2015年5月31日日曜日

土台なしで家を建てますか

[聖書]ルカ6:43~49、
[讃美歌]575,12、旧304、
[交読詩編]8:2~10
ある年のこと、岩手県花巻温泉へ行く機会がありました。宮沢賢治記念館、中尊寺、毛越寺。娘は、中尊寺金色堂を見たことがないから一緒に見たい、と言います。山を登りました。混雑を見て諦めました。毛越寺では、西の山肌に大の字を見つけ、京都五山の送り火と同じことをしていたことを理解しました。当時の京都は戦乱が続きました。藤原清衡,基衡、秀衡三代はこの奥州の天地に平和を祈る仏教文化の都を築きました。この寺の内外にもそれを見ることが出来ました。藤原三代の平和を求める心に感動しました。


医王山毛越寺は、藤原第二代基衡の建立、開山は慈覚大師円仁。
往時では堂塔40・僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったと云われています。壮大な庭園遺構と伽藍遺構が魅力です。
毛越寺境内には、大きな石を方形に配置した遺跡があります。建物の礎石です。大きいけれど、内部は空洞状態だ、と考えられます。恐らく講堂と呼ばれる建物、と書いてあったように記憶します。礎石、土台石によって、その上にあった物が判るのです。それ以外のものは作れません。基本構造は変えられません。
誰でも土台を置き、上物を作り、載せる。
どのような土台を創るか、置くか。それは作ろうとするものの構造により決定されます。


大阪の玉出教会は、教育館建築に当たり、地盤改造と基礎打ちに金と時を使いました。
しっかりと造りましょう、というのが日本人一般の土台に関する考えです。土台を据えずに家を建てるとは、思いもよらないことです。掘っ立て小屋ならいざ知らず、恒久的な家屋建築であれば、土台をしっかり据えるものです。


聖書には土台に関し、語るものがあります。有名なものはマタイ7章の末尾の譬です。
5章から続く《山上の教え》の最後に、語られました。(口語訳)
「7:24それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
7:25雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
7:26また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
7:28イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。
7:29それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。


賢い人、愚かな人って言うけど、こんなことあるのかな、常識じゃないかな、とわたし達は感じるのではないでしょうか。イスラエルでは、こうしたことが起こるそうです。
乾季には、乾いた平坦な場所、家を建てるのに最適の場所に見える。軽く考えて建築をする。雨季になると、雨水を集めた濁流の通り道になる。何もかも押し流してしまう。
確かに、よく調べもせず建築した人は、愚かと言われても仕方がありません。


土地の選定が愚かなんだよ、と言う考えもあります。それは当たっているでしょう。ただ、この譬は、建築を素材にしながら、主イエスの言葉に聞き従うか否かを語ろうとしています。建築に事寄せて、人生を築き上げることを考えさせようとしています。
倫理なき宗教は、宗教ではない、と言われます。倫理とは文字通りに言えば、人の生きる道を意味します。更に言えば、宗教は人生を守り導くものである、となります。
土台と言う言葉によって、人生の土台、人間教育の土台を指し示しているのです。
わたし達は、子どもを育て、また自分自身を育てる時に、この土台というものをどれほど考えているでしょうか。


今、日本の社会は、職業の世襲が非常に増えています。勿論、後継者難で苦しんでいる
手工芸の世界もあります。増えているのは芸能の世界です。親が幼少の頃からその世界に入れて訓練する歌舞伎、能楽そしてそれに関連する芸の世界は着実に世襲です。その中でも文楽は、後継者がいなくて公演日程を組むのが苦しくなっています。由緒ある古典芸能の世界は、その芸の土台作りに時間がかかります。どうしても世襲が必要になります。それでも何とかして新しい血を入れる、育てる努力もしているようです。芸の力を発揮できるようになるまで才能と努力と時間が必要です。良い土台を作ろうとしています。


大伝道者パウロは、その手紙の中で、建物を作ること、土台が重要であることを語ります。
Ⅰコリント3章
3:5アポロは、いったい、何者か。また、パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。
3:6わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。
3:7だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。
3:8植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。
3:9わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である
3:10神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
3:11なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである


