒であった,という事でしょう。彼はそれに、一層磨きをかけました。

パウロの回心の経過は、言行録9章です。彼は、死んで、葬られたはずの主イエスと出会います。この結果、迫害する者から、宣べ伝える者へと方向転換します。伝道者パウロの出発点は、主イエスの復活です。終着点も「死者の中からの復活」となりました(11節)。
この復活の主との出会いは、多くの人に大変化をもたらしました。
前回ご紹介した水野源三さんの詩をもう一つ、『キリストを知るためだと分かりました』
病に倒れたその時には
涙流して悲しんだが
霊の病いやしたもう
キリストを知るためだと分かり
喜びと感謝に変わりました

友にそむかれたその時には
夜も眠れずに悩んだが
とわに変わらない友なる
キリストを知るためだと分かり
喜びと感謝に変わりました

過ちを犯したその時には
心をみだしくやんだが
すべてをばつぐないたもう
キリストを知るためだと分かり
喜びと感謝に変わりました

甦りの主イエスは、背を向けている私たちの前の方に廻り込んで来て、会って下さろうとしてくださっています。怖くはありません。固く閉じている眼を開けましょう。お目にかかることが出来ます。感謝して祈りましょう。





2013年7月21日日曜日

肉に頼る者たち

[聖書]フィリピ3111
[讃美歌]419,152,395、78、
[交読詩編]107:1~9、

第3章は、フィリピ書らしい言葉で始まります。「喜びなさい」カイレテ エン キュリオー
それに続く2節には、驚くべき言葉が出てきます。
「あの犬たち」、パウロは手厳しい嘲りの言葉でユダヤ人のある者たちを呼んでいます。
彼らは、もともとパウロの同胞、仲間であった、と考えられます。そして、律法というユダヤ人共通の基準を裏切った、と受け止めています。自分たちユダヤ人の誇りを汚辱の中に叩き込んだと感じているようです。パウロに対して殺意を燃やしています。
三次に渉る伝道旅行の間も、彼の後を追いかけ、活動の邪魔をし、教会の中に入り込んで分裂を仕掛けたりもしました。
言行録2312は、パウロを敵視するグループがあったことを告げています。
「夜が明けると、ユダヤ人たちは陰謀をたくらみ、パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てた、このたくらみに加わった者は四十人以上も居た。」
これは、21章の出来事からの続きです。第三次の旅行も最終の段階、ミレトスでエフェソの長老たちに別れを告げ、船出して、ティルスの港に着きました。更に船で沿岸を南下しプトレマイスに着き、カイサリアを経てエルサレムに上ります。
言行録2127、「七日の期間が終わろうとしていた時、アジア州から北ユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所(神殿)を無視することを、至るところでだれにでも教えている。・・・」
パウロは、このユダヤ人グループに対抗して、皇帝への上訴、という非常手段をとりました。パウロが居なくなっても、その活動の結果を破壊しようとして、各地に出没していたようです。

今やフィリピの教会は、たいへん危険な敵対者の目標となっています。パウロは、律法主義のユダヤ人たちによる、キリストの教会の混乱と分裂を恐れています。
パウロは声を大にして警告しています。律法、人の行いによって義が得られるならば神の恵みは無になり、人の業績が脚光を浴びることになる、と(ガラテヤ21621)。
『救いは我々のもとにあるのではなく、神のもとにあるということである。割礼を誇ってはならないのと同様に、無割礼を誇ってはならない。安息日を守ることを誇ってはならないのと同様に、安息日を守らないことを誇ってはならない。宗教的な思い上がりは、ユダヤ人の専売特許ではない。』クラドック、P 102
福音ならざる福音は、今日の教会の中に、また私たちの中にも見られるのです

