2015年1月18日日曜日

親孝行な息子

[聖書]ルカ15:11~32、
[讃美歌]289,210,433,77
[交読詩編]101:1~8、

前回に続き、いわゆる『放蕩息子の譬』の後半部分から福音を学びます。

放蕩息子の回心、こういう話しはどこかで聞いたことがあるでしょうか。

聖アウグスチヌスは、若いころ放蕩の限りを尽くした、と言われている。

聖フランチェスコが金持ちの道楽息子で、それこそ放蕩の限りをつくし、名誉欲のために戦争に加わり、おそらく殺人さえもしたであろうことは、よく知られている。

聖人、英雄、天才といわれる人々には比較的よく付きまとう逸話です。

 

本心に立ち返った若者が、父の家の雇い人の一人にしてもらおう、と考えて帰って来ました。その姿を遠くから認めた父親は、駆け寄って我が家に迎え入れます。そして一人の息子として歓迎し、子牛をほふり宴会を開きます。

 

この息子の考え方には、大事なものがあります。彼は、次のように言っています。「私は、天に対しても、お父さんに対しても、罪を犯しました。息子と呼ばれる資格はありません。」

天の父に対しても、地上の父に対しても、罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。資格喪失するような一つの罪を犯した、と認めます。しかもそれを二つの側面から見つめています。これは私たちの生活においても当てはまることです。

 

 ひとつの罪があります。それは神に対するものである、と同時に隣人に対するものである、ということが多いのではないでしょうか。「約束」を考えて見ます。人と人の間の約束、それを守らなかった時、人に対して罪を犯しました、と考えるでしょう。約束には時間や能力の行使が伴います。それらは誰のものでしょうか。私たちにとっては神に属するものです。それを無駄にしてしまったのですから、神に対しても罪を犯しています。面倒くさいから、出来るだけそのようには考えないようにしているのではないでしょうか。時として、良心的になると、このことに気付き、悩みます。そして、考えることをやめます。

 

 父親は、多分、息子のこうした考えを聞いて喜んだでしょう。しかしそうでなくても、歓迎したに違いありません。譬の中で、息子の言葉に対する父親の態度を顕わすために、「それにもかかわらず」と言う意味で、アッラ よりも強い デを使っています。「帰ってきた息子はこう言った、にもかかわらず父は、こうした。」となります。

愛に満ちた父親です。その愛は、息子の言葉通りにするだけではありません。雇い人の一人にするのではなく、息子の地位を回復しました。

 

もう一人の息子、年長の息子が畑から帰ってきました。毎日毎日単調に見える農作業、実はからだと共に大変神経を使う労働です。家に近づくと、疲れている彼の耳に宴会の物音が聞こえてきました。「音楽や踊りのざわめき」家で働く僕に訊くと、なんと弟息子が帰ってきたのを喜んで祝宴を開いている、と言います。しかも、子牛をほふっているとのこと。これを聞いたこの息子は、腹を立てました。怒り心頭です。「アンナ奴のために祝宴か、この俺様をなんと思っているんだ、馬鹿にするのもいい加減にしろ」。弟に対する怒り、嫌悪感があります。

そればかりではありません。大甘の父親、に対する怒りが見えます。

財産を使い果たし、尾羽打ち枯らした姿で帰ってきた息子、すこしは懲らしめが必要だろうに、なんと肥えた子牛を屠り大ご馳走。その上、音曲付だ。音楽、踊り、一体何様だと言うのか。

雇い人の言葉も気に入らない。「弟さんが帰ってこられた」何を言うか、アンナ奴、弟なんかじゃあないぞ。財産を貰って、出て行ったんだ。あいつの分はこの家には、何もないのだ。そんな奴、弟のはずがないじゃないか。

 

父親は、家に入ろうとしない長男の様子を知らされたのでしょう。出て来てなだめます。

しかしこの息子は、聞き入れようとはしません。その主張は、自分は、父に仕えて一度もそむいたことがありません。親孝行を尽くしてきました。これが基本です。ああ、それなのにそれなのに・・・。友達との宴会のために小山羊一匹すらくれなかった。なんと冷たい父親だ。食い物の恨みは大変強く、執拗に、長く消えないものです。恨み節は更に展開されます。

