2013年12月22日日曜日

イエスの誕生

[聖書]ルカ217
[讃美歌]21-231,21-269,21-67,21-259、21-261
[交読詩編]113:1~9、

    

本日は、クリスマス主日の礼拝です。クランツのローソクは、四本点きました。

さて、本日は降誕物語の中心部分を読みました。

「皇帝アウグストゥス」、有名なユリウス・カエサルの養子オクタヴィウス。カエサルが共和主義者たちにより暗殺されると、その後継者となり、幾多の戦いを切り抜け、紀元前31年、第一執政官、実質的な皇帝となる。前27年アウグストウス・尊厳なる者という称号を元老院議決により、贈られる。紀元後14年まで、およそ半世紀近く統治した。

 

ユリウス・カエサルは、ポンペイウス、クラッススなどを政敵とし、彼らを打ち破った。

オクタヴィウスはアントニウスと組んで、カッシウス、ブルータスたちを、破った。

アントニウスは、進んでエジプトに入り、クレオパトラと連合して、ローマ軍と戦い破れる。

紀元前31 アクティウムの海戦で、オクタヴィウスがクレオパトラ・アントニウス連合軍を破る。

 紀元前30 クレオパトラが自殺をし、プトレマイオス朝エジプト が滅びる。

 

人口調査、現代でも国勢調査の名で行われている。これは単に人口を知るだけではない。

人口は国力である、との考えがある。

国家の行政のための基礎であり、さまざまな施策を作るためのもの。

ローマ皇帝による人口調査は、明確な政治的意図を持っていた。課税と兵役の義務を課するためである。ただし、ユダヤ人の兵役は免除されていたので、課税目的となる。

何時の時代でも徴税は、国家権力の発動と考えられ、ユダヤ人の間では、反ローマの熱心党が活動する場を提供した。

ある時期には、農耕者の適正配置を目指して行われている。「自分の町へ」

 

「キリニウスがシリアの総督であった時」、この記録があれば、イエスの誕生年月日を確定できる。残念ながら、ローマ時代の記録は今のところ不充分である。キリニウスのシリアでの活動は、紀元前118年の範囲と考えられ、人口調査もその間の事だろう。

ヨセフスは、『古代史』の中で、キリニウスによる人口調査について報告している。それによれば、紀元前67年のこととされる。更に、ヘロデが紀元前7年に人民に対し、カイザルと自分に忠誠の誓いを行うよう命じている。これが人口調査と同時に行われたことは、充分に考えられる。

タキトウスは、『年代記』六巻で、カパドキア(現トルコ東部)のアルケラオス王の領地に対し人口調査が行われたことが記されている。それ以前の可能性も指摘される。

エジプト出土の資料によれば、アウグストゥスは税負担の土台を整備するため、人口調査を命じ、これを14年ごとに繰り返すこととした。さかのぼって紀元前104年には、エジプト人の定期的な登録を示す資料が知られている。

紀元前7年、アウグストゥスの命令によりパレスチナで行われた初めての人口調査。

 

旧約聖書では、人口を数えることは、人間が自分の力を誇るためのものと考えられ、通常は禁じられていた。神の命令なしにこれを行ったものは罰せられる。

民数記の人口調査は、「戦争に出ることのできる者」を数えていた(12262)。

 

「民数記」とはシナイ山(1章)とその四十年後にモアブの草原で行われた(26章)、二度にわた  

る人口調査に由来した名称です。

歴代誌第一:21章1~30節をお読みください。尚、この箇所はサムエル記第二24章でも扱われていますので、併せて読まれることをお勧めします。

ダビデは人口調査を強引に行って、神の怒りを買ってしまいます。

神ご自身が戦って勝利を得られるのです。勝利は神によって与えられるものであり、人間が自分の力で獲得するものではないのです。そうであるならば、兵の数を数え戦力を数えることは、神様の力ではなく人間の、自分たちの持っている力に頼んで事を計画し、実行していこうとすることです。神様の力に依り頼むのではなくて、自分の力、自分の兵力によって事を成そうとするところに、この人口調査の罪があるといえるでしょう。

使徒言行録537チウダの乱、「そののち,人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を  起こしたが、この人も滅び・・・。」

 

4節、「ヨセフも」、ここでは、ヨセフが前面に出ている。マリアは身重で、未だにいいなずけ、婚約者のままである.ユダヤの結婚式は,だいぶ派手に行われる。大勢の客を招き、食べるもの、飲むものを提供し、一週間にわたる祝宴がなされます。

ガリラヤのナザレからベツレヘムまでおよそ120キロ、語られていないが、ヨセフの大変な労苦があったことだろう。

 

「泊まる場所」、居場所がなかった。ある神学者は、これを故郷喪失と語った。ドイツの学者だったかもしれない。強制収容所の中で、クリスマス説教の時・M、ニーメラー?

この二人は、父祖の地へ帰ってきた。しかしそこで拒絶された。ハイマートロスト

 

業平・押上へ行ったとき、そこは大空襲の後もなく、戦後、綺麗に区画整理された町、スカイツリー建設に備えている期待に胸ときめく町。高校生のとき,戦後暫く生活した練馬へ行ったことがある。たくさんの住宅が立ち並び、畑も林もなく、全く寄せ付けようとしない冷たい顔だった。

私は、故郷から拒絶された、と感じてきた。全く違う、見知らぬ街になった故郷を見出すことは出来る。そして自分が知っていたあの故郷を喪失している。

 

このようなことは、開発、発展の名の下に現代の至る所で起こっている。

高校生の頃、世界史で学んだことを思い出す。英国の産業革命の影の部分、エンクルージア・ムーブメント、囲い込み運動。多くの農夫が家を離れ工場労働者となり、故郷を失うという悲劇が生まれた。

 

産業革命は、蒸気機関の発明によってもたらされたことが多い。

紡織機が機械化され、大量に生産が可能となり、原材料の増産が必要となった。

国内では、羊を増やし、羊毛を増産しようと考えられた。牧羊地を拡張しなければならない。それまでの農地を転用するのが近道。農地を羊飼いが包囲して、農業者は立ち行かなくなり、農地を棄てて工場労働者になる。

この反省の中から、英国の政治哲学が刷新される。

『貧乏人や、力の弱いものが、正直に暮らしてゆける社会を作るのが政治の務め。』

グラッドストーンやチャーチルが語っている。

他方、海外に原料を求める方法も考えられた。植民地の活用の道が開かれ、積極的な海外進出が図られた。羊毛だけではなく綿花の収穫も図られた。

 

一部の者たちの利益追求の勢いは、植民地経営に拍車を掛けさせ、奴隷労働を拡張させた。

 

 

故郷喪失、「布にくるんで、飼い葉桶に寝かされる」イエスは最初からこの地上には故郷を持ちません。そしてマリア、ヨセフも、故郷から出で立ったもの、故郷から拒絶されたものなのです。その姿は、現代の私たちのものです。

 

徹底的に低いところまで降りてくださった。そこが救い主の居場所なのです。私たち低いところにいる者たちの救いです。降誕物語は福音全体の始まりであり、その徴です。