2014年7月27日日曜日

十二人の派遣

[聖書]ルカ9117
[讃美歌21]361,464,403、
[交読詩編]119:129~136、

 二十四節気では大暑、七十二候では「桐始結花」きり はじめて はなをむすぶ、となります。本州の梅雨が明け、全国的に熱中症が発生しています。かつて東京オリンピックの頃は、同じように暑い日が続きました。それでも、熱中症の多発などは見られなかった、と記憶します。空調設備なども少なかったころのことです。暑さのレベルが違ってきたこともあるでしょう。人間の耐久力が変化してきた、こともあるでしょう。

多くの方々と同様、私も、ほぼ毎月クリニックへ行きます。いつも、水分補給が少ない、熱中症になるレベルぎりぎり、と言われます。それが普通の生活スタイル、と思っています。変える気もありません。札幌にも本格的な夏がやってきました。木曜、20時前ごろ、東側の道路に救急車が駐車、230分ほどしてサイレンを鳴らしながら南へ向かいました。

乗って行ったのは、私ではありません。でも、いつか自分の番が回ってくるようです。

皆様も、どうぞお気を付けください。

本日の聖書は、9117、十二人の派遣、ヘロデの戸惑い、そして五千人への給食、この三つの出来事が記されています。

実は、長過ぎました。6節まででやめておけば良かった、と後悔しています。

口語訳「それからイエスは十二弟子を呼び集めて、彼らにすべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威とをお授けになった。また神の国を宣べ伝え、かつ病気をなおすためにつかわして言われた、『旅のために何も携えるな。つえも袋もパンも銭も持たず、また下着も二枚は持つな。また、どこかの家にはいったら、そこに留まっておれ。そしてそこから出かけることにしなさい。だれもあなたがたを迎えるものがいなかったら、その町を出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足からちりを払い落しなさい』。弟子たちは出て行って、村々を巡り歩き、いたる所で福音を宣べ伝え、また病気をいやした。」

And went from village to village,

preaching the gospel and healing people everywhere.KJV

 

英語聖書では、Preaching and healing, 宣教と癒し、人間の魂と肉体の問題です。霊肉は切り離されがたいものと考えられているため、このように一対のものとされるのです。

永遠の問題は、今ここにおいて、今の時の問題として始まっているのです。

主イエスは先ず、その弟子たち12人を、神の国を宣べ伝え、病気を癒すためにつまり、人間を全人格として、物心両面から救済するために遣わされました。

 

12人を呼び寄せられたことは、ルカ612に語られています。

「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。

それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである。」

 

ここでは、お招きになった12人が何をするのか、明確ではありません。

それを知るには、マルコ31315をお読みいただきましょう。

「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ悪霊を追い出す権能を持たせるためであった」(マルコ3:13-15)。

 

12人の派遣は、弟子の訓練が、完成ではないが、ある程度出来上がったことです。それでもなお、力を与えられた、とあること心が引かれます。召されて、御旨に従い働く者には、必要な力が備えられる、ということです。希望がわきます。

以下、クラドックp203の書くものを要約します。20年以上前、木下順次牧師は、クラドックの名を挙げられた。翻訳が出る前で、原書を読まれていたのだ。先生は、確か旭川の出身。日本基督教会。

「準備段階にあった12人が、実際に使徒「遣わされた人々」になります。

この任務のために、彼らには権威と力が与えられます。

彼らの任務は、悪霊払いと癒しと神の国の告知である。

到来する神の国を力に満ちた行為によって示す。

二人ずつ組になって行く(マルコ67)のではなく、七十人のとき(10112)までそれを取っておく。」

 

ルカは、後の時代の教会が、必ずしも伝道者を二人一組にして派遣できなかった状況を知っていたのでしょう。現代の教会も同じ状況にあります。教会が小さいために一人しか招聘できないこともありました。奥さんは教職であっても、学校で働いていただきたい、というケースもありました。ホーリネスなどは、教職同士の結婚を推進し、二人一組の派遣を実現しています。また、外国宣教においては、カップルでの派遣を採用する団体が多いようです。長短があり、どちらかを絶対化することは出来ません。

 

出発に当たって、イエスは驚くべきことを言われます。ユダヤ人は、出かけるときには、杖と袋を必ず持ちました。パンや金、着替えなどが入っていたかもしれません。家を出たらば、何が起こるかわからない、不時に備えるのが当然でした。現代でも用心深い人は、十全の準備をし、何事が起きても大丈夫なようにしました。私も学生の頃まで奏しました。そのうちに、何か起きても現金で買うことが出来る、補充できる、と考えるようになりました。金と物に対する信頼感でしょうか。この頃は薄れてきて、元に戻っています。