 パウロよりも前の頃から、帝国内においてユダヤあるいはユダヤ人には、幾つかの印象が定着していました。
先ず、やかましい民族だ。論議が大好き、些細なことでも論じ合うことによって、決着をつけようとする。ローマの喧騒もかなりのものですが、旅行者にとっては、たまらないほどのものだったでしょう。
 次は、宗教に熱心であり、先祖伝来の神に対して、忠実である、という点。ヤハウェの神を信じて、その掟を堅く守る。帝国の皇帝礼拝を守ろうとしない。これは独立、自立の動きとなり、国家への反乱が起こりそうだ、と恐れられ、疑惑の眼差しで見られていました。60年代半ばから小競り合いが始まり、70年のユダヤ戦争となります。
 第三は、これと関係が深い、と考えられます。清らかな結婚生活、ということでしょう。
当時のローマでは、王侯貴族たちの間、いわゆる上流の人たちの間で、男女関係の乱れが普通に見られました。それは凄まじいものだったそうです。
心あるローマ人の中には、そうしたことを避けて、ユダヤ教の清潔な男女関係・一夫一婦の制度に心を寄せる人も少なくなかった、と言われます。
 
言行録182に、このような記述があります。P249
「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。此処でポントス州出身のアクラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。」
これはローマ上流階級の娘が、ユダヤ青年と結婚したひとつの例と推測されています。何よりも清潔な結婚を求めたのでしょう。ユダヤ人同士の喧嘩・口論の騒ぎを理由とした有名な追放に際し、共にローマを出てこのコリントまで下ってきました。

私たちが、生まれてこの方、意識を持って生きるようになってから、どのように生き、何を求めてきたでしょうか。簡単な言葉を用いれば、それは幸福の一語でしょう。ただその後が全く変わります。幸福実現のために何をするか、しないか。
*集め、積み上げる傾向。学問知識、実績、賞賛、名誉、地位、財貨。これらによって幸福になる。
*散らし、与える傾向。財貨、賞賛、実績、名誉、地位。これらがなくても幸福。
たとえ、自分が努力して作り上げたものでも他者の業績として、それを推奨する。
結実も他者に分け与えて喜ぶ。他の人たちの喜びを主キリストが喜ばれるから、私も喜ぶ。
そのためには、自分の権利、特権さえも譲ってしまうことができる。
 
実はパウロが、その前半の人生において求めていたものも同じことでした。
パウロの人生を決定的に変えてしまうものは、キリストとの出会いです。

 主イエスとの出会いが、人をこれほど大きく変えてしまったのです。

水野源三さんという詩人がおられました。この人は,193712日生まれ。私より3年前の同日。198426日帰天。長野県の町のパン屋さん。9歳の時、集団赤痢のため脳膜炎を発症、以来寝たきりの生活となる。話すことも書くことも出来ない生活。宮尾隆邦牧師が訪問したことにより、聖書を読み、13歳、信仰に入る。母の努力もあり、瞬きによる対話が生まれ、讃美の詩歌を作り、発表するようになる。その作品は「信徒の智」市場などで読まれるようになり、好評を得る。詩集も作られ、更にそれに伴い、音楽作品も作られ演奏され、喜びをもって聴かれるようになっている。『瞬きの詩人』として知られる。
私は、岩槻教会の青年で、青山学院大学聖歌隊の卒業生、金子兄からCDを頂いて愛聴していました。大阪時代、ある音楽家がチャペルコンサートのご奉仕をしてくださった。感謝のしるしに、このCDを差し上げた。PCに入れてあるはず、と思って。ところがなかった。大失敗、後の祭り。以来67年も聞いていなかった。ようやく彼に再送してもらった。金曜日、届き、早速、久振りに聞くことができました。懐かしさと、感動と、喜び。
水野源三の詩による讃美曲集、『こんな美しい朝に』』第Ⅰトラック。
  川口耕平作曲、藤本敬三指揮,青山学院大学聖歌隊

《キリストにお会いしてから》
一、戸をかたく しめきっていた
部屋に入ってこられた
キリストにお会いしてから
きりすとにおあいしてから
二、その両手と 脇腹に
  きずあとが いたいたしい
  キリストにお会いしてから
  私の心が かわった
三、信じないものに ならずに
  信じなさいと言われた
キリストにお会いしてから
私の心がかわった
お会いしてから

皆様には、是非、キリストにお会いしていただきたい、と願っています。
礼拝は、本来、今も活けるキリストにお会いする時です。私は説教者ですが、キリストにお会いしたいと願っている皆様のお邪魔になっているのではないか、と恐れています。
出会いの邪魔をするような説教者は、呪われてしかるべきです。

