2014年12月28日日曜日

イエスの弟子となる


[聖書]ルカ14:25~35、
[讃美歌]241、旧411,483、
[交読詩編]21:2~8、

 

今年最後の主日礼拝となりました。

歳晩礼拝と呼ぶ習慣が何処から来ているか、私には判りません。

同志社系、東神大系、福音系、様々な教会でこの言葉が用いられているようです。

「歳晩礼拝」…あまり最近は聞かなくなった言葉のようですが、一年の最後の礼拝を呼ぶものです。ある人は、こんなことを言われたそうです。

「歳晩礼拝はな、とっても重要や。一年の守りを感謝するときなんやから…」。

クリスマスと正月に挟まれたこの日曜日は、私たちそれぞれの家庭の忙しさも相まって、「とても重要」という扱いにはなかなかなれず、教会でも大掃除をする日だったりと…。

一年を守り導いてくださった神の恵みを感謝しながら、来年を望む礼拝が歳晩礼拝。

旧讃美歌411、旋律は旧82と同じです。讃21は異なる翻訳、違う旋律。馴染めません。

4115節、まが幸よしあし ゆきかうなかにも、われらのよろこび やすきはしゅにあり。災いも苦しみも、生き死にも、主にあってのことであれば感謝し、賛美できるのです。

黙示1413、また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」“霊”も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」

 

 もうひとつ、教会の慣わしを御紹介しておきましょう。多分日本の教会だけのもの、と思われます。間もなく1231日になります。町や村の寺にある梵鐘が鳴り始めます。百八つの煩悩を打ち払い、綺麗な心で新年を迎える習慣、と教えられました。

昔はラジオで中継しました。その音を聞きながら、初詣に履いて行く靴を綺麗に磨き上げていたこともありました。同じ時に第二放送は、バッハのロ短調ミサを流していました。

教会へ行くようになると、それは除夜祈祷会に変わりました。除夜の鐘を教会的にしたものだろう、と感じます。いつの頃からか、なくなって行きました

 

ルカ1425以下をお読みいただきました。小見出しは、『弟子の条件』となっています。

この部分は、直前の箇所とは全く無関係な聞き手と内容になっている。

大勢の群衆は、無関心で尊大な人々ではなく、何事かを期待して集まってきた人々である。

自発の意志でイエスのもとへ来ているのであって、イエスが弟子になるようにと呼び出しているのではありません。彼らは、イエスの旅が受難を目指していることは知らない、と思われます。

2633節の「誰であれ・・・ない者は、私の弟子になりえない」という繰り返しの形式は、インクルージオと呼ば 

れます。262733節に現れますが、同じ表現を用いて資料の一塊を初めまた閉じる、というやり方です。

自分が生まれ育った環境そのものを憎まなければ、弟子と呼ばれるに相応しくない。

「父・母、妻、子供、兄弟、姉妹、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら」

これが、文字通りに憎むことであるなら、私の理解を超えています。 

少し私的なことをお話しすることをお許しください。証になります。

高校三年生の二学期も終わる時、友人が言いました。「俺、このごろ教会へ行ってるんだ。

牧師は親戚で、今アメリカへ行っている。留守中、二人の子どもの相手を頼まれているんだ。もうじきクリスマスだ。たくさんプレゼントをもらえるよ。行ってみないか。」

考えました。大学受験のことなど。「俺は江戸っ子だ。物を貰いに行くのは嫌だ。文系を受けるので西洋文化の背景キリスト教は知らなければならないと思う。新年になったら行ってやるよ。」と恩着せがましく言いました。

彼はうまいことを言いました。「きっと小難しく感じるだろうけど、二・三ヶ月は続けてくれよ。」こうして私のキリスト教との付き合いが始まりました。

受洗した時も同じ友人の誘いでした。水曜日夜の集会に出席して、彼と一緒に帰りました。

私は大塚、彼は田端。間もなく彼から電話がありました。「俺、洗礼を受けることにしたんだ。牧師が、持田も誘ってごらん、と言うけどどうする。」

「受けてみよう。どうしたら良いのかな」、「俺が牧師に電話しておくよ」そして復活主日。

 

親には何も言いません。相談もしていません。いつも叱られました。「お前はいつでも相談ではなくて、決めてから報告をするんだね。」これは親の教育の結果だ、と思っています。

「自分のことは自分でしなさい。」考え、分析し、決断する。間違っていればその責任は自分が取る。

 