主は、「まさか・万一」のための安全装備をせずに出かけて行くことを求め、教えられます。そこで、神に対する彼らの信仰や、人々のもてなしに対する信頼の度合いが明らかになる。

   

このことに関して、私の尊敬する先生が、こんなことを言われました。

「我々が、力を与えられているにもかかわらず、それを用いて備えをすることもせずにいるなら、それは怠惰と言うべきだ。会堂建築も、自助努力よりも、全国募金に頼ることを重んじる考えが強くなる傾向がある。それが連帯だ、と主張する。自分たちでできる限りの準備をし、計画の見直しもして、その上で考えることだろう。そもそも減価償却によって資金を積み立てておくべきだ。」

私は、この考えに賛同しています。ある任地の会堂・園舎建築のために、できるだけの積

み立てをしておきました。残念なことに後任牧師は、全国募金を二回もされました。そう

して建てることが出来たのですから、教会の人たちは喜んでいるでしょう。

 

5節には、私たちとは違った習慣が記されます。

ラビは、異教の土地を旅したのち、パレスチナに入るときには、足についた異郷のちりを最後の一粒まで徹底的に払い落としたそうです。弟子たちの活動を受け入れない町があれば、その町との関係を断ち切ることを態度で示しなさい、ということのようです。これは、後の教会の、現実のために書き記されたもの、と学者は推測します。宣教が困難な町、或いは団体、個人があります。それとの関係を絶つことが許される、ということです。

 

帰ってきた弟子たちを迎えて、主は彼らと共にベトサイダへ退かれます。

5000人への供食は、イエスが語り始める(1822)ご自分の死について、読者が耳を傾ける準備をさせるものです。イエスはベトサイダに退きました。ここは、ヨハネによれば(ヨハネ144)ペトロやアンデレ、フィリポの故郷。退いた理由は、民衆の賞賛の底にある誘惑を避けるため、また、祈りと回復のためであろう。然し、群衆は、イエスに求めるものがあります。あとを追いました。主イエスは、彼らの求めを拒絶しません。応えます。

神の国を告げ、癒しを行います。

 

12人はイエスに、人々が宿や食べ物を見つけるために、近くの村へ行かせるように求めました。宿に言及するのは、ルカだけです。

彼らは、イエスの力の現われを見てきたのですが、それ以外のどのような必要にも対応できるのだ、とは思い至らないのです。この頃も、想像力が足りない、という言葉を聞きます。それとよく似ています。見た、聞いたこと以上のことの存在すら考えられないのです。

 

イエスは、五餅二魚を分配する前に、これらを祝福します。

ユダヤ人の諺 「感謝をささげずに何かを享受するのは、神から盗むも同然である。」

『コルチャック先生』、ポーランドのアンジェイ・ワイだ監督作品。一見の価値あり。

ワルシャワゲットーの狭い家、子どもの施設で、貧しい食事。それでも子どもたちと一緒に感謝をささげていた。苦難の中で、悲しみの中で、貧窮と病の只中で。

食事の祝福の言葉、「世の王なるわれらの神ヤハウェ、あなたに祝福あれ。

     地からパンを呼び起こされるあなたに祝福あれ。」

 

ここにその名が記されるヘロデはいったい何者か?

ガリラヤの領主であるヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスであり、福音書の中で最も多く言及されるヘロデである。それは、ヨハネとイエスの宣教は彼の統治の間に行われたからである。統治の中心地はガリラヤ湖に面したティベリアスなのでイエスに関する報告が彼に届いたのは当然のことであった。

「ヘロデは、これらの出来事を全て聞いた。」

イエスは、政治的権威者の関心を引きました。

 

この活動の結果は、かなり大きなものだったようです。

いろいろな出来事が起こりました。ヘロデ王の反応はその一例です。

「いったいこの方はどなただろう。」825では、同じ言葉が、弟子たちから出ています。いまや、時の権力者ヘロデの口から出ています。

 

「いったいこの方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか。」

実は、この問いに対しては、私たち一人ひとりが答えなければならないのです。

答えることが求められています。答えに必要な知恵と力は、求める方ご自身が与えて下さっています。「あなたこそ、私の救い主・キリストです」と答えてください。

 