自分のために集め、力を誇るよりも、他の人の喜びのために散らし、与える生き方へと、心が変わる。そこに生まれてくるものは、深いよろこびです。幸せです。嬉しいことです。
感謝して、祈りましょう。

2013年7月14日日曜日

エパフロディト

[聖書]フィリピ22530
[讃美歌]419、120,456、
[交読詩編]102:16~23、

219の頭に、「テモテとエパフロディトを送る」との小見出しがありました。前主日は、その前半、テモテに関して学びました。とりわけ「送る」ペンポーの意味について学ぶ所がありました。使命を与えられて送り出されることでした。本日は、その後半になります。

先ず、エパフロディト、その名の意味は何か? 「魅力ある」ということです。
彼は、パウロの友人であり、同労者。パウロが獄につながれていた時、フィリピ教会からの贈り物を持ってきたフィリピの信徒。

コロ1:174:12、ピレ23には似たような名前、エパフラスが出ています。これは、エパフロディトの短縮慣用形ですが、パウロ書簡中のふたりは、おそらく別人でしょう。
エパフラスは、コロサイ生まれ(コロサイ412)、おそらく異邦人。コロサイ教会を建てた人物(コロサイ17)、彼は更にコロサイの近くにあるラオデキアやヒエラポリスの教会の人々のために熱心に祈っていました(コロサイ413)。彼は、パウロと共に投獄されたこともあります(フィレモン23、コロサイ書とフィレモン書とは堅く結びついている。これがローマの入獄中に書かれたと見る伝統説と、エフェソの獄中で書かれたとの両説があるが、後者の可能性が高い。)・・・彼は元来パウロから教えを受けたのではないが、パウロを尊敬し、パウロの指導を受けつつ、パウロの伝道活動の一翼を担って、自分の故郷のリュコス河流域の諸都市の伝道に志し、そのために労苦した人物であろう。(木下順治)
 パウロは、エパフラスだけに重々しく「キリスト・イエスの僕」という句を入れて呼び(コロ412)、また「わたしたちと同じ僕」(17)とか「キリストの忠実な奉仕者」(17)と呼んでいるのは、パウロの信頼と尊敬とが並々ならぬことを示しているようです。

東京のある牧師の説教を短く引用しましょう。大変優れた説教者、牧師のようです。
「エパフロディトは、牢獄にいるパウロのために フィリピ教会から遣わされた人物です。 当時の牢獄は、割と自由に面会の人に会うことができ、食事の差し入れをすることができたようです」。

私たちは、パウロ自身も「獄中」と語るものですから、まるで彼が囚人であり、拘束されている、と考えてしまいます。事実は違います。彼は自由なローマ市民であり、自由の身として皇帝の法廷に訴え出た人です(言行録25章)。この告訴人は、自由を阻害されず、むしろ警護されるのがあの時代のローマ法だったようです。緩やかな行動規制・拘束はあったでしょう。基本は、囚人ではなく告訴人です。皇帝は、告訴人を被告訴人の暴力から守らねばなりません。パウロは、自分の借りた家に住み、多くの人と話すことも出来たのです。使徒言行録2830は、このように理解されるはずです。
「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」

エパフロディトは、ローマ到着後、大病にかかりました。それを聞いたフィリピの信徒たちは非常に心配したので、パウロは彼の健康が回復するのを待って、直ぐにフィリピに帰すことにしました。そのとき携えたのがフィリピの信徒への手紙、と考えられています。

塚本虎二は、次のように訳しています。
「しかし、(とりあえず今は)私と共に働き、共に戦い、また君達の使いとして私の窮乏を助けてくれた兄弟エパフロディトを君達の所に遺ることが必要だと考えた」。

「窮乏を補ひし」は「必要の奉仕者」でパウロに対する献金をエパフロディトに持参させたことを指します。「奉仕者」レイトウルゴス  は祭司の職を行う者を指す語であって、ピリピの信徒は、パウロの必要を満たすことによって神に仕えているのです。