 「ところが、あのあなたの息子が」、この譬の白眉とも言えるでしょう。この息子と帰ってきた息子は、同じ父・母の子供、と考えられています。紛れもない兄弟。それを『あなたの息子』と呼ぶ。もはや、自分の弟ではありません、との意思表示。それも今始まったことではない。財産の分与を求めた時から始まっているのではないでしょうか。無理もない、とは思います。兄にとって弟は、血のつながり、守るべき対象、財産を分かち合う相手でした。家を出て行ったとき、大部分のつながりは消えてしまいました。弟ではなくなったのです。血は水よりも濃い、と言い、決して切ることが出来ません

 もう一つ見逃せないことは、兄弟の間にあるはずの愛が見られない、ことです。

 

 兄弟で思い出すのは、ドイツ文学の古典。シュニッツラーが書いた『盲目のジェロニモとその兄』という短編。神学校のドイツ語の時間、井上良夫先生が教材とされ、学んだ。

中年のくたびれ果てた男が二人。盲目の男はギター片手に歌をうたう、。もう一人は喜捨を貰う。

兄はカルロ。彼の不注意で弟ジェロニモは失明した。その負い目を担い、兄は弟と共に生きてきた。ここには貧しいけれど、愛と信頼がある。心無い旅の青年、毒を吹き込む。目の見えないジェロニモの耳に、「今金貨を入れてやったぞ、騙されるなよ」。これまで金貨を貰ったことはなかった。旅人に答える。「俺の兄貴は、俺を騙したりしないよ」。旅人が出立した後、カルロに言う。『兄さん、俺にも金貨、触らせてくれよ』。

兄は、当然金貨なんかないよ、と答える。疑惑の雲がわき、大きく広がる。嵐が来るとき、青空に一転の黒雲、急速に広がり寄せてくる。

 シェイクスピアの四大悲劇の一つ『オテッロ』、愛し合うオテッロ将軍とデズデモーナ。

ヴェニスの軍人でムーア人であるオセロは、デズデモーナと愛し合い、デズデモーナの父ブラバンショーの反対を押し切って駆け落ちする。オセロを嫌っている旗手イアーゴーは、自分をさしおいて昇進した同輩キャシオーがデズデモーナと密通していると、オセロに讒言する。嘘の真実味を増すために、イアーゴーは、オセロがデズデモーナに送ったハンカチを盗み、キャシオーの部屋に置く。

イアーゴーの作り事を信じてしまったオセロは嫉妬に苦しみ怒り、イアーゴーにキャシオーを殺すように命じ、自らはデズデモーナを殺してしまう。だが、イアーゴーの妻のエミリアは、ハンカチを盗んだのは夫であることを告白し、イアーゴーはエミリアを刺し殺して逃げる。イアーゴーは捕らえられるが、オセロはデズデモーナに口づけをしながら自殺をする。

 

 ヴェルディはこれをオペラに。マリオ・デル・モナコが主演して東京・産経ホールで上演された。階段を利用した演出、きっと名のある演出家だったのでしょう。圧倒的な歌唱と演技、名演だった。すばらしい舞台でした。

 

 信頼が疑惑に代わるとき、人と人の関係は大きく変化します。本来の関係は消失します。

不安と恐怖、侮蔑と嫌悪、憎しみと殺意の関係が生まれます。兄弟親子であっても全く違ったものになります。

父と、いつも一緒にいた親孝行な息子が、実は決して一緒ではなかったことを暴露しました。

畑でも、家でも、確かに肉体は一緒のところにいたのでしょう。しかし、その心は全く違う所を彷徨っていました。「あなたのあの息子が娼婦どもと一緒に」と言います。雇い人がそんなことを知らせることは出来ません。兄は、父のもとに居ながら、もう一人の息子、弟の行状を想像していたのでしょう。その心では弟を監視し、自分も弟のように遊びたい、と歯噛みするような思いで居たことでしょう。

親孝行な息子は、実にもう一人の放蕩息子だったのです。

 