 

 

 

 

 

 

〈書かれたものに対する疑念〉  ザマの会戦、第二次ポエニー戦役、 

ザマのあった位置は、カルタゴから徒歩で五日を要するところにあったという。

距離にすればカルタゴの西方約500kmばかりのところだ、ということになっている。

   服部伸六著『カルタゴ人』p.141

Proclamation、宣言、布告、声明、

2014年7月20日日曜日

会堂長たちよ、ただ信じなさい

[聖書]ルカ8:40~56、
[讃美歌21]361,11,457,77、
[交読詩編]52:3~9、

夏休みの始まりを告げる夏の三連休、私たちの世代には、全く馴染みのないも
のです。
どのような目的で制定されたのか、これに何の意味があるのか、分かりません。
お休みだ、お祭だ、喜べ、楽しめ、騒げ、それで良いのかもしれません。政府
をお上と考え、何事も言うことに従う国になって行くいつか来た道。
国民を舐めんじゃねーぞ、と言いたい。この半世紀の間に学び、成長して来ま
した。
普段はおとなしいけれど、底力で抵抗しますよ。反抗します。平和ボケと言われて
もよい。平和憲法を守る。わが子を戦場へは行かせない。人殺しにはしない。
さて、本日の聖書に入りましょう。
ここには、二つの出来事が記されている。時間的、場所的、人的なつながりのため
か、一連のこととされる。内容的には、どうなのだろうか。二つの癒しの奇跡で良
いのかな?
場所は、ガリラヤ湖の西岸になります。カフェルナウム、と推定する学者もいま
す。異教徒の地、イエスを拒絶した東岸・ゲラサ人の地から帰ってきました。人
々は、待ちかねていた様子で、歓迎しています。ここで、会堂長ヤイロが登場しま
す。お気の毒なことに、この人の12歳の一人娘が死にかけています。
14日には、岡山県で、小学校 5年生の女児が行方不明となっている。最近この類の事件が多
発している。原因や解決に関心がないわけではないが、今ここで話したいのは、父親、母親の精
神状態のことだ。子どもが行方不明、帰ってこない、どこにいるのだ、無事に帰ってきて欲し
い。子どものことが心配でならない。
20日朝には、発見されたことが報じられ、やれやれと一安心。これまでのご両親、祖父母のかた
がたのご心痛は、たいそうなものでしょう。自分をその場に据えて見ることも恐ろしくて出来か
ねるほどです。
12歳は、イスラエルでは大人への橋渡しの時期。男の子は 13歳から一人前に律
法遵守が求められます。女の子は、この頃女となり、嫁に行くことが許されま
す。ヤイロの娘は、輝くような希望に満ち溢れているはずでした。ところが、彼
女は病床に伏しています。その期間は不明です。あらゆる治療の手段が施され
たでしょう。ヤイロには、それだけの力がありました。いまや万策尽き果てた、
と感じます。その彼の心に浮かんだのは、ナザレのイエスのことです。ユダヤ社
会の大方から非難されるだろう。会堂長としての地位も危うくなるかもしれない。
でも娘の尽きかけた命を救ってくださるのは、あの方しかいない。
危篤の娘の命を救いたい一心で、病床に心を残しつつ、イエスのもとへやって
来ました。
会堂長(口語訳までは会堂司)とはどのような人物でしょうか。アルキシュナゴグ