エパフロディトは、フィリピの教会からパウロのもとへ送られた人、その目的は何か。
獄中のパウロ先生の日常を、フィリピの人たちに代わって助けること。これが彼の使命。
彼は、パウロを助けてよい働きをしたようです。ところが残念なことに病気になり、使命を終わりまで果たすことが出来ませんでした。これは、教会にとり、パウロにとり、そして彼にとっても大きな挫折。またエパフロディトにとっては、教会とパウロへの申し訳なさを強く感じさせられたことでした。
要するにエパフロディトは主キリストに対する熱愛より、主の使徒たるパウロに仕え、かつピリピ人の代理としてパウロに全心、全力を尽くして仕え、これによってピリピ人の不足分を充たそうとしました。この熱心のために彼は瀕死の病にかかります。
 
エパフロディトの病状に関しては、瀕死の重病とあります。生命が危険な状態になったようです。パウロを助けるために来た者が、助けられる者になってしまいました。これは、大きな挫折、心苦しくもなるでしょう。そうした経過で、彼は癒されました。

やがてやまい癒され、元気を回復したエパフラスの望郷の念。そして、そのエパフロディトを帰郷させようとするパウロの心が示されます。
 当時、(そして現代でも)生まれ故郷から一歩も出たことのない人が多くいます。遠く離れたところで病気になったらずいぶん心細いことでしょう。パウロは、そうした気持ちが、良くわかる人でした。パウロ自身、多くの弱さを身に持つ者であり、危機的な状況を経験してきたからです。苦しみ、悩み、悲しみ、そして病を知る人でした。

 それにしてもパウロは、何故急いでエパフロディトを急いで帰そうとするのでしょうか。
決して厄介払いをしようとするものではありません。
「直ぐに帰す」,此処ではペンパイ、ペンポーが用いられています。
テモテに関しては、19節「遣わす」、23節「送る」。まるで異なった二つの言葉だったように訳されましたが、もとは、同じ言葉でした。結論的になりますが、パウロは「使命を与えて派遣する」意味の強いアポストローを避けるかのようにペンポーを使っています。ごく普通の意味です。
エパフロディトに関して、口語訳は送り返す、黒崎、塚本は「遣る」、前田は「送る」と訳します。新共同訳の「帰す」では異なった意味を考えるでしょう。現象としては、間違いなく帰郷です。しかし、パウロがペンポーに持たせていた、アポステロー、「使命を与えて派遣する」意味が消えます。これは残念なことです。なぜなら、パウロは、単なる帰郷とは考えていなかったからです。

 エパフロディトは、死ぬほどの大病から回復しました。暗黒の淵から光へと帰ってきました。経験のある人はわかります。単なる帰還ではない。新人の誕生、再創造。
「ここからは、これまでとは違う生き方を考えなければならない。新しい命だから」。
199710月、脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血になり、開頭手術。
これは、今考えれば、エパフロディトを体験することだったのです。新しい生。

 フィリピ教会からの贈り物を持ってきたエパフロディト、フィリピの人たちの愛を身に帯び奉仕してきたエパフロディト、病のため挫折し、フィリピ教会とパウロに対し負い目を感じているエパフロディト。神はこのような彼を憐れんでくださいました。病が癒されました。病気になったエパフロディトによって、神の憐れみが顕されました。
フィリピの教会の人たちは、彼の病気を知り、心配しました。そのことを知ったエパフロディトは、かえつて申し訳なく思ったでしょう。回復しました。帰れます、帰りたい、帰れない、という状態になりました。
 故郷、郷里とは、自分が、本来的にいるべき所です。フィリピに行きたい、帰りたい、という想いには、切なる物があります。パウロは、この心情を理解しました。
 パウロは、エパフロディトを帰すのではなく、派遣する、と考えました。それがペンポーに表された心です。元に戻すのではありません。使命を受けて送られてきたエパフロディト。彼を逆にこちらから派遣する心です。その使命は、生きる喜びです。

「あなた方は再会を喜ぶでしょう」と訳された28節。
黒崎訳は、「再び会して喜ぶ」、会うことよりも再び喜ぶことに重点が置かれます。
パウロによる派遣は、喜びを内に抱き、喜びをもたらし、分かち合うことを使命とします。
人の考える使命は、さまざまな事情によって、挫折します。しかし、神はそれをも用いて神の使命へと変えてくださいます。挫折からの派遣