パウロは、人間一般に対し、あなた方は神の建物である、と語ります。
この建物の土台は、主イエス・キリストです。その上に建てられた建物はキリストに合うものしかありません。家庭で、学校で、社会で、地域で育てられました。まだ成長し続けています。土台を作り直しませんか。何時でも可能です。
キリストを土台に据える、とはなんだろうか。キリストの赦しの愛を基盤とすることです。
日本海の西側にお隣の国があり、一つの民族が生活しています。ハンの感情が強く、強い感情で恨みを持ち続けることはご存知のとおりです。クリスチャン人口が50パーセント?本当だろうか、と疑います。なぜなら赦しがないから。
それと比べて台湾の人たちには赦しがあります。


子供たちが、どのような人格に成長することを願いますか。
私は、愛を持って赦すことのできる人間になって欲しいと願います。幼稚園で、教会で、
ご一緒に働こうではありませんか。
神なき教育は、賢き悪魔を作るのみ。

















2015年5月24日日曜日

聖霊の賜物

[使徒言行録]2:1~11、
[讃美歌]575、7,343,77、
[交読詩編]146:1~10、
[聖書日課]・創世記11:1~9、ルカ11:1~13、

本日は、教会暦の聖霊降臨日に当たります。降誕節、復活節、昇天日と並ぶ、キリスト教
会の四大祝祭日です。別名をペンテコステと申します。
この五旬節、本来ユダヤ教の三大祝祭の一つで,穀物の収穫を感謝する祭りです。
過ぎ越しの祭の後50日目にあたります。別名、七週の祭り、あるいは 刈り入れの祭りと
呼びます(出エジプト、申命記より)。
ユダヤ人にとって五旬節の日・ペンテコステは、出エジプトの折、シナイ山でモーセが十
戒の石の板を頂いた記念すべき時でした。
それを、イエスをキリストと信じる者たちは聖霊降臨節に変えました。
これは、ギリシア語pentēkostē(〈第50〉の意)に由来し,《使徒行伝》2章1節以下に伝え
られている聖霊降臨日をさす語です。元来は旧約聖書に記されている過越の祭より50日目
の七週の祭(《出エジプト記》34:22)を意味していました。
新約聖書では,それをイエスの復活日より50日目をさすと解釈しました。それによれば,
この日聖霊が初代教会の信徒たちの頭上に炎のように降り,そこで彼らが〈他国の言葉〉
で語りはじめたとされています。
聖霊降臨節は、教会の誕生日です。
昇天日は復活から40日。復活は過越しから三日目。
ペンテコステは、元来は旧約聖書に記されている過越の祭より50日目の七週の祭(《出エ
ジプト記》34:22)を意味していた。50或いは50日祭を意味する。過越しから50日

起算日によっては数日の差が生じる。新約聖書では,それをイエスの復活日より50日目を
さすと解釈しました。
本日の日課の第一は、言行録2:1以下です。主イエスが十字架に掛けられたため、イエス
を信じる人たちは、一目を恐れて、閉じこもっていました。この日奇跡が起こりました。
聖霊は、ギリシァ語でプニューマ、ヘブル語ではルーアッハ。
どちらも息、風を意味します。目には見えないが、その働きの結果を見れば判る。
12人を初めとする弟子たちは、イエスを十字架につけた人々を恐れていました。その彼ら
が、閉じこもっていた家から出て、公衆の面前でイエスのことを話し始めました。彼らは
、霊の力を受けて変わったのです。
彼らの話を聞き、多くの人が仲間に加わりました。彼らも霊の力を受けて変えられました
。その中にはエルサレムのユダヤ人、諸方のユダヤ人もいました。外国人もいたようです