「ユダヤ民族の特別な歴史とそれに基づく律法を提示しているのは聖書(旧約聖
書)であり。そこに民族存在の根拠があった。したがって聖書の学習は幼少時か
ら行われた。両親、学校、およびシナゴーグにおいてである。このうち両親による指
導が基礎的なものである。
ユダヤの少年は13歳頃になると、すべての戒律の遵奉が義務付けられた。
シナゴーグにはしばしば教室が付属していた。
シナゴーグで最も重要なのは櫃であり、そこに聖書の巻物が収められていた。
会堂司たちは、会堂や聖書の管理に当たった。」(ここまで、秀村欣二・新約時代
史)
「また礼拝のお話をする人の選定、依頼。地域のやもめ、孤児の世話、そのた
めの募金や献品の取りまとめなども担当し、地域社会では尊敬される名士であ
った。」(この項は持田)
 このようなヤイロが、イエスの前で平伏して願いを述べます。ゲネサレの男
も、イエスの前で平伏しています。全面的な服従を表します。
イエスは、ヤイロの求めを受け、その家に急ぎます。
6: 6~ 11には、安息日に、会堂で手のなえた人を癒された、と語られます。そ
の結果、律法学者、ファリサイ人たちは、怒り狂い、イエスを何とかしよう、と
話し合います。
一般の人々、苦しみ、悩みの中にある人々は、イエスを求め、イエスに従いま
す。然し、権威ある人、有力な人々、尊敬されている人、血筋・家柄・資産など
を誇る豊かな人々は、それらを失うことを恐れ、イエスを何とか退けようと考
えました。
本来、会堂長は、この仲間のはずです。ヤイロもそのつもりでいたでしょう。ユダ
ヤの伝統を担う者です。然し娘の命は、伝統よりも、仲間よりも重いものでし
た。
イエスを伴い、一刻も早く、と家路を急ぎます。
 ヤイロの心を知らない多くの群衆が、次々とイエスを取り巻きます。その中
に一人の女が紛れ込んでいました。12年間、血の流失が続いている人です。
43~48節、長血の女。流出は不浄とされていました(レビ15:19~33)。
ユダヤ社会では、身に汚れある者は、その共同体に入ることを許されなかった。
彼女が触れるものは全て汚れたものとなり、彼女に触れるものはすべて汚れる(レ
ビ15:25~30)。彼女の家、会堂、社会において、彼女はアウトサイダーであった。
もっと踏み込んで言えば、この女性は、その世界で失われた者、死んだもので
ある。
12年間、孤独に耐えて、回復のためにあらゆる手段を尽くしたこの女性。全財産
を使い果たし、なお回復しなかった。この時でもまだ、「娘」と呼ばれている。
最後の望みをイエスにかけた。信を置いた。イエスの服の房に触れた。
この女性はたいそう賢い人です。掟に従えば、このような群衆の中に来ること
すら許されません。他の人々を既に汚していることでしょう。(そのような穢れを
清めるための祭儀、供犠もあります。)一方、群衆は、この女性に対して、全く
無関心です。見えないのか、見ようともしていないのか、無視しています。彼女はイ
エスの服の房に触れます。
イエスは、ご自分の内から力が出て行ったことを知り、触れたのは誰か、尋
ねます。これに答えることは、自分が不適切なことをした、と告白することにな
り、咎めを受けるはずです。女は、恐れつつも自分であること、そこで起こった
ことをすべて申し述べました。主イエスは、あなたの信仰があなたを救った、と
言われます。この娘は、安心して行くことを保障されました。主が、平和がある
ように、と言われるときの、あの平和です。
病気が癒され、肉体が壮健になり、共同体の一員であることも回復され、人並み
にどこへでも行くことができる、そう、働くことも出来ます。主イエスの持つ力
によって、労働する喜びも回復されました。それは、私たちの信頼によって働き
ます。
 話しているうちに、会堂長の家から使いが来ます。最悪の知らせです。
「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」この
者たちは、家で働く者たちで、会堂長の心情がわからず、ユダヤの掟を尊重して
いるのでしょう。おかしな言説をするイエスに対する警戒感があるようです。配慮深
く聞こえる言葉の奥に、距離感を感じます。敬遠かもしれません。拒絶しよう、
関わりたくない、心があります。
イエスはそのような言葉を気にかけることなく、恐れるな、と言い、先を急ぎ
ます。到着します。人々は泣き悲しんでいます。既に葬式の準備です。先ず最初
に 泣 き 女 が 招 き 入 れ ら れ ま す 。 ど ん な に 貧 し い 人 の 葬 儀 で も 、 泣 き 女 は 用 意
されるそうです。この家なら多数の泣き女が用意され、人の心をかきむしるよう
に、悲しみを掻き立てるように、上手に泣いているでしょう。
西隣の半島の国では、今でも、泣き女が付きものだそうです。家族の悲しみを
増幅し、悲しみの頂点に押し上げることになるなら、それなりの効用が認められ
るでしょう。ひとつの文化であって、批判することは考えません。
 イエスは、人々の嘲笑の中で、娘は、眠っているだけです、と言い、娘の手
を取って、
「娘よ、起きなさい」と言われます。すると、娘の霊が戻ってきた。創世記 2章
などに基づいて考えると、霊は風、息であって、被造物である人を生かす神の力
を指します。
『主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで
人は生きた者となった。』創世2:7、
ヤイロの娘の身に起こったことは、再創造であり、甦りなのです。
 悪霊に憑かれたゲラサ人の身に起こったことも、人格が回復される甦りでし
た。
長 血 の 女 の 身 に 起 こ っ た こ と も 、 社 会 か ら 疎 外 さ れ た 人 が 回 復 さ れ る 甦 り で
す。
ヤイロの娘も、生きる者の世界から死者の国,シェオールへ送られた者の回復、
甦りです。
この三つの物語、出来事はひとつの奇跡、不思議な出来事を指し示しています。
主 イ エ ス は 、 ご 自 分 の 復 活 に 先 立 っ て 、 多 く の 人 々 、 不 可 解 な 諸 力 や 、 病 気
や、人の言いならわしなどによって、社会から追い出され、死んだ者にされてい
た人々に復活を与えておられます。主なる神の大きな力と本当の愛を表してい
ます。
イエスは、それほどに一人びとりを愛し、大事にされました。
奇跡が信仰を生み出すのではありません。奇跡は信仰から生じるのです。
私たちは、ひたすらに信頼することができます。
感謝して祈りましょう。