神学校へ行く時も相談はしていません。報告したのは、就職はどうするんだ、と言われて、それに対する答えでした。「神学大学へ行くから」。出て行け、と言われるだろう、と覚悟していました。でも何も言われません。「ふーん、そうかい。」そのままの生活です。それでも、申し訳ないから、出来るだけお手伝いはしよう、と考えました。父や母が出かける時の運転手もしました。

アルバイト料をいただきました。卒業の時には、「これで耶蘇道楽も終わりだと思っていたのに」、と言われました。「一子出家すれば九族天に生ず、というから仏教の出家になったと考えよう」。「人より楽な生活が出来ると思ったら間違いだぞ」。坊主と役者は親の死に目に会えないと覚悟しなさい。」牧師になる私へのはなむけの言葉でした。

こうして一つの道が開けました。今日まで続いています。

この親、家族を憎むことは出来ません。

 

26節に「憎め」という言葉があります。これは、セム語的表現であって、背を向けるとか、身を引き離す、という意味です。これを、私たちが普通に用い、意味するような憎むことと考えるなら、間違って大きな困難と直面することになるでしょう。

新旧約聖書を貫く、愛し、世話をし、養う、とりわけ自分の家族をそうしなさい(Ⅰテモテ58)、という呼びかけを無視することになります。

 

自分自身の命を憎めるでしょうか。生まれてきた日を呪う、ということはあるでしょう。

自分を嫌悪し、自らを虫けらとみなし、自分をこの世のごみの山に投げ出す。これは、自分で自分を裁くことです。裁きは、神がなしたもうことです。それが求められることであれば、聖書は愚者の楽園、とでも言って放り投げるしかないでしょう。私たちは、誰でも自分の家族を愛し、命が大事なのです。この命を守るためなら他の命を奪うことも正当化されます。殺し、奪うための戦場は言うまでもなく、普通の社会であっても、正当防衛の権利は保障されています。父・母を敬え、と言う聖書の教えとも矛盾します。

 

2832節は、二つの小さな譬となっています。

塔を建てようとする人は、必要な諸経費を見積もりして、それを整えてから建築に取り掛かるでしょう。また、一国の王は他国の軍勢が圧倒的な力で攻めてきた時、勝てないと見極めたなら和睦を求めるだろう、と語ります。

人生において、それをやり遂げることが出来るかどうか、綿密に計算する。或いは、犠牲を払うに値するか否か、しっかりと考え、決断する。本質的にひとつのことです。

 

自分は何者か、何処から来て、何処へ向かっているのか。

『我われはどこから来たのか、我われは何者か、我われはどこへ行くのか。』これは19世紀末のポール・ゴーギャンの大作に記された言葉。人生を、人間存在そのものを問う言葉。

私たちは、綿密な計算は苦手です。必要なことが見えないし、想定外のことを入れることも出来ない。計算そのものを放棄してしまいたくなる。それでも、私の人生を築き続けています。何故でしょうか。この命が神さまからの贈り物だからです。この命が尽きる時は必ずやって来ます。誰もが、必ずやって来る、逃れることの出来ないこの死に向かって生きています。

何もかもが、自分のものであり、自分で決定できる、計算しつくせる、と考える。自分が主となり、支配していると考えていたものを、自分から引き離してはじめて見えてくるものがある。この生は、自分のものではなく主のものである、と。

こうしてイエスを主とする生き方そのものが、私たちにとっては十字架です。

自己中心を捨て、キリスト中心の生き方へと招かれています。

 

 

 

2014年12月24日水曜日

羊飼い達のクリスマス


20141224日、燭火礼拝
讃美歌94(旧)、255,269,278,252,265、

今から3000年昔のベツレヘム、エッサイと呼ばれるお父さんがいました。
立派な息子たちがいました。兄貴達は、その頃のイスラエル王サウル様に仕える兵士でした。一番下、8番目の息子は年も若いし、小さいので、お父さんの羊の番人をしていました。これが、讃美歌にも歌われる、エッサイの子ダビデです。
ベツレヘムと言うのは『パンの場所』を意味します。それほど小麦がたくさん取れました。
青草と水があるところは、いつでも羊が好み、羊飼いが羊を連れて行くところです。

 

詩編が歌うとおりです。

詩23編 賛歌。ダビデの詩。

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

     主はわたしを青草の原に休ませ

    憩いの水のほとりに伴い

    魂を生き返らせてくださる。  (23・1-a

主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。

死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。

あなたがわたしと共にいてくださる。

あなたの鞭、あなたの杖

それがわたしを力づける。 (23・3b-4)

 

