2013年8月25日日曜日

苦しみを共にする

[聖書]フィリピ41020
[讃美歌]425,208,459、
[交読詩編]104:24~35、

212に始まる段落には、『共に喜ぶ』という小見出しが付けられています。
41020の段落には『贈り物への感謝』という小見出しが付いています。
それに対して、私は、『星のように輝く』、『テモテを派遣する』と題しました。
もっと素直に、小見出しと同じにしても良かったのになあ、と感じています。
わざわざ違う題にしたのには、理由があります。

小見出しは、聖書本文ではありません。読者の便宜を考えて付けられたものです。英語の有名な、権威ある聖書でも、かなり以前から採用されています。そうであっても、本文でないことは確かです。

過去の日本語訳聖書、文語訳、口語訳は、小見出しを持っていません。多くの個人訳聖書にも付いていません。小見出しは、その翻訳にかかわった人たち、学者による、ひとつの解釈です。便利に思い、利用することは結構です。しかし、それを絶対視しないでください。従って、礼拝の聖書朗読では、原則として、これは読みません。

新共同訳聖書を読むとき、どうしても便利な小見出しが見えてしまいます。新しい感覚で読むことも大事です。時には、見出しなしの聖書で読んでみて下さい。

私の青年時代、聖書は傍線を引いたり、書き込みをしたりして、読みなさい、と教えられました。書物は大事に、綺麗に読みなさい、というそれまでの教えと全く逆でした。同時に、まっさら状態の聖書も準備しておいて、新鮮感覚で接することも大事だ、と学びました。小見出しは便利です。同時にひとつの解釈、感覚に縛られる危険性があります。

 41220は、エパフロディトによってピリピ教会から届けられた贈り物への感謝・礼状と言えるでしょう。

フィリピの教会・信徒とパウロは、普通の信徒と使徒の関係よりも、よほど深く、強い関係を築いていました。フィリピの信徒は、パウロにとっては福音においても(15)、監禁されている時も、法廷で弁明する時も(17)、対立においても、苦しみにおいても(130協力者であり、他の教会と違って、幾たびとなくパウロの宣教活動のため、財政的援助を担いました41516)。

パウロはフィリピの信徒を心に留め17)、キリスト・イエスの熱愛を持って深く思い18)、彼の喜びであり冠である友として愛し、慕っています(41)。

この手紙のお礼状の部分には、素直な気持ちの表現とは、少々違うものを感じます。屈折した感情と言われるようなものが、感じられます。

「今まで思いはあっても」出来なかった、と。

「それを著す機会がなかったのでしょう」410

初めの言葉を少し引っ込めるようですが、矢張り非難は続く。

「自分は、贈り物を必要とはしていなかった」、また「求めてもいなかった」411

更に有名な言葉を、珠玉のような言葉を連ねる。

「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。

貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。」41112

「足ること」を学んだ、満足すること。ギリシャ語のアウタルケースは完全なる自給自足を意味します。

「ミクロコスモス」という考えがあります。小さな世界、あるいは完結した宇宙でしょうか。自給自足する自己充足の社会を意味します。江戸時代の社会はこの自給自足社会であった、と言われます。

 

ミクロコスモスの実験

水と空気、それに砂や小石などを入れたガラスの容器に、小魚と水草とバクテリアを入れて密封してしまい、外部から完全に遮断する。外から入るのは、ガラス越しに入る光と熱だけという状態にする。すると、光と熱のエネルギーによって水草は炭酸同化を始めて酸素を発生し、魚はその水草を食べて生き続け、排泄する。その排泄物はバクテリアの営養になり、バクテリアによって分解されて水草の営養になる。

それぞれの量的バランスが適正に保たれれば魚は繁殖するが、増え過ぎてエサや酸素が不足すれば、弱い個体が死ぬ。死骸はバクテリアが分解して、小さな世界のバランスを回復する。・・・・・我々もミクロコスモスに生きているのだ。

 

このアウタルケイアによって、ストア派の人たちは、人間があらゆる人々から無条件に、完璧に独立している精神状態と、人間が何ものをも、誰をも必要としない状態を学んだ。

ストア派の考え方は、理性で自分の強い感情(情念)に打ち勝つことが幸福である、というものです。そして、「自然に従って生きよ」をモットーとしました。

「自然に従って生きよ」の意味するところは、 理性に従って生きることで、世の中の時代の流れとは関係のない独立した自由を得ることができる、というものです。
これは、パウロの時代、ヘレニズム世界の主要な哲学思想の一つでした。