 パウロは締めくくります。
「彼のような人を敬いなさい」キリストの業のために命をかける人は、尊敬される値打ちがあります。しかもそのことを誇ろうともしない人です。

2013年7月7日日曜日

テモテを派遣する

[聖書]フィリピ21924
[讃美歌]194,17,504、
[交読詩編]119:105~112、

此処で名前を挙げられたテモテは、どのような人物でしょうか。教会では、しばしば青年テモテ、と呼ばれます。どんな人にも青年期があれば壮年期、老年期があります。にもかかわらず、いつまでも青年と呼ばれるのは、彼の活動が伝えられるのが使徒言行録によっており、そこでは青年時代のことだけだからです。言行録、手紙の中から、彼の姿を見つけてみましょう。
パウロの書いた幾つもの手紙に、共同発信人として名を連ねています。
パウロの第二伝道旅行以来、ローマに至るまで、絶えず彼の側近でした。
年若いが、信頼された弟子であり、協力者(スネルゴー、力を共にする、の意)。
コリント(Ⅰコリント41718)、テサロニケなどに派遣され指導に当たります。
その信仰は祖母ロイス、母ユニケから受け継いだものでした。
伝承によれば、65年、テモテはパウロにより主教の按手を受け、エフェソの主教となる。
80年または90年ごろ、エフェソで殉教。正教会では「聖致命者、使徒」と称される。

最初の登場は、使徒言行録161節、パウロの第二次伝道旅行の途中のことでした。
「パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシャ人を父親に持つ,テモテと言う弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。」(パウロは、テモテを同行者とするため、彼に割礼を施した。)
すでに立派な成人として登場します。実は,祖母や母も、パウロの第一次伝道旅行に際し、パウロによって入信した、という説もあります。
家族の信仰継承については、テモテへの手紙その二15に書かれています。
「その信仰は、先ずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると確信しています。」
父親はギリシャ人ですが、その信仰に関しては、何も触れられていません。家族内での、信仰伝達の難しさを示しているようです。

この手紙を書いたパウロは、フィリピ教会へテモテとエパフロディトを送ろうとしています。荷物を送るのではありません。現代日本の人材派遣とも違います。私の第一印象では、これは宣教師の派遣と似ている、ということでした。
ある教区に居た若い頃、新しくおいでになったアメリカ人宣教師を訪ねることになりました。教区通信に紹介記事を載せるためです。予備知識なしで、行きました。日本人であった夫人が一緒に現れました。話すうちに、色々分かってきました。
奥様も宣教師であること。ふたり一組で派遣されてきていること。紹介は一緒にすることになります。などでした。

思い出しました。多くの宣教師は夫人同伴が当然であり、夫人も同じ宣教師であったことを。例外は、甲府でお目にかかった婦人宣教師、この方は教育職についておられたためか、お一人だったように見えました。伺わなかっただけで、お二人で来ておられた可能性はあります。
教会は、宣教に派遣する時、原則的にふたり一組を採用してきました。私が知る所では、ホーリネスの群れ、ホーリネス教団は、国内の牧師であっても、神学校を卒業して赴任する者は、結婚して行くように積極的に勧めています。神学生の男女の数の違いもあり、難しいと思いますが、ご夫婦で牧師として一教会に仕えていることが多いようです。
ルーテル派の教育宣教師も単身のようです。

教会の伝統は、多くの場合、聖書に起源があるものです。
主イエスは、12人の弟子を選ばれました、「使徒と名付け」、ご自分のそばに置くため、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権威を持たせるためでした(マルコ313以下、マタイ、ルカの平行箇所)。実際の派遣は、どのようになされたでしょうか。マルコ66b13では、「彼らをふたり一組にして派遣された」、とあります(マタイ、ルカの平行箇所)。

72人が任命され、二人一組で派遣され、帰ってきたことは、ルカ10120に記されています。これは、イエスが行くはずのところへ、先駆として派遣されています。この72人の件は、ルカだけが伝えています。

ギリシャ語聖書は、70人が選ばれた、と伝えています。日本聖書協会訳の聖書は72人と訳しました。
サンヘドリン・最高議会は別名七十人議会。モーセが選んだ長老は70人(民数11161742)当時世界の国数は70と考えられていた。これらと平仄を合わせて70人だったのではないでしょうか。
ヘブドメーコンタは70である。72126倍の意味か。協会訳の72人は、その根拠不明です。