弟のような人生は、おそらく多くの人にとってはあまりに奇抜で、親近感のもてない生き方に感じられるかもしれません。しかし、兄の生き方、弟が自分勝手に身を持ち崩そうとも、自分は実直に仕事をし、父親とともにこつこつと働いていく生き方は、多くの人にとってじゅうぶん理解可能なものだし、多くの人はそうして実直な人生を送っているのでしょう。弟と兄、両者のどちらかと言われれば多くの人は兄の中に自分の姿を見出すでしょう。そして、久しぶりに帰郷した弟に対して父親が用意した宴会のあまりの豪華さに、われわれはこの兄とともに不平をもらすのかもしれません。

 

24節、32節、死んでいたが再び生きるようになり、失われていたのに見出された、と繰り返されます。譬では、最後の部分が強調される、と言うのが文学上の原則。

しかしこの譬はそれではおさまりません。死より悪い状態があります。それは失われていることです。生より良い状態があります。それは見出されることです。

 

この物語の主題は、差別されている者を受け入れて、神に逆らった罪人を、迎え入れてくださる神の愛なのです。登場する「父」は神を、「弟」(放蕩息子)は罪人である人間(異邦人、取税人、遊女たち)、「兄」はパリサイ派、ユダヤ人を指していると言われています。

 

悔い改めが必要なのは、実は兄に他ならないのです。聖書が語る悔い改めとは、弟のように父の家へと向かうことだけではありません。絶望と死の淵から命へと向かって立ち上がるのが弟の悔い改めであったとすれば、兄が今必要としているのは、弟との和解であり、ねたみと憎悪を取り去ることであり、父と共にあることの豊かさを再発見すること、これこそが兄のなすべき悔い改め、我々のなすべき回心に他ならないのです。

父なる神は、私たちすべての者を悔い改めへと招き、待っておられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

『杜子春』芥川龍之介

或春の日暮です。

  唐の都洛陽らくやうの西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、一人の若者がありました。

  若者は名は杜子春とししゆんといつて、元は金持の息子でしたが、今は財産を費つかひ尽つくして、その日の暮しにも困る位、憐あはれな身分になつてゐるのです。

 

杜子春とししゆんは一日の内に、洛陽の都でも唯一人といふ大金持になりました。あの老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそつと掘つて見たら、大きな車にも余る位、黄金が一山出て来たのです。

  大金持になつた杜子春は、すぐに立派な家を買つて、玄宗げんそう皇帝にも負けない位、贅沢ぜいたくな暮しをし始めました。蘭陵らんりようの酒を買はせるやら、桂州の竜眼肉りゆうがんにくをとりよせるやら、日に四度色の変る牡丹ぼたんを庭に植ゑさせるやら、白孔雀しろくじやくを何羽も放し飼ひにするやら、玉を集めるやら、錦を縫はせるやら、香木かうぼくの車を造らせるやら、象牙の椅子を誂あつらへるやら、その贅沢を一々書いてゐては、いつになつてもこの話がおしまひにならない位です。

  するとかういふ噂うはさを聞いて、今までは路で行き合つても、挨拶さへしなかつた友だちなどが、朝夕遊びにやつて来ました。それも一日毎に数が増して、半年ばかり経つ内には、洛陽の都に名を知られた才子や美人が多い中で、杜子春の家へ来ないものは、一人もない位になつてしまつたのです。杜子春はこの御客たちを相手に、毎日酒盛りを開きました。その酒盛りの又盛なことは、中々口には尽されません。極ごくかいつまんだだけをお話しても、杜子春が金の杯に西洋から来た葡萄酒を汲んで、天竺てんぢく生れの魔法使が刀を呑んで見せる芸に見とれてゐると、そのまはりには二十人の女たちが、十人は翡翠ひすゐの蓮の花を、十人は瑪瑙めなうの牡丹の花を、いづれも髪に飾りながら、笛や琴を節面白く奏してゐるといふ景色なのです。

  しかしいくら大金持でも、御金には際限がありますから、さすがに贅沢家ぜいたくやの杜子春も、一年二年と経つ内には、だんだん貧乏になり出しました。さうすると人間は薄情なもので、昨日までは毎日来た友だちも、今日は門の前を通つてさへ、挨拶一つして行きません。ましてとうとう三年目の春、又杜子春が以前の通り、一文無しになつて見ると、広い洛陽の都の中にも、彼に宿を貸さうといふ家は、一軒もなくなつてしまひました。いや、宿を貸す所か、今では椀に一杯の水も、恵んでくれるものはないのです。