 1112節に記されたパウロの言葉は、所有する物によって支配されない、という点でストア派の考えと似ているようですが、13節が、それを覆します。哲学的な言葉が続いたその次に「わたしを強めてくださるお方のお陰で」と言います。ストア派哲学は、理性によって自由になろうとします。パウロは、キリストのお陰で、一切のこと、全ての物において、すでに自由を得ている、と語ります。人の理性は、曇る時もあれば、弱くなる時もあります。決して絶対的なものではありません。キリスト・イエスは、常に変わりません。

 おそらく、フィリピの教会の人たちは、パウロのこうした考えを知っていたのでしょう。にもかかわらず、パウロへ贈り物を差し上げました。困窮の中にあっても、あの先生は決して普通の人のように喜ばないよ、当たり前のように受け取るだけかもしれないよ、と感じていたでしょう。それが事実となりました。パウロは、フィリピの人たちへの感謝を抱いています。それを表現します。それが、14節です。

 14節、文語訳「されど汝(なんぢ)らが我()が患難(なやみ)に與(あづか)りしは善()き事(こと)なり。」口語訳 「しかし、あなたがたは、よくもわたしと患難を共にしてくれた。」

新共同訳 「それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。」
苦しみを共に、スンコイノーネーサンテス ムー テー スリプセイ
スンコイノーノー、共に仲間として与る、仲間として参与する、
スリプシス、迫害、艱難、苦難、圧迫、苦労、苦しみ、悩み、(語源は、スリボー狭める)パウロは、フィリピの人たちを私の苦難の仲間になった、と言って称賛しています。

快楽主義といわれるエピクロス派はもちろん、禁欲主義とされるストア派も、苦難を喜ぶことはありません。キリスト教徒も同じです。苦しみ、悲しみ、痛みからの解放、離脱を求めるのが常です。その先に幸福があると考えます。

パウロを慰め、励まそうとしたフィリピ教会からの贈り物。受け取ったパウロは、贈り物を価値のないものとは言っていません。彼のために送ってくれたものを感謝しないとも言っていません。「あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれた」と言っています。

苦難を避けようとするのが一般の人間、その考え方。それにもかかわらず、フィリピの人たちは、パウロを思いやり、あえて贈り物をしました。それは「苦しみを分かち合うこと」。

パウロのいう苦しみとは何でしょうか。スリプシス、スリボーを語源とする言葉です。
通るべき道が狭められることで、それは福音宣教の困難さ、信仰を保持することの難しさです。イエスを主キリストとして礼拝することの障害です。こうした苦難を一部でも分かち合おうとしたのが、フィリピ教会の人たちの行動でした。パウロは「喜びなさい、共に喜ぼう」と言います。喜びの共同体です。それは同時に苦しみの共同体でもあります。

パウロ最大の喜びは、フィリピ教会の贈り物と、それを促した愛とが神を喜ばせた、という点なのです。更に、パウロは、どんな贈り物も、贈り物をした人を以前より貧しくすることはない、と述べているのです。

神の富は、神を愛し隣人を愛する人々に開放されています。贈り物をする人は、以前にもまして豊かな、富んだ者とされます。

 どのような贈り物も、神への捧げ物として受け取られています。神が喜ばれる捧げ物です。捧げる者には、神よりの祝福が与えられ、多くの実を結ぶに至ります。

贈り物への御礼、素直さを欠いている。
贈り物は、神への捧げ物、神のもとで、君たちの勘定を増やしている。
神ご自身の祝福がある。
自分自身については、自足の生活、キリストご自身が必要を満たしてくださる。
礼拝の行為である。神が認め、あなた方の勘定を増やしてくださる。
商取引の言葉から、容易に信仰の言葉へと変えて行く。

2013年8月18日日曜日

平和の神は、あなた方と共に

[]フィリピ4:8~9、
[讃美歌]425、16、494、78、
[交読詩編]90:1~12

    (この説教は、会衆の顔ぶれにより、大幅に入れ替えました。)

本日の聖書、フィリピ489節は、お読み頂いて、ひとつのことを感じられたことと存じます。私たち日本人の社会通念のようなものが、此処にある、と感じられたのではないでしょうか。キリスト者が一般社会の道徳習慣に対してどのように考え、どのような態度を取るべきかについて考えることが出来るでしょう。

