2014年2月9日日曜日

ガリラヤのナザレで


[聖書]ルカ41430
[讃美歌21]18,280,431
[交読詩編]109:21~31
 
立春が過ぎたので暦の上では春、と言われますが、実感は全くなし。

立春寒波、雪祭り寒波の到来が実感されます。東京の記録的大雪

私の机の上に、ひとつの卓上カレンダーがあります。店頭で見かけて、初めてのものだったので買い求めました。『七十二候めぐり』とあります。二十四節気は聞きますが、七十二候・しちじゅうにこうは、記憶にありません。五日ごとにめくるように出来ています。先週は24日から8日まで。二十四節気の立春・初候、七十二候では一候、「東風解凍・はるかぜこおりをとく」と書かれています。本日から次にめくります。

9日から13日まで、立春・次候、七十二候では第二候、「黄鴬睍睆・こうおうけんかんす」鶯が鳴き始める、とあります。見たことのない漢字も出てきます。

北海道の季節とは全く違います。ここは日本じゃないのかよ、と言いたくなります。本州、とりわけ権力中枢が集まるところの気象天候・なのだ、と思い定め、遠くからそれを感じることにしています。美しい写真と短いエッセイが付いていて、楽しいものです。ちなみに、発行は「山と渓谷社」です。

 

福音書記者ルカは、14節で「イエスはガリラヤに帰られた」と書きました。

ガリラヤは、イエスにとって、帰る所、故郷だったのだ、と感じました。

練馬区の小学生の頃、夏休み、冬休みに同級生が田舎へ行く、行って来た、と話すのが、とてもうらやましかった。あの時は、自分の家はあった。今は、住む所はあるが、帰る所がない状態。

 

鑑真和上754来日、日本から遣唐使(最澄・空海入唐804)が派遣されていた時代の中国、大秦景教流行の碑781、玄宗皇帝(即位712)と楊貴妃が居て、安録山が乱を起こし安史の乱755763、李白が詩仙と称揚され、杜甫は官吏の一人。後に詩聖と仰がれるようになります。この頃、杜甫は賊軍に捉えられ、緩やかながら拘禁されていました。そのときの詩が、あの有名な《春望》です。「国破れて山河あり、城春にして草木深し」で始まります。杜甫には、家族が待つ家がありました。そのため「家書万金に当たる」とあります。

帰りたい、しかし帰ることは許されない。

 

帰るべき所があり、自由に帰ることが出来れば、それは幸いなことです。

主イエスには、もう一箇所帰る所がありました。ガリラヤ湖畔の町カファルナウムは、ペトロの町ですが、イエスにとっても特別な町だったようです。31節、38節から、知ることが出来るでしょう。カファルナウムは、ガリラヤ湖の西北岸にある入り江の町、と推定。周辺の物産の集散地、通商の中心地として繁栄。交易品の関税、人頭税などの収税所もあり(マタイ99)、百卒長の指揮するローマ兵も駐屯しています。

従って、カファルナウムは非ユダヤ的であり、異教的。篤信のユダヤ人は、逃げ出すほどであった、とされます。イエスの宣教開始は、実はナザレではなく、カファルナウムでした。23節が、そのことを告げています。

 

14節、15節は、これから始まるガリラヤ宣教の導入であり、同時にその総括、まとめの報告になります。中には、事実と異なる記述も認められます。ルカは、そうしたものも、あるいは出来事も報告の中に包み込んでしまいました。宣教は大変好評であった、これが、ルカの報告の中心になります。

 

 16節以下に宣教の始まりが記されています。ここに見られるイエスは、クリスマス関連の記事でもそうであったように、ユダヤ人として、ユダヤの習慣を生きる姿です。

イエスは、故郷であるナザレで、安息日に会堂に入られて、聖書を朗読します。これも、バビロン捕囚以後、ユダヤの慣わしとなったことです。お読みになられたのは、イザヤ書6112です。誰のための福音か。貧しい人、捕らわれている人に解放、目の見えない人に視力の回復、圧迫されている人を自由に。

そして、言われました。「この聖書の言葉は、今日、実現した」。

 

会衆は、イエスの言葉を喜び、驚いたようです。聖書の言葉を正確に解釈し、人々の心に届くように話されたからです。人々の中には、「この人は、われわれが良く知っているあのヨセフの息子だ、何処でこんなことを話なせるようになったのだろうか」と考える人もありました。また、「故郷ナザレではなく、異教徒たちの町カファルナウムで不思議なことをされたようだ。ここでこそしてくれ。」と考えている人も居ました。

 

主は、その場の人々に語り掛けられました。

預言者は、故郷では歓迎されないものだ。

良い知らせは、イスラエルの民ではなく、異教徒たちに与えられたではないか。シドン地方のサレプタの寡婦(エリヤ、列王上1781容赦が居ても畏怖b4)、シリアの将軍ナアマン(エリシャ、列王下5117)。大勢のやもめ、重い皮膚病者がいてもこの二人だけに神の恵みは与えられました。

 

主は、聖書に基づき正しく語りました。正しく語れば受け入れられるわけではありません。本当のことを言えば、嫌がられ、敬遠されます。人が、目を逸らしていることを目の前に突きつければ、怒りが生じます。ナザレの人たちが、自分たちのもの、と考えていた神の民の権利を、イエスは引き剥がして、異邦人たちのものにされました。 

主がこのように語られたことにより、会堂内の人々の態度は一変します。この男は、神ヤハウェの恵みを不信心な者、汚れた者たちのものにしようとしている、と考え、怒り始めました。言葉により引き起こされたことは、言葉によって解決すればよさそうなものです。

殺意が生じました。しかも神の言葉、正義の装いをまとっています。

 

29節には、会堂内の人々が、イエスに憤慨して、イエスを町の外へ追い出し、崖から突き落とそうとした、と記されています。ユダヤ人の処刑方法は、神を汚すものに対しては石打と定められています。崖から突き落とすのは合法的なのか、不思議に感じました。ある学者(クラドックp110)が書いていました。

「人を石にぶつけることは、石を人にぶつけることと同じく、石打の形態としてよくとられたものであった。」

人を石にぶつける石打、こういう発想ができるとは、なんと優秀な民族でしょうか。柔軟な考え方に慣れているのでしょう。

 

イエスは、人々の間を通り抜けて立ち去られます。ルカは、225354でイエスの捕縛の場面を書いています。

 

2252「それから、自分にむかって来る祭司長、宮守がしら、長老たちに対して言われた、『あなたがたは、強盗にむかうように剣や棒を持って出てきたのか。22:53毎日あなたがたと一緒に宮にいた時には、わたしに手をかけなかった。だが、今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である』。

22:54それから人々はイエスを捕え、ひっぱって大祭司の邸宅へつれて行った。ペテロは遠くからついて行った。

 

4章では、殺意が実ることはありません。彼らの時ではないからです。長い時間、およそ3年を経て、闇が力を振るうようになります。

現代世界では、いつも闇と不法がその力を振るっているようです。見えるだけです。

それらは、主イエスの甦りによって、すでに克服されています。私たちも、主と共に乗り越えることが出来ます。その道への招きに感謝しましょう。