 

「いや、お金はもう入らないのです。」

 「金はもう入らない? ははあ、では贅沢をするにはとうとう飽きてしまつたと見えるな。」

  老人は審いぶかしさうな眼つきをしながら、ぢつと杜子春の顔を見つめました。

 「何、贅沢に飽きたのぢやありません。人間といふものに愛想がつきたのです。」

わたしは、・・・

峨眉山がびさんに棲すんでゐる、鉄冠子てつくわんしといふ仙人だ

 

 

 

2015年1月11日日曜日

放蕩息子

[聖書]ルカ15:11~32、
[讃美歌]289,6,431
[交読詩編]84:6~13、

 

15章で読まれる三つの譬は、なくしたものを見つけた喜びについて語っています。

はじめの二つは、よく似ているので一緒に扱われることが多いようです。三つ目は、その前の二つによって準備されて登場し、罪を悔いたものが戻ってくるのを喜び迎える愛に満ち溢れた父親の物語である。10章の「良いサマリア人の譬」と並び称される傑作です。

ある人々は言います。「最も優れた短編、完璧な小品、想像力に富む芸術作品、短編物語中の最高傑作、福音書の中の真珠」。絶賛の嵐、しかし、正しく理解されてきたのだろうか。

 

 芸術家の制作意欲を刺激してきました。

『放蕩息子の帰還』オランダの画家レンブラント・ファン・レインの大作絵画(1666-68)。原題《Terugkeer van de Verloren Zoon》。新約聖書に登場する放蕩息子の逸話を描いた、晩年の代表作の一つ。サンクト・ペテルブルク、エルミタージュ美術館所蔵。

バッサーノ、プーサン(マドリード・プラド美術館)、ムリーリョの連作(プラドおよびアイルランド・ナショナル・ギャラリー)、ロダン、アンドレ・ジード台本、ダリウス・ミヨー音楽、ポンキエルリはオペラ。

『放蕩息子』(ほうとうむすこ、仏: Le Fils Prodigue )は、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)による最後のバレエ作品、またセルゲイ・プロコフィエフによる同バレエのための音楽(作品46)および交響組曲(作品46bis)。その音楽の一部はプロコフィエフの『交響曲第4番』に転用されている。他にドビッシーの音楽も。

 

「放蕩息子」という題名は、随分古くからのものだろう、と考えます。近年、異論が強くなっています。あくまでも主人公は、二人の息子の父親です。内容の強調点も、この父親の息子たちへの愛であって、決して放蕩息子ではない。あるいは、放蕩ですらないのです。タイトルとしても、「息子を迎える父親」「父の愛」などが適切である、と言われます。

あるいは、父親の二人の息子のうち放蕩息子は誰か、と言う意味で、このタイトルがあるのかもしれません。「帰ってきた放蕩息子」「父の手元にいた放蕩息子」「父の愛は誰に向けられるか」、いろいろ考えても、なかなか父の愛を考えることになりません。主人公は、二人の息子ではありません。「待っている父」です。

「父は愛するから『待っている』のであり、父は神を意味するからである。」

罪人を赦す神が、この譬の主人公なのです。

 

そこで私たちは、放蕩息子から考え始めましょう。

放蕩息子[名・形動](スル) 思うままに振る舞うこと。特に、酒や女遊びにふけること。

また、そのさま。「―な息子」「―したあげく身代を潰す」

どら‐むすこ【どら息‐子】 怠け者で、素行の悪い息子。道楽息子。放蕩(ほうとう)息子。

飲み、打つ、買うの三拍子そろった放蕩もん、という言い方がありました。

宗教や政治、或いは骨董、芸術(パトロンを含む)なども道楽に含まれました。

「酒、女、賭け事を知らずに百まで生きた馬鹿がいた。」私が聞いた大学教授の言葉。生真面目に見える先生でした。学生は大いに喜んだものです。その真意は、何事も経験せよ、それを乗り越えよ、と言うことにあった、と考えます。

若い時は、これらの誘惑に負けてしまうことが多く、近づかないのが一番よろしい。危険薬品・ドラッグ、に近寄るな。「君子、危うきに近寄らず。」しかし、向こうから近寄ってくる時どうするか。間違って足を踏み入れてしまったらどうする。時には、法テラスに相談する必要もあるでしょう。そうして結論的には、「逃げるが勝ち」。