2014年7月13日日曜日

悪霊たちよ、さらば

[聖書]ルカ8:26~39、
[讃美歌21]361,7,401、
[交読詩編]33:4~11、

W杯は10日の準決勝で、アルゼンチンがオランダに劇的なPK勝ち。ドイツと決勝
戦。
アルゼンチンは勝ちにこだわった、と評されます。どこだって勝ちたいものです。
その上、アルゼンチンは7月9日が独立記念日でした。『ヌエベ デ フリオ』、
タンゴの名曲も作られています。特別、勝ちにこだわったとしても、許せる気がし
ます。
この国はスペイン語を話します。さようならはアディオス。気分としては、長い
お 別 れ で す 。 英 語 で は 短 い 別 れ に 、 see you、 so longな ど を 使 い ま す 。 ス ペ イ
ン語はチャオ、と言います。友人に別れを告げるなら、アディオス ムチャーチ
ョス。
本日の説教題は、アディオス デーモン、とでもなるでしょうか。
さて、前週は、突然の嵐の中、主イエスが乗る小船の中で起こった物語。
主イエスは波と風を鎮め、船は目指すゲラサの地に着きました。
そして今朝は、ゲラサの地、悪霊に憑かれた男の物語。
ゲ ラ サ 、 ガ リ ラ ヤ 湖 東 岸 。 〈 ガ ダ ラ 人 の 地 〉 ( マ タ イ 8: 28) ま た 〈 ゲ ラ サ 人 の
地〉(マルコ5:1、ルカ8:26、異本にはゲルゲサ人の地)と記されています。湖
の東岸中央のやや北寄り、ワディ・エ・セマクの落ち口にケルサ、もしくはクルシ
と 呼 ば れ る 村 が あ る 。 そ こ に は 峻 坂 の 断 崖 が あ り 、 豚 の 群 れ が 〈 が け か ら 海 へ
な だ れ を 打 っ て 駆 け 下 り 〉 、 死 ん だ 情 景 を 偲 ば せ る 。 こ の 付 近 に は 岸 壁 を 掘 り
込んで作った墓や、石器時代の遺物が見られ、狂人はそこに身を隠していたので
あろう。(1962年出版の書籍)
1990年 の 註 解 書 に は 、 新 し い 知 識 が あ り ま す 。 し か し 、 そ の い ず れ も 湖 か ら
53km、10km、遠すぎるように感じます。主イエスの出来事は、湖に近いところと
考えられます。
ここに、悪霊に憑かれた男がいました。
この男が、イエスを見るなり叫び出しました。28節、
この人に取り付いている悪霊が言わせる言葉に違いありません。
初 め は 、 「 い と 高 き 神 の 子 イ エ ス よ 」 。 イ エ ス が 神 の 子 で あ る と 知 り 、 そ れ を
告白している。
悪霊も神の子を知り、それを言い表します。
しかし、関係をもつことを拒絶しています。これは悪霊自身が、神の子の力を恐
れていることに他なりません。イエスによって苦しめられる、と感じているので
す。
そこで、苦しめないでください、と願う。
どうやら、ここまでに悪霊はイエスに、この人から出て行くように言われたらし
い。29節
 イエスは、彼に尋ねます。「なんという名前か」、古代世界では、名を知るこ
とは支配すること、と信じられていた。
彼 は 答 え ま す 。 レ ギ オ ン で す 。 た く さ ん の 悪 霊 が 、 と い う の は 記 者 の 説 明 で
す。
レギオン、古代ローマの軍隊の呼称、一軍団はおよそ重装歩兵6000人から成る。
百人隊が十個で千人隊、実際は80人2隊で1マニプルス・中隊、これを3隊連結して
大隊・コホルスが、行動時の中核となった。
軍団兵の実数は、時代と状況によって異なります。ここでは、悪霊に憑かれて
いた男の
名であるので、通常「多数」という意味とされてきました。
この悪霊は、底知れぬ所に落ちて行くことを、お命じにならぬよう、イエスに願
います。
悪霊は、本来、底知れぬところがその住処と考えられます。何故そこを拒むのでし
ょうか。
主イエスは、底知れぬところに対しても支配力を持つことを知っていたかもしれま
せん。
彼らでもそこを拒むほどに苦しく、困難なところ、と考えるのではないでしょう
か。
悪霊は、豚の群れの中に入らせてください、と願います。
豚、旧約聖書は、これを食べることを禁じています。汚れた動物
「また豚、これは、ひずめが分れているけれども、反芻しないから、汚れたもので
ある。