    
こうしてエクレーシア・教会が形成されました。呼び出された者の群れです。当初、ユダ
ヤのシナゴーグ・会堂に加わっていましたが、やがて外へ出て自分たちの流儀で礼拝をす
るようになります。甦りの主を記念するため、週の初めの日を選びました。
ユダヤ人にとって、創造の神が休息された週の終わりの日は、絶対の礼拝日でした。
それでも、礼拝の日は土曜日から日曜日へと変更されました。
この日、読まれる旧約の聖書日課。創世記11:1~9は、多言語奇跡を語ります。
創られた世界には、多くの人が生きていました。全地は同じ一つの言葉を使い、考えを理
解することが出来ていました。人々は大きな町と高い塔を築き、その名を高く挙げよう、
と考えました。彼らは、「石の代わりにレンガを、漆喰の代わりにアスファルトを得た」
のでこの大工事が可能になりました。建設資材の革新は、技術革新でもありました。
神はこれを見て、彼らの言葉を乱し、全地に散らされました。分裂への奇跡
孤立化、排除、規模のメリットの喪失、非効率化、実は、自立の機会であり豊かさの実現
でもあったはずです。自己中心的な人間の欲望は、それを阻害しました。
言葉とは何でしょうか。人と人の間でコミュニケーション・伝達交流を可能にするツール
・道具と言えるでしょう。人の思考、知識、感情、精神、その他諸々を伝えます。
時にはそのつもりもないのに伝わることがある。逆に、伝えたいのに伝わらないこともあ
る。誤解が生じる原因。言葉などなくても伝わるものがあります。それが愛です。
1
言葉が乱されるとは、言葉がその役割を果たせなくなってしまうことです。
行伝2章は、この役割の有効、効果的な回復を示します。
もうひとつの多言語奇跡・一致統合への奇跡。交流の実現は、良いことだけではありませ
ん。力ある者が、自分の側から一方的に伝え、聞かせる事を以って良しとしたらどうなる
でしょうか。自分の考えを押し付けるだけです。反発が強くなります。分裂します。
言葉を持つ者は、それを用いて仕えることが大切です。
もうひとつの日課、福音書は、ルカ11:1~13。聖霊を求めなさい、と語ります。
主の祈り、主イエスが、祈りを教えます。私たちが用いる主の祈りの縮小版のようです。
それに続いて、執拗な求めは応えられる、と教えます。求めなさい、そうすれば与えられ
る。そして、天の父は求める者に聖霊を与えてくださる、と語られます。
神との交流にもっと集中すべきだ。
私たちは、不必要な交流に心を用い、一喜一憂している。
父なる神との交流にもっともっと力と時間を用いた方が良いのです。
神は私たちの語りかけを待っておられます。聞く時を待っておられます。
聖餐式holy Communionに関して、陪餐の意思を明らかにしましょう。
教区総会聖餐式の司式担当、その夜親しい牧師達と会食、その席でのこと。
厳粛な式で良かった、起立要求は初。
陪餐の意志を明示すべきだ。それが言葉の役割。起立、挙手、ニーリング、
ディサイプルスは主日毎に聖餐式があります。習慣となり、流され易いと感じます。とこ
ろが逆に、聖餐式に喜びを感じ、これがないと物足りなく感じる、と言われます。普通、
起立して陪餐する意思を表します。高齢化などで起立している事が困難、と考えられまし
た。着席したままで陪餐することが決められました。その時、役員から発言がありました
。何らかの態度行動によって、陪餐の意志を表したい。役員会はそれに対して賛同し、「
軽く手を挙げて」要求された意思表示とすることを決定しました。
メソジスト教会のニーリングは、恵の座に進み出る行為です。それは同時に招きに応えて
陪餐する意志の表示でもあります。意思表示の方法はいろいろです。
厚別教会は、ニーリングの心で、起立して聖餐を受けています。今後も守って行きたいも
のです
。                                       
 
今や世界は、バベルの塔の時代、それぞれが声高に自分の要求を語る。自分の力を誇示し
て、認めさせようとしている。弱い、細い声を掻き消してしまう。然しそれは通じない。
聞こえない。言葉は共有されていない。力ある者、大声の者の声だけが虚しく響き渡る。
この時代こそ、意味のある言葉に力を得させなければなりません。
目には見えない聖霊の働きの結果は、これほどたくさんあります。
聖霊は今も働き続けています。

2015年5月17日日曜日

キリストの昇天

[聖書]マタイ28:16~20、
[讃美歌]575,457,402,77、
[交読詩編]105:12~24、
[日課]エゼキエル43:1~7a、使徒1:12~26、