 

 この譬は、151と同じ状況、舞台で話されています。少なくとも、ルカはそのように設定しています。徴税人や罪人が同席しています。それを見て批判しているのは、ファリサイ人や律法学者たちです。羊が見つけられた譬、見つけられた銀貨の譬を話し、続いて、この譬を話されます。この譬が意味することは、誰もが理解できます。しかし、誰もが、意味されていることを聞いて、理解し、受け入れるものではありません。自分を正しいと考え、信じている人たちにとっては、耳障りの悪い話です。拒絶してしまいます。

 

 さて、この譬の聞き手には、私たちも入れられています。最初の聞き手と同様に理解できているでしょうか。当時の常識は、私たちには通用いたしません。いくつか確認しましょう。

 

 この年若い息子は、何故財産を請求したのでしょうか。親元から離れて自立するため。

自由になりたかったから。こうした青年期特有の精神・心理状況から説明されることが多いようです。彼は財産が分与されると、時をおかずそれらを処分しています。中には土地も入っているはずです。イスラエル人の土地は、神から与えられた嗣業であり、他の部族に渡してはならないものでした。恐らく、彼が受け継ぐべき土地を狙っていたものが、そそのかしたのでしょう。素早い処分が理解できます。

 息子の側にも、何らかの動機があったのでしょう。全ての結果には原因があるものです。

彼は親からの自立を求めた。その実態は何か。勝手気ままな生活を求めていた。放蕩三昧に身を持ち崩すことになります。外へ出て、自立できる人であれば、親元にいても自立的に生きることが出来ます。

 

 「財産の分け前」を父に求めます。現代では生前贈与を求めた、と考えられています。

イスラエルの慣習では、遺産の相続は、長男が、他の息子の倍を取ることが出来ることになっています。弟は遺産の3分の1を受け取ったことになります。

 

「遠い国へ旅立ち」イスラエルにとって、エルサレムとユダヤこそ神いましたもう所。

主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んで言った、 1:2「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」。 1:3しかしヨナは主の前を離れてタルシシへのがれようと、立ってヨッパに下って行った。ところがちょうど、タルシシへ行く船があったので、船賃を払い、主の前を離れて、人々と共にタルシシへ行こうと船に乗った。ヨナ書1:1~3、

距離だけではない。神の顔を逃れたところ、神から離れたところへ行ったのだ。

現代人は、神のいないところで、勝手気ままに生活することを求める。そのために、神は死んだ、と言うのではないでしょうか。

 年若い息子がどのように財産を費消したか、「放蕩の限り」、「娼婦どもと一緒になって」30節。芥川は、『杜子春』の中で、同様なことを、詳細に書いています。

財貨が豊かな時は、多くの客があり、宴を共に楽しんだ。それが尽きてくると、誰も近寄

らないし、声をかけてもくれず、全く助けてくれない。人間の薄情さでした。

 主イエスが、ルカが、こうしたことを主題と考えていたなら、もっと詳細に語ることが出来たでしょう。残念なほど淡白です。

「豚の食べる いなご豆」、豚はユダヤでは汚れた動物。反芻しない、蹄が割れていない。

この青年が如何に窮迫したかを示すもの。また同時に、彼が異教徒の国へ来ていたことを示す。イスラエルの神ヤハウェを棄てた者は、当然、苦しむ。苦しみの中でだけ、本心に立ち返る。

 

17節「我に返って」、口語訳は、本心に立ち返って。人間の本心とは何か。どのようなものか。彼が、どのようなところへ進むか、見ればわかるでしょう。

父の存在を思い起こします。父が与えてくれるものを思い出します。自分が、その父の息子であったことを思い出します。それらすべてを自ら捨て去ったことを思います。自分は、もはや息子ではないが、雇い人の一人にしてくれるかもしれない、と気付きます。これが、年若い息子の本心です。

こうして彼は、家路に着きました。空腹を抱えて、物乞いをしながら、彼方に家を認めたころです。父は、その家の何処にいたのでしょうか。息子が帰ってきたことを知り、彼を迎えようと走り出てきました。よく門前にいたように語られますが、むしろ二階または望楼から毎日見ていた、と考えます。それにしても、全く様子が変ってしまった者を、よく見分けたものだ、と思います。