ここにある多くの徳目は、当時、ギリシャ・ローマ文化圏で正常とされた道徳思想です。
パウロはユダヤ人パリサイ派の道徳思想を持っている。同時に生まれながらのローマ市民として、ヘレニストの思想に親しんでいました。
キリストの教えは、それらとは、全く別の宗教でした。そのいずれかを選択し、取り入れる必要もなかったのです。道徳思想家の行動指針など必要としない教え、それほどに旧来の宗教とは隔絶しています。それゆえに、パウロにとって大きな問題が発生しました。
パウロが伝える教えに魅力を感じ、引き入れられる者たちの中には、ユダヤ教、キリスト教において禁じられているような生き方、人間関係を常とする男女がいたことです。
フィリピ教会で、多様な人々が、ユダヤの律法主義ではなく、またヘレニズムの道徳主義でもない生き方をすることをパウロは求めました。教会内で人々が、互いをそしりあうのではなく、いがみ合うのでもなく、折り合いを付けて、相手を認めて共に生きる道です。
外部に向けても調和的な生き方を勧めます。外部世界の人々からも認められるような生き方です。

福音信仰の砦たる教会を守り、宣教を進めるためには、教会員各員の良き聞こえが必要でした。パウロとその教会は、そのことに成功しました。やがて、手段であり、一つの方途であったものが目的のように考えられるのは止むを得ないことだったでしょう。

近代日本におけるプロテスタントキリスト教の宣教も、同じ轍を踏むことになります。
明治期では、封建制のもと身分制度からの解放が叫ばれました。換骨奪胎に過ぎなかった、と理解します。依然として身分と差別が行われました。
戦後日本は、新憲法のもと、全く変わったかのように見えました。それはうわべだけのことでした。古い支配層は、復活を策しています。
自由と平等、民主、平和が叫ばれるのは、それらが未だに達成されていないからに過ぎないように感じられます。差別の解消は、以前ほどには叫ばれなくなりました。達成されたのでしょうか。表面には現れない。水面下に沈んだ形で存在し続けているのです。若い政治家にとって老政治家は邪魔者に過ぎません。
被爆者が、受ける差別。知りませんでした。自分が被爆者であることを隠してきた、と聞き何故だろうか、と不思議に思いました。症状が感染すると感じていたのでしょうか。逃げ散って行った、と聞きました。
私たちの誰もが、差別する側の者であった、と気付くのです。慄然とします。

わたしたちを罪から解放し、自由にしてくれたキリストの十字架の福音が、その始まりとなってしまう。考えるだけでも恐ろしいことです。
自分は、福音を信じている。神との正しい関係に入らせていただいた。ありがたい。信仰に基づく良い行いをしている。他の人のお世話も出来ている。
信仰のない人たちとは違うことを感謝する。差別が始まってしまう。

一般道徳とキリスト教の関係を考えて見ましょう。
ただ信仰によって義とされるのであって、律法の行いによるのではない、という教理は、しばしば、一切の掟、律法を無視して恐れず、違反を敢行して恥じることがないということになります。そればかりではありません。異教社会の風俗、習慣、徳目等を軽視または無視する傾向は、キリスト者の中にしばしば見受けられるもの、と指摘されます。

しかしながら異教国日本の生活は、それほどに徳義善行において見るべきものがなかったのでしょうか。この民族の中でも、神は適当の方法をもって必要なる徳義と風習とを教えてくださったのではないでしょうか。その中にはそれらの国民にとって棄つべからざるもの、また棄つる必要のなきものが多く存在する。それ故にキリスト者なるが故にこれらを軽蔑しまた無視すべきではない。これらに対して相当の敬意を払うべきことは、当然のことと言わなければなりません。外国宣教師が敗戦国日本の古くからの共同体とその道徳習慣に対して尊敬を持たなかったことは、日本におけるキリスト教の発展の上に及ぼした障害は量り知ることが出来ないほどのものがあります。
 
カトリック教会は、ヴァチカン公会議において、世界各地において宣教を展開するに際し、各地旧来の土俗的習慣風俗を尊重するべきである、と決定し、教皇庁より通達した。同じ頃、日本政府は、各地方の祭礼を積極的に復興し、もって地方共同体の結合を強くすべし、と県庁から通達させています。地域の絆の再興、再編を求めたもの。そして家庭。
埼玉の小さな教会のとき、そのことを町の年寄り、町会長から教えられました。この背後には、靖国と神社神道が隠れている、と考えています。