羊飼いのダビデさんは、やがてイスラエル王国の二人目の王様になりました。

それから1000年、ダビデさんが羊を飼っていた青草の原には、また違う若者たちが羊の番をしながら、厳しく寒い夜を迎えていました。

真ん中に大きな焚き火、羊達はその周りに集まって、折り重なるように眠っています。

羊飼いも半分は眠っています。残る者たちは、周りで立ち番です。

眠らないように二人が組になって、静かに話などしています。

寒いね、静かだね、眠くなりそうだよ、気をつけようよ、こんなに静かな夜は何か起こるものだって。ちょうどそんな時でした。今まで見たこともない光が、輝きました。

今まで知っている光は、熱を発しながら輝きます。しかしこの光に熱はない。あたり一面を厳かに照らすばかりでした。その中から天使が現れ、羊飼いに告げました。

 

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

 

世界の民に大きな喜びが与えられる、そのしるしとしてあなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている赤ちゃんを見つけるだろう。この方こそ主メシア・キリストである。

この時代、羊飼いは、安息日を守ることも出来ないため、人々から軽蔑されていました。そのうえ、盗賊や野獣の襲撃から羊を守る命がけの仕事です。労多く、報われることが少ない人々でした。そのような人たちに、すばらしい知らせが最初に告げられました。

 現代の世界でも、孤独な人、危険にさらされている人、苦労が報われていないと感じている人、病の中にいてこの苦しみを理解する人がいないと感じている人、その他同様の人に、神はそれを見て、聞いて、知っている、解っている、と告げておられます。

 

これを聞いて、羊飼い達はダビデの町・ベツレヘムの町外れにある宿屋の家畜小屋へ急ぎました。そしてマリアとヨセフ、飼い葉桶の嬰児を見つけました。彼らは礼拝しました。

間違いなく、預言されたメシア、キリストの降誕だからです。

 

旧約聖書の時代から、イスラエルの人たちは、教えられてきました。

『誰も空し手でわたしの前に出てはならない』出エジ23153420。心をこめた捧げ物を携えるように、ということです。何も持たずに・・・

羊飼いさんたちも、一番良いものを、大事にしているものをお捧げしました。宝物を待っているはずもありません。さあ、何をお捧げしたでしょうか。

羊のミルクとチーズ、そして羊飼い御自慢のヨーグルト。野蜜があります。これらは彼らの食事です。一番大事なもの、マリアさんたちに喜んでいただけるものです。

まだありますね。そうです、羊の毛皮と毛糸、毛織物。寒さに備えて余分に蓄えていました。羊飼い達は、これは自分たちのものだから、とは考えませんでした。嬰児イエス様の役に立つから、と考えました。そんなものを自分たちが持っているとは、なんと素晴らしいことだ、と考えました。お役に立てることを喜びました。

それから、遠い東の国から来た三人の学者さん、黄金、乳香、もつ薬を捧げました。

 

クリスマスは贈り物、神さまからは大きな喜び、世界の救い主。

そして、わたし達から神さまへの贈り物は、与えられているもののうちから最善のものを。私たちの能力・才能もおささげできます。あなたは何をお捧げするのでしょうか。

何もない、と言いたい人も居られるでしょう。あなたには、キリストを信じる心が与えられています。その信仰をお捧げしましょう。

 

2014年12月21日日曜日

時が満ちると

[聖書]ガラテヤ417
[讃美歌]175,256,265、261,
[交読詩編]89:20~30、

 

創立50周年記念の集会からふた月近く、なんとなく気ぜわしい時間が流れて行きました。追い立てられるようにクリスマスになりました。この頃は、クリスマスの音楽が、余りラジオなどから流れなくなっていました。今年は、12月最初の水曜夜、ヘンデルの《メサイア》が聞こえてきました。以来、毎日、何かが聞こえるようでした。自分でもいくつかあるクリスマスアルバムを聞いていました。

世の中が、このクリスマスを迎えて、急に信仰に目覚めたわけではありません。おそらく、2014年には、自然災害が多く発生したので人の心に不安がある。その心情にどのように訴えるか、と考えた結果がクリスマス音楽。

2月は大雪、以来度重なる豪雪、集中豪雨、土砂災害、台風上陸、御嶽山の噴火、広島の土砂崩れ、

クリスマス音楽本来の平安と慰めを再発見してくれたなら、うれしいことです。

 

私個人としてもこの秋、大事がありました。大阪で教会役員を長く務めた信徒が、かつての教会学校生徒に刺し殺される、という事件が起こり、衝撃を受けました。動機は、単純です。暴力事件で刑務所に入り、出てきたけれど仕事がない。住む所を何とかしなければ、ということで一人暮らしの老婦人を狙い、金目当てに押し入った。初めから殺すつもりだった。結局狙い通り住まいは決まった。刑務所に。