そ の 肉 を 食 べ て は な ら な い 。 ま た そ の 死 体 に 触 れ て は な ら な い 。 」 申 命 記 14章
8節
生産者がいれば、当然それを購入し、消費する人たちがいるはずです。死海東岸に
は、ア
ンモン、モアブ、エドムの人々がいます。アブラハムの子孫とされているが、イス
ラエル
とは敵対していたようであり、どの程度律法を守っていたかは不明。ローマの軍
団、商人
たち、その家族・関係者などギリシャ・ローマ世界からの滞在者、移住者たちがい
ました。
彼らは、このゲラサの人たちの良いお客さんだったでしょう。
良い取引によって利益を上げ、それを再投資しながら飼育頭数を増やしてきたの
でしょう。
悪霊に憑かれた男、よくゲラサの狂人と呼ばれていたようだ。気違い、狂気
ダイモニゾマイ、ダイモーンの力のとりこになっている、死者の霊に取り付かれている、
悪霊につかれている、
ダイモニオン(古典)神的存在、死んだ英雄の神格化されたもの、行伝17:18、
(旧約)異教神、偽りの神々、
(新約)悪霊、悪鬼、死者の霊、死霊、他の表現についてはプニューマを見よ。
  プニューマ;悪霊、死霊...生者に作用して悪い影響を与える無形の人格的存
在、
きちがい【気違(い)】[一](3)常人とは異なる精神世界に住し、その言動が常識とは相容(イ)れな
い・こと(人)。〔精神病・精神分裂症(にかかっている人)の俗称としても用いられる〕「―に刃
物」
[二](造語)度を過ごして物事に熱中する・こと(人)「本―(4)(3)」[表記]「気《狂い》とも書く。
三省堂「新明解国語辞典」による
正 直 に 言 う な ら 、 こ の 悪 霊 が 何 で あ る か は 、 今 の 私 に は 判 り ま せ ん 。 ゲ ラ サ の
狂人、これをそのようには考えられないからです。書かれた症状は、すさまじいもの
があります。全く常人とは違う、と見えます。私たちの周辺にはいない。そうで
しょうか。
豚 が 、 湖 に 入 っ て 溺 れ 死 ん だ 、 と き い た ガ ラ サ の 人 々 は 、 イ エ ス の と こ ろ に や
ってきました。そこで、悪霊を追い出していただいた人から事情を聞きます。一
人の人が救われたことを聞いたゲラサの民衆は、イエスに立ち去ることを求めま
す。
彼らはイエスを恐れます。自分たちにはない力を持っています。しかもそれは、
自 分 た ち の 大 事 な 経 済 生 活 を 破 壊 し か ね ま せ ん 。 個 人 の 人 格 の 回 復 よ り も 、 自
分たちの経済が大切だ。冷静に考えると、これは私たちの世界のことではないで
しょうか。経済・財政上の損得のために人命を犠牲にするような戦争の準備をす
る。ゲラサの人々を笑うことは出来ません。まさに私たちの唯中に悪霊・レギオ
ンが入り込んでいます。
主イエスは、異邦人の住むところで、悪霊を追い出されます。
伝 道 者 パ ウ ロ は 、 信 仰 ・ 宗 教 の 名 の 下 で 経 済 活 動 を 第 一 に 考 え る 人 々 と 対 立 し
ていました。たとえば、言行録19:25「この仕事のお陰で、我々はもうけているの
だが、」エフェソのアルテミス神殿の銀細工職人デメテリオの言葉です。パウロの
伝道が成功したら、自分たちの生活が危うくなる。従来の経済秩序が成り立たな
くなる。真理問題などではありません。
教会員原簿に「陪餐停止」と書かれていた、とお話したことがあります。不行跡の
故 、 と あ り ま し た 。 そ の 意 味 を 古 い 教 会 員 に 聞 き ま し た 。 「 礼 拝 の 時 間 に 村 の
寄り合いに行ってしまった事です。行かなければ村八分、田んぼに水を引けなく
なってしまうさ。」
悪霊は、私たち一人ひとりの中に住み着いている何者かのようです。自己正当化
の霊も。
多 く の 人 が 、 そ う し た 苦 し い 事 情 の 中 で も 、 罪 の 赦 し を 求 め て キ リ ス ト に 従 い
ました。
私の中では、経済の問題は、偉くなることに結びつきます。キリスト信仰は偉く
なることに訣別することです。人からの賞賛を求めるのではなく、神を讃美し、人
に仕える生き方を進めることです。
私の人生を、このお方に委ねましょう。そして、アディオス、悪霊!