八つの徳目を見ましょう。文語訳と並べてみます。
「全て真実なこと」(おほよ)そ眞(まこと)なること、 人間の真実さ。正直なこと
「全て気高いこと」(おほよ)そ尊(たふと)ぶべきこと、道徳的善の故に尊ばれること。品格
「すべて正しいこと」(おほよ)そ正(ただ)しきこと、法律的道徳的不正不義の反対。
「すべて清いこと」(おほよ)そ潔(いさぎ)よきこと、純潔、清浄なること。
「すべて愛すべきこと」(おほよ)そ愛(あい)すべきこと、人が一般に愛好すること。
「すべて名誉なこと」(おほよ)そ令聞(よききこえ)あること
 評判が良いこと、または人々によく聞こえていること(L3L1)の意味に解する。
「徳や」如何(いか)なる徳(とく)
: この徳 aretē はギリシャ古典において専ら用いらるる文字で、道徳を意味しているのであるが、パウロはできるだけこれを用うることを避けているかのようで、ここに唯一回用いているだけである。ここでも一般的に道徳として認められている事柄を指す。ロー(ギリシャ字母の第17字、r)のアレテーである。「徳、ギリシャ倫理思想において広い意味を持つ語、道徳的卓絶、卓絶した力(の現れ)」
これとは別に.ラムダー(ギリシャ字母の第11字,l)のレが用いられるアレーセーがある。辞書では本来、隠されていないこと、顕われているの意味である。その意味で、真の、まことの、本当のこと、真実な、誠実な。(レートーは隠れたの意、否定の接頭辞ア)。この部分最初の真実と訳された言葉が、このアレーセーである。
これは神学校で、アレーセーと言われるから「真理」、と教えられ、記憶した。
「賞賛に値することがあれば」いかなる譽(ほまれ)にても
賞賛、誉は、は一般の人々に認められることを指します。

以上に列挙された八つの事柄は、信仰より出てくる徳ではありません、一般に認められる社会道徳です。パウロはこれらを「心に留める、念(おも)ふ」べきこと、これに対して敬意を持つべきことを勧めています。これはキリスト者の謙遜の、当然の姿です。キリスト者は高い道徳水準を保持して、これを誇るようになり、その結果、しばしば一般の人々が道徳として尊敬している事柄について、一般の人以下の態度に出ることがあります。これは、悲しむべきことであり、充分に注意しなければならない事柄と言うべきです。
いわゆる旧来の陋習はこれを破らなければなりません。旧来の習慣の中に宿っている善い精神はこれを尊重して行くべきです。外国の習慣の盲目的模倣も、日本旧来の習慣の無批判的固執も、共に神から与えられた本来的意味の自由に関しては障害となります。

パウロは、このところで、キリスト教徒は、何よりも、その社会で受け入れられるほどであれ、と教えているのです。誰からも、後ろ指を差されるな、と。

「それを心に留めなさい」(なんぢ)()これを念(おも)。これは、考慮する、考える、推論することを意味する言葉です。考え続けることが求められます。学問研究はもちろん、日常生活の一こま一こまでも考えるのです。はてな、と感じたら考えなさい。
また、パウロがキリスト者を相互に、あるいはキリスト者をキリストに関係付ける時に用いる常套句であす。
「学んだこと、受けたこと」という表現は、伝承の受け渡しのことでしょう。ここに教会に独自性と連続性を与えることができる教えの根幹があります。おそらく、パウロは、フィリピの教会において、その礼拝その他諸集会で丹念に語り、教えてきたのでしょう。また自身の生活や行動についても、それを見習うように求めています。晩年のパウロが、それを語っています。
若い頃の彼は、キリスト教徒を迫害しようと家から家を襲ったり、息せき切ってダマスコへ向かったりもした人物です。おそらくパウロは、すべてのことに時あり期あり、としみじみ味わっていることでしょう。
「学んだこと」は「念(おも)へ」であってこれは生活上の参考であり、生活の原動力ではありません。生活の原動力は信仰であり、パウロの生活や教訓はその模範となるものです(3:17)。『愛はすべての原動力である』(原田季夫)

『すべての教会は、常に、形成途上にある』と書いたのは、エミール・ブルンナーです。バルト、ブルトマンと並び称される20世紀の大神学者。戦後の日本で、教育と研究活動をされました。とりわけ『無教会』に着目され、早稲田大学の酒枝義旗教授と協働されました。そうした中から生まれた書物の一つが『教会の誤解』、その冒頭に書かれた言葉です。「途上にある故に、常に問題を生み出し、その解決に向かって行動する」という意味のことも書いておられます。

教会に与えられる平和は、教会の内側に根拠を持つものではありません。そこには不和と対立があります。教会の外にもありません。そこには反対と攻撃があります。教会の平和は、ただ神にその根拠を持ちます。この神の平和が、私たちの心と考えを守ります。
個人も、教会も、主イエスを信頼して、思い煩いを止め、歩むことが許されています。
感謝して、祈りましょう。