犯人の妹は、私から受洗しています。母親も以前からの信徒です。

教会全体が揺らいでいます。悲しみと悩みの中にいます。クリスマスのメッセージも、このこととの対話抜きには出来ないでしょう。上から教え、指導して済むことではありません。各人が、一段と高いレベルの信仰と確信に到達することが求められます。

 

本日は、クリスマス礼拝、特にガラテヤ書を選びました。ここがパウロ書簡の中で、珍しく降誕に触れているためです。福音書以外でも珍しい、と言うことになります。

パウロが、マリアからの誕生をどのように考え、信じていたか、また宣べ伝えようとしていたか、学ぶことが出来るでしょう。

 

1、最初は、それは、神の御計画の時が満ちたことである。

プレーローマ「時の充満」エペ110、マコ115

人間の側で機が熟した結果終末的出来事が起こるのではない。・・・むしろ、「子」の派遣によって『時の充満』は起こった。時間の主は、聖書の神である。

 

2、次は、「女から生まれ」ということです。神の子が、肉の姿をとられた。受肉降臨です。

み子の降誕は、まことの人間としての誕生でした。「女から」、という言葉は、処女懐胎を指している、と解釈する者たちもいます。主張する者たち、と言うべきでしょうか。決してそうではありません。

ゲノメノン エック グナイコス、ゲノメノン ヒュポ ノモン、

God sent his Son, born of a woman, born under law,

ごく普通に、女性、婦人から生まれた、と記されています。

 

3、ここには、パウロの大事な主張が記されています。「律法の下に」生まれた。

これは「女か」らと同格で並列されています。

イエスは人間であることに伴うあらゆる運命を背負う完全な人間でした。

彼は単に我々と同様に肉体を持つ存在であったばかりでなく、「律法の下にある」者たちとの完全な連帯の内に生きる者として生まれました。

 

彼は恐れや孤独や苦難や誘惑や疑い、そして究極的には神に見捨てられることなどにより、常に脅かされている不安な人間の生活の、あらゆる状態に陥る弱さを持っていた。

彼は自ら罪は犯さなかったが(Ⅱコリ521、ヘブ4151ペト222、Ⅰヨハ35)、はかなく罪深いこの世に属し、常に死にさらされていた。

 

4、「お遣わしになった。」これは、み子の派遣、と表現されるでしょう。パウロは、ここ以外ではローマ83だけで、この考えを言い表しています。

「肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くためにみ子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。」

 

生きることには目的がある。造られたものには意味があります。

 

5、み子イエスの降臨は、律法の支配下にある人間の解放のため、でした。代贖。

イエスは律法の権威に服する者になることで、律法の権威に下にある人々に贖いの道を拓

きました。改革者カルバンの名言があります。 

「彼は彼自身を鎖につなぐことによって他の人々から鎖を取り除いた。」新約註解

み子の降誕により、罪から解き放たれるのはすべての私たちです。

イエスの降誕には、十字架が影を落とし、甦りの光がさし込んで来ます。

 

6、み子の霊は、すべての私たちの心に与えられています。

父親に対するように、息子として隔意なく、親しく、語ることが出来ます。アッバ、父よ

 

その故に私たちは神の養子です。                                                                              罪に囚われていた者も、養子とされることにより神の子の身分を与えられます。

 映画『ベン・ハー』、ガレー船を漕がされる囚人・奴隷となっているベン・ハー。

 海戦となり、沈没する船、漂流の中で司令官を助ける。海戦全体はローマの勝利。

 栄冠の提督を助けたジュダ・ベン・ハーは、養子とされる。衣裳、指輪、冠。

宴席での披露、「これは私の息子です」。

 

み子イエスの降誕により、私たちは一人ひとり神の子供とされました。

それは、私たちが、それぞれアッバ、お父さんと呼びかけ、語り合うことが出来ることでわかります。アッバは、アラム語でお父ちゃん、と言う意味です。かしこまった場ではなく、家庭の中での話し言葉です。

それは、私たちの人生に父なる神の愛が注がれていることを証します。

人生が、問題なしになることを保証するものではありません。

私たちの人生は、良い父に守られていても、多くのトラブルに見舞われます。そして悩み、苦しみます。黙って見守る父がいることにどれほど励まされるでしょうか。

 