2014年7月6日日曜日

風も波も従うお方

[聖書]ルカ82225
[讃美歌21]361,441,457、
[交読詩編]107:17~22、

厚別教会からお招きをいただき、ご一緒に礼拝するようになって満三年三ヶ月を経ました。無我夢中でやってきたように感じます。若くはないよ、と言い聞かせながらでした。ふと気付いてみると、大事なことを落としていました。それは、礼拝とは何か、という点に関し、学ぶことがなかった、ということです。礼拝に関する共通の認識を持っていないのではないか、ということです。私が、この講壇でお話しする以前に、立派な先生方が教えておられるだろうとは考えます。それでも、そのときの牧師が、どのように考えているのか、明確にすることが大事だ、と考えています。

 

 礼拝の定義は、さまざまです。いろいろな要素もあり、それらを網羅するのは至難の業。

簡単に、ひとつの側面からの定義をお示ししましょう。

『礼拝の場で神の民が経験することは、キリストにおいて頂点に達した神の救いの物語(救済史)の想起(アナムネーシス)であり、この事実に感謝と讃美をささげることであり、その物語を世界に向かって宣言し告知することである。

礼拝に与ることを通して神の民は、過去から現在そして未来に及ぶ神の臨在と働きを知ると共に、自らの存在の源泉と使命を自覚し、信仰共同体として成長する。』

                   キリスト教礼拝・礼拝学事典、P388

 

 キリスト教神学は、正確と厳密さを大事にするため、七面倒な言い回しになります。

私なりの言葉で表現してみます。

礼拝とは、神を仰ぎ讃美・告白を捧げる時・場である。

旧約では出エジプトを追体験する時、場。追体験する、過ぎ越し、七週、仮安主

新約では、救い主と出会い、讃美・告白を捧げる時。 

すなわち、主イエスの十字架と甦りを追体験するとき、場。

従って、説教は、イエスを語り、この方との出会いを起こし、この方こそ私の主キリストである、との讃美・告白に共に至る。

共に、という言葉は、ここにいる私たちだけではなく、時代を超え、所を越えたすべての聖徒たちと共に、という意味があります。教団の信仰告白に「我らはかく信じ、代々の聖徒と共に使徒信条を告白す」とありますが、同じ意味を持っています。

 

話は変わります。お天気、毎年のように異常気象と言われるようになりました。亜熱帯化している、とも言われるようになりました。天文・気象は、いつだって我々人間の思い通りになったことはなかったのではないでしょうか。手の届かないところの出来事。

それでも短い期間の激しい変化はあっても、長い期間で考えるとおおよそ平均的な数値になったものです。

こうしたことは、気象だけではなくて、世界、社会、歴史でも起こっているようです。記憶に残るのは、1966年ごろ山梨英和学院の院長をしていた山田忠蔵先生の言葉です。長い間、中国で活躍した先生、メソジストの教職でした。

《今、大陸では文革の嵐が吹き荒れている。大陸3000年の歴史は、様々な大変革も、いつの間にか元通りにしてしまうものだ。少々長くかかっても、百年、二百年、そのくらい呑み込んでしまう、それほど、懐が深い国、民族ですよ。》

 