2013年8月11日日曜日

喜び、喜べ

[聖書]フィリピ427
[讃美歌]425、12、152
[交読詩編]128:1~6、

カイレテ エン キュリオー パントテ、パリン エロー カイレテ。
Rejoice in the Lord always ;and again say, Rejoice.AV
FarewellI wish you all joy in the lordI will say it againall joy be yoursNEB

あるとき、教会のことを雑誌に載せる、ということで写真撮影に来た。記者と助手、カメラマン。話をして、教会内を案内し、最後に牧師の写真、ということで教会の玄関前に立ち、カメラ目線で、と言われてポーズした。と言うよりごく自然な形が良かろうと考えて、造った。出来上がりを見た人から、自然な笑顔が大変良かった、と言われた。「いつもああいう顔をしていたら良いのに」とも。このときは何も問題がないから、屈託のない笑顔ができる。しかし普通は多くの問題を抱えています。プレッシャーを、ストレスを感じているのに、笑っていられるか、と感じたことを憶えています。

喜べ、という言葉に対しても同じことを感じます。パウロ先生の言葉だから、私たちは、恐れ入らなくてはならないのだろうか。へそ曲がりといわれるかもしれない。それでも矢張り、喜べる状況でもないのに喜ぶことは出来ない、と感じる。単純だな。

パウロは、牢の中にいて、自分は喜んでいるのだから、君たちも喜べる、喜べ、と言っている。だから、恐れ入りなさいよ、とどこからか声が聞こえる。
さてさて、パウロの喜びって、一体どんなものなのだろうか。

23節には、ふたりの女性に関するパウロの、一人の人への言葉が記される。
ふたりの女性は、ユウオデアとスントケ。ふたりの間にはいわゆる確執があるらしい。
中身は不明。婦人たちを支えるように求められている人が誰であるか、これまた不明。
この頃、パウロの教会の婦人達は、祈りや説教をすることもあったようです(1コリント1115)。とりわけフィリピの教会は、パウロが、祈りの場に行って、「集まっていた婦人たちに話しをした」使徒1613、ことが発端です。またパウロは、手紙の中で、実に多くの女性を覚えて、挨拶しています。

「真実な協力者」と訳された語は、どのように読まれ、理解されるのだろうか。
グネーシー スンズゲー、くびきを共にするものを意味する。
gnēsie suzuge は難解。諸種の解釈がある。(1)スンズゴスという人名と見る。(2)パウロ自身、(3)パウロの妻、(4)シラス、(5)テモテ、(6)エパフロデト、(7)バルナバ、(8)ルカ、(9)ルデヤ、(10)ピリピにおける有力な監督等種々あるが不明。「軛を共にする者」とは夫婦、仲間等の関係に用いることが多く、パウロはこの場合ピリピの信徒の中でも、特にパウロと共にこの事態を憂うる者に呼びかけたのであろう。

「支えてあげてください」ス(ン)ランバノー、スンは、共に、一緒に。ランバノーは、取る、捕まえる、取り上げる、受ける、招く、に会う。ここでは、「捕える」というような意味の語で、この二人を同志の中に取り込むような心持を示しています。

クレメンスは、パウロとフィリピ教会の間では、知られた人物。おそらくピリピの教師であろう、との考えもあります。あるいは、紀元1世紀にローマ教会の長老で、であろう、戸も言われます。その名が記された手紙が残されているので、この人であろうとする説。いずれも根拠が薄いので、結論としては、不明。

「命の書」云々はすでに死せる聖徒を指す(B1)か否かは、不明です。

4節からは、再び『喜び』の調子に戻ります。
もう一度、この「喜び」という単語についてお話しておきましょう。ギリシャ語のカイローです。辞書にはこのようにあります。①喜ぶ、大いに喜ぶ ②(挨拶用語として普通、命令形で)カイレー、カイレテ,ご機嫌よう、ようこそ、こんにちは、さようなら、(普通、喜びなさい、と訳される;フィリピ3144)。このことは、忘れていました。
NEBは、ここでさよならの意味を捉えています。調べることができた翻訳には、同じものはありません。
FarewellI wish you all joy in the lordI will say it againall joy be yours