尊敬する牧師の説教集に、その方の親友である牧師の御子息が、自死を遂げたことが語られています。優秀な学生、将来を嘱望されていた。「大変残念であり、悲しいこと。かれはそのお父上が、いつも彼のことを愛し、深く案じていたことを知らなかったのです。もし知りえたならば、決して自死する事はなかったでしょう。」父親である牧師は、お目にかかったこともありますが、まことに古武士のような、と言う形容そのものの方でした。おそらく日常の生活で、御自分の感情、情緒を発出することを恥じるタイプでしょう。知らせることがお出来にならない。晩年にはだいぶ変わられたようです。

父なる神は、御自身の愛を私たちに知らせてくださいました。それがクリスマスの出来事です。

2014年11月30日日曜日

神の国の戸口

[聖書]ルカ131830
[讃美歌]490,459,575、
[交読詩編]25:1~14、

同じ一つの主日に、二つの呼び名がついている。いかにも奇妙なことです。なぜ?

いかにも尤も至極に聞こえる理由付けがなされます。旧約聖書のうち、どうしても教会暦として読むべきものがある、ということでした。それが、こひつじの聖書として読まれた創造物語と出エジプトの出来事です。それを教会暦の終末の時期に読むべきだ、と主張されました。これらが、読まれるべきなのに、読まれていない、という指摘には感謝します。

しかし、それをこの時期に無理やりはめ込んで、混乱させる意味があるのでしょうか。別途、連続講解説教を試みる。三位一体主日の中で、聖書と主題を変更する形では出来なかったのでしょうか。

 結果は、教団内での混乱です。一致することができません。

諸教派の間の不信です。異なる教会暦を立てるようでは、これまでの教会再一致運動は無駄だったということになる。教団は何を考えているのか。信頼できない。

 

 神学生時代、村田四郎先生が、こんなことを言われました。

「君たちは、やがて教会に赴任し、説教することになる。すると重箱の隅を突っつくような説教をして満足したくなる。それは止めなさい。若い時は、自分の新知識をひけらかしたくなる。それは出来るだろう。しかし君たちの務めは、福音を解き明かすことだ。自分を誇ることではない。グレート・テキストと呼ばれる聖句がある。苦労だろうが、それと取り組みたまえ。」

 

 これまで、よく思い出し、反省してきました。成果が上がらないので申し訳ありませんが、これでも随分反省し吟味しているつもりです。教会暦との関連は、小異を強調するのは、自分の学識能力をひけらかすことに似ている、ということです。

それでも教団内の大方の教会がこれを用いるなら、止むを得ません。教師の友、信徒の友、

牧師手帳など教団出版物に用いられていますので、一般的な表記と共に併せて書くことにしてきました。御理解いただければ幸いです。

 

さて、本題に入りましょう。からし種とパン種のたとえです。

1821節にあります。これは共に神の国を譬えたものです。

何故、二つの譬を続ける必要があったのでしょうか。

からし種は、神の国の外的な成長発展を表します。どんどん伸びて行く様を示しています。

パン種は、神の国、イエスの力が内的に充実、盈満することを顕わします。

これから後、神の計画のうちでは、そのご支配は限りなく大きく拡張されて行きます。

その拡がりは、今の時点では想像することすら出来ません。全地を覆うようになります。

二つの譬は、それぞれの意味を持ち、神の国の充実と発展を表し、教えています。

 

 私たちは、その結果を今見ているので、そのままなるほど、と受け入れようとします。

しかし、主が語られたその時代の人々ユダヤ人は、どうだったでしょうか。

彼らは、ローマ帝国の片隅の民。意識としては、唯一の神がお選びくださった民、この我らこそが世界の中心。しかし現実は厳しい。古い約束だって、どうなるかわからない。その成就、実現を待っている。メシア、救いの王が到来することを待っている。

主イエスの時代、主の教えに耳を傾け、その奇跡を見ようとする人は多かったでしょう。

しかし、ユダヤの一地方のことであり、ローマ帝国の、東の辺境の出来事です。広大な帝国の中のことと考えれば、ほんの僅かな人でしかありません。神の国の充実、進展も、夢物語に過ぎないのではないだろうか。

 

21節までの譬による教えは、人々の心に疑いを引き起こしたに違いありません。

イエスは、エルサレムに向かう道すがら、機会を捉えて、この疑いに答えようとしておられたのでしょう。すると、一人の人が質問しました。『救われるのは少数なのでしょうか』。