「地震・雷、火事、親父」。これは何でしょうか。昔から並べて云われて来た言葉です。

怖いものをいっているようです。最近の状況も、これを肯定するようです。少年の頃、留守番の心得を教えられました。「泥棒が来たら、出せるものは出して帰ってもらいなさい。怪我をしないように、火を出さないようにしなさい。火事は何もかもすっかり持っていってしまう。一番大事なものは命だ、これがあれば、物はいくらでも働いて取り返せる。」

地震、津波、竜巻、雷、山津波、原発事故、これらは物も命も全てを一掃します。怖いですね。

 

少々意味不明になりかけていないでしょうか。たぶん、怖いものの代表だったのでしょう。ですから、雷親父、という言い方もあるのでしょう。それでもある時期から、怖いというより優しくて友達のような父親像になってきたのではないでしょうか。代わって、母ちゃん怖い。これは子どもだけではなく、父ちゃんの台詞になります。異論があるのは当然です。今は、何が正しいか、論議する気はありません。怖いものでも、昔は平均的に統一されたものだが、現在は、平均値を出すことすら難しくなってきている、と申し上げたいのです。この四連語句は、怖いもの、というより、人の思い通りにならないもの、をさしているのではないかな、と感じます。親父は、頑固で、旧弊で、少しばかりの経験を後生大事に守っている。更におかしなところでロマンチスト。「地震、雷、火事、親父」、これは怖いものではなくて、人の思い通りにならないものを代表している言葉。思い通りにならないもの、怖くなくても、面倒で敬遠したくなるものです。

 

本日の聖書は、嵐に悩む船の中で眠っておられる主イエスの姿が描き出されました。

いつのことかは判りません。主イエスは、ガリラヤ湖の東岸を目指して弟子たちを伴い、船出しました。漁師も加わっています。疲れていたし、安心だし、船に乗って間もなく眠ってしまわれました。ガリラヤ湖は、地形上の理由で、強い風が吹くことで良く知られていました。このときも突然嵐となり、突風になりました。慣れているはずのペトロを初め、お弟子さんたちは吹いてくる風の勢いに恐れをなしました。これまでの経験にもなかったのでしょう。一人眠っておられるイエス様にすがりつきました。

手に負えない自然現象に対する恐れが、ここには見えています。これを何とか出来る人がいるとすれば、既に奇跡をなさった先生、イエス様よりほかには考えられません。弟子たちは、先生を揺り起こしました。

「先生、先生、おぼれそうです。何とかしてください」。

 

イエス様は、起き上がり、風と波をお叱りになりました。すると、たちまちのうちに湖は静まり、静かになりました。

イエス様は、弟子たちに言われます。「あなた方の信仰はどこにあるのか」。

弟子たちは、イエス様と一緒にいて、多くのことを教えられ、学び、奇跡を見てきました。

彼らは、イエス様を律法学者のように感じていたのでしょうか。学者に対する尊称、ラビ、ラボニ、を用いています。しかし、学者に対するのと同じ呼び方をしていても、学者だと、信じていたはずがありません。学者には行動がありません。他の呼び方がなかったのでしょう。あれば、それを使ったことでしょう。

 

 弟子たちは、付き従い、この舟に乗り込むまで、学者先生以上のお方として信じていました。それでも、風と波の恐ろしい現実にぶつかったとき、その信頼の幾分かは消えてしまいました。その消えた分だけで、不信仰となってしまいます。

あり難いことに、主は不信仰だから、相手にしないよ、とは言われませんでした。

 

嵐の波と風に行き悩む船は、世界教会一致運動のシンボルマークです。

第二次世界大戦後の現代世界は、決して平和ではなかった。いつもどこかで戦闘が行われ、多くの人々が殺され続けました。原子力・軍備拡充のために莫大な予算が使われ、その廃棄、縮小のために、更に無駄金が遣われる。そのために世界中の貧困、病気、高齢化、などの問題が取り残されました。

 

この嵐の中に漕ぎ悩む小船に、主イエスは共に居られるのです。風と波を、思い通りにする力を持ったお方が、共にいてくださるのです。

そこには、専門技術を持った人がいて、主はその人たちの腕前を信頼して、安心し、眠っておられます。私たちは、与えられた、自分の力を有効に用いることが出来ます。

この主イエスに呼び求めることも出来ます。こんな些細なことで煩わせては申し訳ない、と感じることもあるでしょう。それが私の務めだよ、といってくださいます。遠慮しないで、甘えようではありませんか。