『北星教育と現代』第1号(北星学園キリスト教センター刊行)を読みました。
北星余市高校,第三代校長 馬場達先生は開校20年を振り返って、次のように表現されました。その文章を塩見耕一現校長が、「北星余市のキリスト教」と題した一文に、余市高校20年記念誌より引用しています。孫引きで申しわけありません。
「キリスト教主義にもとづく北星余市の教師たちは、この子ども達と一緒に苦しみをともにしながら、伝統の自主、自立の旗を高く掲げ前進を続けてきたと言えよう。」
「生徒達の現実に体当たりしながらともに汗を流し、喜び合い、苦しい思いや苦しさを乗り越えてきた。」

北星余市の先生は、苦しみ、悩みがなくなったから喜んだのではありません。その只中で、一緒になって喜び合い、祈りあうことが出来たのです。どのように祈ったでしょうか。
『神様、苦しみがなくなることではなく、苦しみを乗り越える力を与えてください』と。
喜べる状態だから喜ぶ、これは当たり前のことです。苦しみの中で、なお喜ぶ。

「あなた方の広い心を」、「寛容を」moderation[AV]、エピエイケイア
寛容は、他人が自分に対する悪しき態度や、他人より受ける損害等に対して、これを忍耐して柔和なる態度をもって接することです。これはキリストの再臨の近いことを知り、その際に受けることになる栄光を思う時、容易にこれを実行することができるでしょう。そうしてこれを、一般の人に示すことは、キリスト者の務めとされます。私には難しい。
クリスチャンに良く見られるのは、自分の失敗などは棚上げして、他の人の欠陥をあげつらうことです。有能であり、正義の側に立っていると確信しているため、そのことを証明、立証しようとします。江戸っ子は淡白、お人好し、お節介、自分のことより他人様の面倒を見る。
自分の側の非を認め、他者の立場を重んじることを先行させようではありませんか。
浄土真宗、親鸞の教えの一つは、自立他尊です。

「主は近い」、此処には、二つの解釈があります。一つは、主は直ぐ隣にいて、直ぐに助けの手を伸ばしてくださる、と言う意味です。私たちを安心させてくれる考え方です。
もう一つは、「主の日が近い」、終わりの裁きのときは、時々刻々近づいている、という考えです。Ⅰコリ1622の「マラン・アタ」はそのアラム語です。日常的に、口にされていた、と考えられます。多分、世間からの迫害等、苦痛に遭う時「今一息だ」というような心持で「主は近い」と言い合ったのでしょう。寛容の徳も、この信仰により可能となります。当時の信徒間の合言葉にとなっていたかも知れません。

「思い煩うな」、これは自分たちの幸福について臆病と疑いで一杯の、思い煩いの心に対して適用されるのであって、他人の状況には全く無関心で、自分だけぬくぬくと毛布に包まっていてよいという保証ではない。・・・配慮しないことを是認する聖句ではありません。
「思い煩いは心が神から離れて自己に、または物に向った時に起ってくる心である」(マタ6:2534)。
パウロ自身は、Ⅱコリント1128で「日々私に迫る厄介ごと、あらゆる教会についての心配事を抱えている」と語ります。当然のことでしょう。自分で処理すべきことを「神様よろしくお願いします」、と言って重荷を降ろす人もいる。自分で処理、解決できたら、有り難味もないし、信仰が不要になってしまう、と言う人もいます。そんな先のことを煩う必要はありません。いくらでも問題は出てきます。解決不能という事態もやってきます。
パウロは、テモテをフィリピへ送ろうとしています。これは、心配していないからではなく、真剣に心配しているからこその決断です。送ってからも心配し続けるでしょう。
主が助けようとして、すぐ近く、限りない近くで待っていてくださるから、自分の思い煩いを棄てることが出来ます。主は、棄てて良いのだよ、と優しく語り掛けてくださいます。

教会に与えられる平和は、教会の内側に根拠を持つものではありません。そこには不和と対立があります。教会の外にもありません。そこには反対と攻撃があります。教会の平和は、ただ神にその根拠を持ちます。この神の平和が、私たちの心と考えを守ります。
教会も主イエスを信頼して、思い煩いを棄て、歩むことが許されています。

そこで教えられる歩み方が、1テサロニケ51618と同じことです。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなた方に望んでおられることです。」
神は、私たちの見張り番となってくださるでしょう。

2013年8月4日日曜日

我らの国籍は天にあり

[聖書]フィリピ31241
[讃美歌]425,18,461、
[交読詩編]57:2~12、
 
311でパウロは、「何とかして死者の中からの復活に達したいのです」と語りました。
到達していないので、それを目指して走ることになります。
31214で、パウロは、走る競技者となります。
それは彼の、信仰によって義が与えられる、との主張と反する、という疑問が湧きます。パウロの考えでは、矛盾しません。クラドックは書いています。
「パウロにとって、信仰は走ることであり、格闘することであり、競うことであり、戦うことであり、キリストの日まで終わることがない。しかしその努力は功績を立てるためではなく、むしろ功績を立てようとする願いを全て捨て去った人間の努力である。」