大変面白い質問です。これをどのように理解したものでしょうか。

私は、これを質問した人は、少しだけであれば、自分はとても無理だろう、と考えていたのだろう、と直感的に感じました。消極的ですね。自分の性格が出るものです。

違う解釈があります。自分は、イスラエルの末裔であり、神の民の掟も守ってきた。神の国は、大丈夫、保証されている。仲間はどれほどだろうか。こうした意味です、と示唆されました。積極的で、ずいぶん自信を持った人だなあ、と感じました、

 

この質問に、主は答えられます。22節以下です。質問者だけではなく、同じことを考えているすべての人に対する答えとなっています。随分つれない答え方です。時についての問(172021)と同様、これは人間の知りうることではないからです。大学や、レベルの高い講演会では、質問者に対して、司会者が質問の意味が分かりません、と答えることがあります。あるときには、これは良い質問、私も答えを伺いたい、と言うこともあります。この質問は、イエスに対する質問に相応しくない、と言われている、と感じます。

 

入学・入園の定数とは違います。神が赦し、招かれた者であって、その数に限定があっても、神のみぞ知りたもうことです。神の国へ入るためには、自らの努力が必要です。御国の戸口が狭くなるのは、その人が努力しないためです。その人のためには、戸口は充分に広い、そこを通れますよ。千歳空港には、歩行者のためのベルトがあります。立ち止まっていても運んでくれる優れもの、と考えていました。最近気付きました。「立ち止まらないで歩いてください」。間違いのない、正しい方向のベルトに乗り、ゆっくりでもその方向へ歩くことが大切です。

 

それでも通れない人が多いのです。招かれていて、やって来ても、時間に遅れて、戸が閉められてからでは、もう入れません。戸の外に立って、戸を叩いても、叫んでももう遅いのです。これは、黙示録320を思い出させます。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。誰か私の声を聞いて戸を開けるものがあれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう。」

 

これに対して、戸の外の者からは、反論があるだろう。「ご主人様、御一緒に食べたり飲んだりしました。広場で教えを受けたりもした仲間です」。神殿における祭儀的な食事や、教会の聖晩餐が意味されているようです。ユダヤ教や後のキリスト教会が言われています。そうした仲間であっても時間制限があり。扉は閉じられれば二度と開かれません。遅れては入れません。間に合うためにも努力が必要です。

 

27節は厳しさを増した言葉です。「不義を行う者ども、皆私から立ち去れ。」

アディキアスは、不正、不義、悪事、害、などを指します。神との関係の正しさが義です。

既に、遅れてくること自体、不義とされるでしょう。

また自分たちは預言者の子である、と自負している民族です。そのご先祖様が、神の国に入っているのに、何故自分達が入れないのだ、と言って歯噛み、歯軋りする者も多くなる。同時に、東西南北、あらゆる方角から予想すら出来ない人々がやって来ます。 

そして、神の国の宴席につくのです。逆に、自分は大丈夫と考えていた人々が、高括りをしていた人々が、閉じられた戸口で、大声で叫び、歯噛みしたりすることになります。

 

 今こそ、救いの日、救いの時です。

Ⅱコリント62「いまや、恵みの時、今こそ、救いの日」

戸口が閉められないうちに、神の国の門をくぐりましょう。

2014年11月23日日曜日

安息日にいやす

[聖書]ルカ131017
[讃美歌]490,17,474、
[交読詩編]18:47~51、

私の母教会では、待降節に入る前の主日は『終末主日』、と呼ばれていました。

待降節・アドベントから教会暦の一年が始まります。それが来週に迫りました。

わたしたちの信仰は、聖書にその起源を持ちます。その聖書は、全てのことには初めがあり、はじめがあれば終わりがあることを示します。この世界は、初めから終わりに向かって直線的に進んで行きます。

特別に、終わりの時を覚えて礼拝を捧げよう、と考えるのが『終末主日』です。教会は、世俗とは別の、独自のカレンダーを持って、時の流れにメリハリをつけ、信仰生活に必要な事柄を学び、考え、伝えて行こう、と考えたようです。

 

厚別教会は、創立50周年記念礼拝、感謝会をひと月ほど前に守りました。その短い歴史のうち22年間、半分近い時を、この教会の牧師、幼稚園の園長、宗教主任としてお働きくださったのは、荒木勇先生でした。金曜日未明、天に帰られました。私より45歳年長の先輩。御遺族からは、土曜日10時から大谷地ベルコで葬儀。ただし、近親者だけで行いたいので、参列は辞退する、と教区に連絡があったようです。それを聞いて私も自粛、といったん決めましたが、朝になって行くことにしました。学校の後輩が一人でもお見送りした、と言えるように。

終末主日の前に、医師の見立てでは、もっと早い時期だったようですが、苦しかったでしょうが、頑張って生き続けました。ぎりぎりまで生きた。私たちに終末があることを知らせようとされたのです。