選任された7270)人を正教会では「七十門徒」と呼び、これも『使徒』に数えています。

また、エマオへ向かう道で甦りの主イエスが姿を現されました(ルカ2413以下)。このとき、主にお会いできた弟子たちも、ふたりが一緒でした。

初期の教会では、エルサレム会議の結果をシリアのアンティオキア教会に伝える使者として、バルナバとパウロを選び、ユダとシラスを添えて派遣します。ふたり一組のふた組です。非常に慎重な形です。

これには、ユダヤの長い伝統が生かされている、と考えられます。ユダヤでは、何事であれ、二人以上の証言がなければ、真実とは認められません。イエスの弟子の集団から派遣されるのは、キリストの甦りを証言するためです(使徒2321331)。証言であれば、二人以上であることが、不可欠になります。
教会は、派遣される者を常に二人以上とする伝統を作り上げてきました。

このほかにもテトスの派遣の記事(Ⅱコリント81623)もありますが、割愛します。

さて、テモテの派遣については、1テサロニケ315 (2,3a)にも同じような記述があり、同じ動詞(ペンプサイ)が用いられます。
「わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテをそちらに派遣しました。それは、あなたがたを励まして、信仰を強め、このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするためでした」。 (2,3a)
この手紙は、パウロの手紙の中でも最初に書かれたものであろう、と多くの学者が認めています。
「派遣」に用いられている言葉は、ペンポー、と言います。
ペンポーは、送る、遣わす、を表現する一般的用語。その類語、アポステロー。
アポステローには、職権を委任して、という意味が加わります。宣教師派遣もこの語。
名詞になってアポストロス、遠征隊、艦隊、使者、使節、使徒。
 パウロは、ローマ書1:1などで、使徒を自認していますが、あの12人の者たちとの権威の違いに憤慨しているように感じられます。使命をより正しく果たしているのは誰か、実体を見て欲しい、といっているように感じられます。

両教会への派遣を、パウロがどのように理解していたか、考えることができるでしょう。
一つは、何ら、職権に関わることのない友好的な訪問と見ていた。これは、パウロが教会の状況に関し、心配していたことを踏まえると、妥当性が薄いようです。
もう一つは、パウロは二つの言葉の区別を、余り意識していなかった、という考えです。
不思議なことを発見しました。アポステローは、福音書と使徒言行録では、用いられています。しかしパウロの手紙の中では、用例がごく僅かです。Ⅱテサロニケの一例を除くと、フィリピ416「物を贈る」、ローマ1524、Ⅰコリント166「あなた方に送ってもらう」、そしてⅡコリント8で「テトスを送る」。
確かに、パウロはペンポーに、アポステローの意味を持たせています。派遣の意味が強いと言えるでしょう。此処での「派遣」は、軽視して良いほどのものではありません。パウロは同じ意味で用いているようです。

 テモテを送り、フィリピ教会の様子を知って、力付けられたい、とパウロは希望しています。テモテは、使命を託され、派遣されています。フィリピ教会の様子を調べる、感じる、帰って、パウロに報告し、その結果パウロが力付けられる。
パウロはそれほどに、フィリピの反キリスト勢力の活動を恐れていました。教会の分裂を心配しました。ひとりの主を信じ、主と仰ぎ、従っていても、全く違う教会に成る恐れがあります。一生懸命、甦りのキリストを証してきたパウロにとって、これは許しがたい事でした。だからこそ、元気な教会の様子を知りたいのです。

パウロは、テモテのような、年若く、弟子にあたる者からも力を受けることが出来ます。
キリストの福音にかかわることなら、いつでも可能なことです。パウロは、教会が一つ心でいること、イエス・キリストをひとりの主と仰ぎ、従っていることを聞くとき、元気になります。

そして今、私たちも、テモテ同様、派遣された者なのです。
使徒という語は、使命を帯びて派遣された者を意味します。まもなく、礼拝を終わります。

クリスティアンの務めが終わった、と感じて帰って行くのなら、その礼拝はレベルの低いもの、と言わざるを得ません。さあ、それぞれの生活の場へ、派遣されて行くのだ。その場で、イエスこそ私の主キリストである、と証をするぞ、とお考え戴きたいのです。