父は、愛する息子を待っていました。自分を捨てて出て行った息子を、なお愛し続けているのです。背いた息子であっても、なお愛しているから見分けることが出来、迎え入れることが出来るのです。

 

帰ってきた息子を迎えて、祝宴を始めます。良い服、指輪、履物、子牛、言葉を連ねます。放蕩に関する記述と比べると、やはりこちらに比重がかかっていることが感じられます。最後にイザヤ書55:7を読んで終わります

「主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。

私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」

2015年1月4日日曜日

大きな喜びは天に

[聖書]ルカ15:1~10、
[讃美歌]289,358,470、
[交読詩編]84:6~13、

 

新しい年を迎えました。2015年、昔は新しい年、を呼ぶことが、なかなか難しかった。たとえば、昭和27年、1952年、12歳、中学1年生、バリカン刈りでクルクルの丸坊主。この頃ガンジー暗殺、新聞に大きな写真、共通点があり、ガンジーと呼ばれた。剃り上げたガンジーの頭はてらてら光っていた。私の頭もまめに刈るので青白く光っていた。

なかなか新しい年に馴染めなかったのです。今では、直ぐ馴染んでしまうのが不思議でなりません。

 

イスラエルは、アブラハム・イサク・ヤコブと並び称されるヤコブの別名(創世3229)。エジプト移住と脱出を経てカナンの地に定住した民族の名称、イスラエルの十二部族。

預言者サムエルの時代にサウルを王に頂く王国の名とする。その後ダビデ、ソロモンが継承、拡大するが四代目レハベアムの時南北に分裂、その北王国がイスラエル。北王国は、紀元前8世紀(720年)アッシリアにより滅亡。南ユダ王国にその名称は移る。捕囚後は南王国ユダの残滓がイスラエル。その呼称がユダヤ、「ユダ族の」を意味する。

その末裔は、世界中に散らされたが、それがイスラエルであり、ユダヤであった。現代でも。人種としてはユダヤ人であり、パレスティナに建国された国名がイスラエルである。ユダヤ人は必ずしもイスラエル人ではなく、アメリカ国民、ロシア国民、フランス・ドイツ・オランダ・ポーランド・スペイン・ポルトガルなど多くの国の市民である。これらがディアスポラのユダヤ人と呼ばれる。

キリスト信仰による新しいイスラエルが生まれている。

 

新約聖書の時代、アム ハー アーレツという言葉があった。 「地の民」卑賤の者たち、律法を守ろうとしない者たちを総称する語。ベツレヘムの羊飼い、徴税人。罪人達とはどのような人だろうか。異教徒達と関係する仕事、汚れたものに触れる仕事。

正統派であるパリサイ派の人々は、こうした人々と交わることを避けた。自分を汚すことになるからである。彼らは、「罪びとが一人でも神の御前で抹殺されるなら、天に喜びがある」と考えた。

主イエスは、「罪びとがひとりでも悔い改めれば、天に喜びがある。」と言われる。

 

ルカ福音書15章から18章にかけて、ルカ特有の譬え話が現れる。途中にマタイ福音書と共通の譬え話が入ってきます。15:Ⅰ~7は、マタイ181214と共通の譬。長さがだいぶ違う、と解る。マタイでは、小さい者への責任を弟子達に自覚させる譬ですが、ルカでは、罪人と交わるイエスの行動の理由付けのためのものとなっています。

羊飼いと羊の群れに関するもう一つの情報。

羊は個人の所有であっても村落や部族・氏族の共同管理にされることが多かった。 

羊はその村、共同体の共有という感じ。その一頭が失われるなら村全体が悲しみに打ち沈み、見出されるなら全体が喜びに沸き立つ。

羊飼いは、村の人たちが、たとえ一頭であっても、見出されるなら大いに喜ぶことをよく知っている。羊を肩に担いで、「喜びを分かち合おう」と呼びかける。

エゼキエル34章の、羊を食い物にする羊飼いとは、全く違う。

この譬は、イザヤ4011を念頭に置いたものであろう。

イザヤ40:11 主は牧者のようにその群れを養い、そのかいなに小羊をいだき、そのふところに入れて携え行き、乳を飲ませているものをやさしく導かれる。

 