終末は、この地球が崩壊することではありません。この私が、神のみ前に進み出て、裁きを受けることです。

 

『イエスの時代』と題された書物があります。ドイツ人の神学者コンツェルマンなどが、ラジオで放送したものを一冊の書物に編集したもの。1966年原書出版。その第9章はエドウアルト・ローゼが書いた「神殿と会堂」に宛てられています。その起源を探り、現代の様子に及びます。

会堂は、証拠はないが、ディアスポラ(前587年、バビロン捕囚)のユダヤ人たちが、神の言葉と戒めを聞ける場所を設けたのが最初であろう。その後各地に広まっていった。イエスの時代には、ユダヤ人が住んでいる所には会堂がある、という状態であった。

「其処でユダヤ人共同体は礼拝をなし、律法を研究し、子ども達を教えた。」そればかりではありません。帝国内では、国家の保護を得ていました。集会の自由の権利を行使できました。「財産を所有し、貧民に施与をなし、財政を自主管理し、固有の墓地を設け、固有の裁判さえ行うことができた。」146p

会堂長(会堂司)は、一人の会堂役人の補佐を受け、幹部会(通例3人)を指導して、神の礼拝を秩序よく遂行することに務めた。

礼拝を始めるには、少なくとも男性10人の出席を必要とした。

礼拝の式次第は、現代に到るまで、その根本的な特長に変わりはない。二部構成。

 

最初の部分は、唯一神に対するイスラエルの信仰告白によって始まる。有名なシェマー・イスラエール、「聞け、イスラエルよ。われらの神、主は唯一の神なり」(申命64)。

それに続いて十八祈願。これは先唱者が唱える言葉に会衆が「アーメン」即ち「その通りです」と答える。最後になる前に祝福(民数62426)があるが、このとき祭司がいれば祭司が、いなければ会衆の一人が神に向けた祈願の形で祝福を口にする。その後頌詞。

「汝の平和をその民イスラエルの上にたれたまえ、且つわれら一同を祝福したまえ。汝の讃えられんことを、平和を創りたもう主よ! アーメン」。これが18番祈願。

 こうして礼拝は第二部にはいる。具体的な、教える部分である。

聖書の律法つまりモーセ五書と預言書から読まれる。会衆の中に、この言葉の解釈をすることができる者がいる時は、説教が行われる。ルカ41621は、ナザレの会堂での礼拝の様子を描いている。安息日、会堂でイエスは朗読しようとして立ち上がる。会堂の役人は、預言者イザヤの巻物を差し出した。イエスは61章の最初の部分を読み、そして話された。驚くことにたった一言。『この聖句は、あなた方が耳にしたこの日に成就した。』

 

 ユダヤ人が、ローマ帝国内で享受した諸権利は、ユダヤ戦争の後もそのままであった。

従って人々は、神を讃美し聖書を学ぶために、引き続き集結し、宗教の違う世界の只中でもユダヤ人として生きることが出来た。

 

 イエスの頃の会堂の魅力は大きかった。神の肖像もなく、供物をささげる事もない簡素な礼拝は、多くの者に深い印象を与えた。 

多くの非ユダヤ人にとっては、会堂でのユダヤ人の集会は、まるで聖書を研究するために古の賢者達の例に倣って集う、哲学的教養人の世界のように思われた。

 

 現代の日本社会では文字を読み、書き、考え、それを他人に話すのは当然のこととなっている。良いことだと考えるが、これが要求となり、価値判断の基準となるようでは、悪いことになる。自分ができることを他の人にも要求する、人生いろいろ、生き方様々。

古代世界では、識字率はとても低いものだった。

 

徳川時代の国民識字率は、7080%にも達していました。もちろんこれは世界一の識字率であり、日本人は高い教養を誇っていたのです。これは寺子屋の数、寺子屋へ入塾した人数の記録或いは推計をもとにした数字。絶対なものではないし、正確さは求むべくもありません。ただ、幕末期、來日した外国人が、誰でも文字を読み書きすることが出来る、と驚いています。識字率は、国民の教養、民主化度などを測る尺度の一つ、とされます。

18世紀の識字率は、ロンドンが20%程度、パリが10%未満でした。日本はダントツです。

 

William V. Harrisは、紀元1世紀のローマにおいて、識字率が10%を超えていたことはありそうにないとしている4。またRohrboughは社会科学的な見地から、マルコ福音書が成立した農耕社会では、識字率は2-4%であったと見積もっている。

 