この競技も、勝者には賞が与えられます。パウロが求めるのは、どのような賞でしょうか。パウロは、それが何かということを書いてくれませんでした。私たちは、推測するしかありません。功績を誇ることもないところで何が賞になるのか。
私にとっては、これは、罪赦され、神の子とされるということではないか、と考えます。
そのためには、イエスの十字架に何かを付け加えることをしない、という戦いが必要です。
これが、意外と難しいのです。自分の安心のために付け加えたくなるのです。君のためにイエス様が、充分に支払いをしてくださった、と言われても、何かしないと安心できない。

真理全体を、一人の人間の経験や、知識、思想から引き出し、纏め上げることは、ほとんど困難でしょう。それがパウロの言葉であっても、その考えによってキリスト信仰の全体を構築できる、とは考えないほうが良い、と感じられます。

法廷を指導し、審理を進める判事にとって、大事なことは「何が真実であるかを見極めることです」。一人の考え、判断では危険がある、ということで合議がなされます。首席、右陪席、左陪席、三人によって審理は進められます。最高裁判所は、憲法判断にかかわる場合、15人の判事全体の合議を行います。判決に反対の場合、その判事は自分の名前を書き残すことを求めることが出来ます。更に「反対意見」を書いて判決文とともに残すことも出来ます。専門の訓練を受けた、優れた人たちにしても、間違えることがあります。

同時に、責任ある指導者は、事柄をきちんとした筋道に立って語り、会衆を定められた方向へ導くものです。いつの時代でも、教会は、そのような責務を適切と信じる教師に委ねてきました。それでもトラブルは起きます。およそ20年ほど講壇を委ねられ、共に礼拝を守ってきた一人の牧師が、教会から辞任を要求されました。事情は知りませんが、これは大変不幸なことです。牧師にとってはもちろん、その教会にとっても不幸です。
私のよく知るある教会も、かつて止むを得ない事情の下、その牧師の辞任を要求しました。そうして新しい牧師を招き、建て直しに成功しました。しかし、あの教会は、牧師を追い出した「曰く付」だ、と言われ続けました。
この教会でも、そのことは、任職式、あるいは就任式において誓約されています。
他教会の就任式などに出席すると、この誓約を確認することが出来、たいへん有益です。

31741、「国籍は天にあり」、と語られます。
寛永十四年(1637)から翌年にかけて、島原半島南部で農民一揆が起こりました。
やがて、キリシタン一揆と合流し、双方の性格を持ちました。
島原の乱、天草の乱、と呼ばれます。戦国時代が終わった、と考えながら、本当にそうなのか、と半信半疑の頃に起こった戦いでした。徳川三代将軍家光の時のこの争乱を最後に戦いは影を潜め、太平の300年となります。この乱は、天草四郎時貞を総大将に、切支丹と呼ばれたカソリック信徒が結集し、そこに戦国生き残りの侍が参加したようです。
私見では、この結果、国内の生き残り・不平分子の大多数が一掃されることになりました。
切支丹宗門停止は国内に広く行き渡りました。切支丹への恐怖心も生まれたでしょう。
鎮圧に当たった幕府軍には、西日本に所領を持つ大名が参加しました。幕府から任命された者の指揮に服しました。結果、徳川将軍の権威が確立されることになりました。
また、ポルトガルとの交易は停止され、幕府に武器援助を行ったオランダとの交易のみが公許され、平戸出島が開かれました。第5次鎖国令です(1639、寛永16年)。

一揆勢は松倉氏の居城である森岳城(島原城)に迫ります。城を落とす事はできません。こうした動きは対岸の天草地方とも連動し、富岡城の攻囲も行われています。
一揆の終盤において主戦場となったのは、一国一城令により既に廃城となっていた原城。おもに島原半島南目(みなんめ、※南部の意)地方及び天草地方の領民併せて約37千人が立て籠もります。一方の幕府連合軍は総勢12万の軍勢によって、この鎮圧にあたります。
およそ3ヶ月に及ぶ籠城戦の末、兵糧攻めによって疲弊した一揆勢は幕府連合軍の前に敗れ、一揆は終息。投降者はあったものの、一揆勢の多くがこの戦いによって亡くなります。一方の幕府軍もまた、甚大な被害を被りました。