イエスが、徴税人や罪人を近寄らせたのは、彼らの意志に任せただけではありません。それ以上に、主が招いておられたのです。多くの正しい人は、自分たちの正しさを守るために、これらの人たちを拒絶していました。しかし、主イエスは、これらの人たちを歓迎されました。この世の正しい人、清い人が私たちを拒絶し侮蔑する時、主イエスだけは、私たちを招き、歓迎し、受け入れてくださいます。

 

神が、人間よりもはるかに思いやりがあるということはなんとすばらしい真理だろう。

正統派の人々は、収税人や罪人を埒外の人間、滅びる以外にどうしようもない人間と決め付けた。神は、そうではない。

人々は、罪人に対する望みを放棄するかもしれない。神はそうではない。

神は一方で、決して迷い出ない群れを愛している。しかし他方、たとえ迷子になるものがいても、それが見つけられ、家に帰ってきた時には、神の心には大いなる喜びがある。

 

8節からは、失くした銀貨が発見される譬、ルカ独自の譬です。

ここで用いられる貨幣は、ドラクマ銀貨。およそ390円に相当(1970年)、むしろ5600円ではないか。この女性の全財産6000円の一割。同時代のある書物は、一枚1000円相当とする。また、当時の労働者の労賃10日分、10デナリ。

新共同訳の通貨表には、ドラクメはギリシャの銀貨、重さ約4.3g、デナリオンと等価。デナリオンは、ローマの銀貨、1ドラクメと等価、一日の賃金に当たる。

 

貨幣が中心となる貨幣経済は十字軍時代、香辛料の取引に貨幣が使われ、発達した。

それ以前にも貨幣そのものは存在し、貴重な財物であった。中国の司馬遷が書いた歴史書『史記』には、貨幣に関することだけを書き、また財政、商取引に関することなどを取り上げている。エジプトやギリシャ・ローマの文物展を観に行けば、たくさんの通貨、コインが展示されている。多くは王の肖像が刻まれている。

日本の考古学的な展示でも多くの通貨が展示されている。肖像が入るのは明治以降。

それらはどれほど通用したのだろうか。通用量よりは、蓄財量として、所有者の富を誇るものとして示されているように見える。それは、皇帝の肖像が刻印された通貨も同じ。

皇帝がどれほど権威があるか、どこまでを支配領域としているかを示すのが貨幣である。

後世の私たちは、通貨がまとめて発掘されると、皇帝の支配力を改めて認識するのだ。

 

ローマが支配するユダヤでは、銀貨10枚は、財産としては少ないかもしれないが、ゆとりのある生活を示すものである。使わない貨幣が、それだけある。

何故あるのだろうか。ある学者は、当時ユダヤでは、既婚女性のしるしは銀の鎖に10枚の銀貨をつけた髪飾りであった、と記す。結婚指輪と同じ意味であると言います。

残念なことにこの事は、他の書物には記載がありません。大変面白いことですが、確認することが出来ないので、ここまでにしましょう。

 

当時の住宅事情を考えると、これは大変難しい作業になる、と理解できます。

小さい一間だけの家、窓は一つ程度、床には藁を敷き詰めてある。通常、ともし火は置いていない。明るいうちになすべきことは終わらせる。暗い夜は悪の支配するところ。

ともし火をつけるのは、本当に大事なことだからでしょう。

 

この女性は、敷き藁をホーキで掃き出し、念入りに捜すだろう、と語られます。それほどに、この失われた銀貨は大切であり、なんとしてでも見つけたい、取り返したいものなのです。彼女は、それを見つけたら、ご近所の人たち、友人達と一緒に喜ぶのです。

 

譬の結論で、失われた銀貨はひとりの罪人であり、一人が見出されるとは、罪人の悔い改めに他ならない、と明示されます。

 

この譬を聞く私たちは、一体どのようなものなのでしょうか。私たちは、掟を守らない人たち、行儀作法を弁えない人たちが来ると、眉を顰めることはありませんか。服装が整えられていないのを見ると、何を感じているでしょうか。

主は、この譬を私たちに向けて語ってくださいました。パリサイ人でありながら、同時に深い罪人であるキリスト教会の私に対してです。