イスラエルでは、聖書を読めないのは罪である、との考えから、非常に高い識字率であった、と言われる。読むよりも記憶することが大切であり、読むことは暗誦能力を妨げる、とも言われる。印刷・出版・購買の技術的問題を考えるなら、個人が聖書を所有することは考え難い。読むより暗誦を重んじたという説を支持したい。また聖書自体が暗誦のための工夫を施していることも考慮されたい。アルファベット歌など。

こうした状況の中で、イエスは会堂に入り、いつものようにモーセ五書や預言書を朗読されます。ユダヤ人イエスは、決して会堂・シナゴーグに反対するようなことはなかったのです。また、イエスの弟子達もかなり後まで、会堂に出入りしていたことが知られています。

おそらく、そこで朗読された聖書に関して教えられたことでしょう。何処を読まれたか、知りたいですね。でもルカはそうした関心を切り捨てています。ここでの出来事に急ぎます。やはり、福音書です。福音の出来事に集中しようとしています。

私たちもそうしましょう。

 

 どこの会堂でも、律法について厳しく教えていました。当時、教育は家庭と会堂、二つの場が中心でした。家庭では、日常生活のしつけの形で行われます。安息日に関しても。病気のいやしを求める者たちがやってきますが、彼らには、癒しのためには、安息日以外の日々がある。その時に来なさい、と。それでも突然のことで、来なくてはならない事情もあったでしょう。

 ここに展開されたことは全く違います。意外なことでした。

この会堂に一人の女性がいました。どのような事情でここにいたのかは分かりません。婦人の席の大勢の一人です。きっと片隅にいたでしょう。その故に目に付くこともあります。イエスは、この人に眼を留められました。そして呼び寄せられます。どうして、この人の状態や求めに気付かれたか、何も語られません。椅子に掛けていても、その姿勢から分かることもあるでしょう。なんら、会話がないのにイエスは、事情に通じておられます。

会話とか、誰かほかの人が事情を説明したことが省略された可能性はあります。

この婦人は、18年間も腰が曲がったまま、伸ばすことができないのです。

ルカは、病の霊に取り付かれている、と記します。痛みもあったのでしょうか。病と書くのは、この人が病気の苦しみを感じているからです。病の故に、一般の女性の中からも除外されました。この苦しみもあります。

 

 ある教会の会計役員をしている年輩のご婦人、長年にわたって腰がくの字に曲がっていました。それでも買い物籠を片手に、杖は持たずに、一人で何処へでも出かけられました。血色もよく、話し方もしっかりしています。病気とは考えていないようです。御主人と末娘さんと御一緒の生活です。教会の皆さんからも頼られていました。

 

 イエスは、18年間、腰が曲がる病のため苦しんできた婦人を、その苦しみから解放してあげます。病の霊の束縛を解き放ち、自由にしてあげました。

この出来事には特徴があります。これまで、いやしの出来事を読むことがありました。ここでは、この女性は何も求めていません。いやしを求める声もあげず、何らかの仕草もしてはいません。またイエスの側で、この人の信仰を問うようなこともありません。

 

 会堂長は、イエスが癒しをなさったことを怒ります。そして直接ではなく、会衆に向かって、六日の内に来るが良い、といつもの教えを繰り返します。勿論イエスに対する言葉です。イエスは、会堂長に言われます。「偽善者よ」。ヒュポクリテース、仮面劇の俳優、演技、

そして、ここでは取り上げられていない別の教えを語ります。安息日に関する細則のようです。安息日に許されていること、許されないことを具体的に定めています。

安息日であっても、牛やロバを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに連れて行く。牛やロバはその縄目を解かれる。この女は、自由な者、アブラハムの娘として生まれたわれわれの同胞、同族の者なのに18年間もサタンの縄目に苦しんでいたのだ。その縄目を安息日であっても解いてやるべきではないか。会堂長こそ慣わしに縛られています。

現代のアラブ人、イスラム教徒もアブラハムの娘。何故戦争をするのか。

 

 人々は、様々なものに縛られ、拘束されています。ユダヤ人は、モーセの十戒やレビ記、申命記の律法。更に、後の時代の学者達が造った細かい掟に縛られていました。

パウロは、ガラテヤ4910でこうした縛りについて語っています。

「しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのか。あなたがたは、日や月や季節や年などを守っている。」

主は、私たちを、創造の時の自由の民へと返してくださいました。私たちを押さえつける悪の霊、それは病気であり、悪い慣わしです。それらを追い払い、自由にしてくださいました。愛と正義、自由と公平な世界へと向かいましょう。