『パライソの寺に参ろうぞ』、これが殉教しようとする者たちの合言葉であった、と聞きました。品川駅北口の近くに、カソリック高輪教会があります。この青年部が、60年ごろでしょうか、江戸の殉教者の事績を調べて小さな本にしました。その書名がこれです。
パライソは、天国、楽園のことのようです。殉教しようとする者たちは、死後の世界を信じていました。死んだ後、彼らの本国へ行く、と確信していたのです。

「私の国籍は、天にある」ということは、私たちは、いつの日か、そのところへ帰って行くのだ、ということを意味します。これは、天こそ私の本国にあります、という告白です。パスポートを持って旅行に出たのでしょうか。使命を与えられて派遣されているのかもしれません。いずれであっても、そこには目的があり、期限があります

人は誰でも、この地上に派遣されていて、そこでは使命があり、それを果たせば、本国へ帰らねばなりません。帰る人と,残る人との間では,多くの場合悲しみが生じます。充分使命をはたした、と感じられる人の場合は、多少悲しみは少なくなるでしょう。そこには充足感があるからです。

「天こそわが本国」、という考えは、この地上の姿は、仮のものであって、どうあっても良い、となる可能性があります。そして、此処からは、二つの考え方、生活態度が生まれます。
一つは、地上のことは仮のもの、過ぎ去るのだから、勝手気ままに生きようよ。
他は、過ぎ去る世界だからこそ、きちんと生きなければならない、とするものです。
快楽主義と、禁欲主義になるかもしれません。
同じ前提から、全く異なるものが複数、生じることは、決して少なくありません。

その理由は幾つも考えられるでしょう。先ず、理解が不十分である。
自分の過去の履歴、経験が大きく作用している。
利害得失が働いている。

パウロは、それらのことを理解していたのでしょう。
「主によってしっかり立ちなさい。」と締めくくります。
ここでは、訳の問題があります。「主によって」とあります。珍しいですね。
これは、ギリシャ語では、エン キュリオー。かつては、「主にあって」、と訳され、今は「主に結ばれて」、と訳されることが多くなった言葉です。おそらく、しっかり立つためには、支えが必要だ、それは主に依拠すること、というような考えがあるのでしょう。
英訳stand fast in the Lord
使命を果たすために、主にかたく結ばれて、しっかり立ちなさい、と勧められています。
道を歩く時、体の軸がぶれると、おかしなものになります。

詩編119133「仰せの通り  私の足取りを確かなものにしてください。
どのような悪も私を支配しませんように。」
少しばかりなら、悪に支配されてもいいか、などと考えていると、悪に呑みこまれてしまいます。支配されないためには、寸毫も許さない、と決意すること、悪を憎むことです。

平和聖日、戦争の惨禍、その後の悲惨がある。望まれないで産まれ出た子供たち。
エリザベス・サンダース・ホームと澤田美喜記念館
鯛茂館長の話、
記念館は、澤田さんが集めた切支丹の異物、遺品を展示
魔鏡、踏み絵、白磁のマリア観音像、
立派な一枚の絵、天草四郎を描いたものらしい、しかも大変古い洋画
格調の高いもの、只者ではない。伝わってくるものがある。伺ってみた。司馬江漢。
これら切支丹遺物から力を受けて、澤田女史は働かれた。

此処に「主によってしっかり立つ」実例を見る。
私たちも、悪に抗して走りたい。



島原の乱
 時の島原藩主、松倉氏の治世下において行われていた年貢の取り立ては、本来の石高を大幅に上回るものであった。また禁教令に伴うキリシタンの取り締まりにあたって、棄教を拒むものに対する仕打ちは苛烈を極めた。こうした状況に寛永十四年の飢饉も重なり、ついに耐えかねた領民が代官を殺害する。この事件に呼応するように、島原半島各地で次々に領民が蜂起する。

 一揆の後、藩主の松倉勝家は所領を一部没収のうえ、斬首となっている。寛永十六年(1639)には第5次鎖国令によって、ポルトガル船の国内入港が禁止されている。なお日本においてキリスト教の布教を行ったのはポルトガルである。一揆において幕府連合軍に武器弾薬を支援したオランダとは、以後も出島の商館(1641)を通じた交易がある。鎖国政策による交易の制限は一揆以前より進められていたものだが、この第5次鎖国令については、一揆の影響も見受けられる。幕府の政策に影響を及ぼすほど島原天草一揆は重大な事件であったと言える。