5月14日(木)は、昇天日または昇天祭とされます。これはキリストに起源を持つ教会暦
の一日です。
キリストの昇天の祝日はキリスト教の典礼暦の中でもっとも大きな祝いの一つであり、教
派を超えて広範に祝われている。日本語表記は教派によって異なりますが、「主の昇天」
や「昇天祭」などと呼ばれています。 この日は復活祭に連動して動くため、西方教会の
場合早くて4月30日、遅くて6月3日になります。本来、昇天は復活祭から40日後(復活祭
の日を第1日と数えるため、実際には39日後。正確な表現では、復活祭から数えて6回目の
日曜日後の木曜日)のことで木曜日にあたりますが、西方教会では、平日に教会に集まり
にくい信徒の事情を考慮してその次の日曜日に祝われる地域や教派・教会もあります。
カトリック教会ではイエスの他に聖母マリアが、死後直ちに天にあげられたという信仰が
有り、これを聖母被昇天
聖母無原罪被昇天の教義』という名称にまとめられ、ローマ・カソリック教会ヴァチカン
によって認められました。勿論プロテスタント教会は与り知らぬことです。
大西洋にあるイギリス領のアセンション島は、昇天の祝日にヨーロッパ人に発見されたた
め、「昇天」を意味する名前がつけられました。パラグアイの首都アスンシオンは聖母の
被昇天の祭日である8月15日に開かれたため、スペイン語で被昇天を意味する名?がつけ
られているので、イエスの昇天とは無関係である。いや、パラグアイの首都の名称(「ア
スンシオン」)はキリスト昇天に由来する、とも言われます。
使徒言行録1:3は、次のように記します。
「イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たち
に示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」
そして宣教命令をお与えになり、9節、
「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天にあげられたが、雲に覆われて彼
らの目から見えなくなった。」
主イエスは、墓に葬られた後、三日目の朝早く甦られました。主の日の礼拝は、このこと
を記憶し、神を賛美するものです。
主はその後、40日にわたって地上で多くの人々に自らを現し、神の国について話され、食
事を共にされ、宣教命令を与えられました。
この宣教命令は、マタイ28章末尾にもあるものです。
『マタイによる福音書』は、ガリラヤの山でイエスが弟子たちに世界へ福音を伝えるよう
命じて終わっており、昇天に関する記事は見られません。マルコ、ルカ、使徒言行録以外
では聖書に昇天に関する言及はない、ということになります。
ルカ福音では決してイエスが復活後すぐに天に挙げられたと言っている訳ではないことが
わかります。また聖書学的には、マルコ福音書の本来の末尾は16:8であり、それ以降の
部分は後代の付加であろう、という説が有力になっていることにも留意していま。
イエスはそこで昇天し、雲の間に消えました。そこへ白衣を着た二人の男が現れて、イエ
スがやがて同じように再臨する、と告げました。
教会暦に従う礼拝説教に、まず求められることは、主日毎の四つのペリコーを調べ、そこ
に共通するメッセージを読み取ることだ、と感じています。これはかなり厳しいことです

落語の世界には、三題噺と呼ばれるものがあります。随意に御題を三つ頂戴して、一つの
話しに造り上げる、というお遊びの勝った話芸です。力量を要求されるようです。
主日のペリコーぺにしても同じかな、と感じます。一つ一つが、一つの説教を導き出すの
に充分なものです。幾つもの説教を書いているような感じに捉えられるのは当然でしょう

さて、使徒言行録は、昇天の具体的な事象を描いていません。キリストのみ姿は、雲の中
に消えてしまいます。私は、これを読んで、日本画の龍の図を思い出します。
1
手元に《ボストン美術館・・・日本美術の至宝》と題された美術展のパンフレットがあり
ます。2012年3月~6月10日、東京国立博物館。東北大震災の一年後、当教会就任の一年後
、ここから観に行っていました。詳細は省きますが、この中に二種の龍の図があります。
長谷川等伯1606年慶長11『龍虎図屏風』、これはポスターにも使われ、呼び物になってい
ました。そして曽我蕭白1763年宝暦13『雲龍図』。どちらも美術館の収蔵品の中でも誇り
とする逸品です。変幻自在な龍を描いて、息を飲ませるものがあります。そしてどちらも
龍の大きさは解らない様に描き、観る者の想像力を掻き立て、その力に委ねています。
イエスは昇天され、雲に包まれ、見えなくなりました。なんと龍に似ていることか。具体
的に描かれていないから、私達の想像力が掻き立てられ、多くのことを考えるように招か
れているのです。考えることが許されています。「最も具象的なものはもっとも抽象的で
あり、最も抽象的なものはもっとも具象的である」と聞いたことがあります。
私たちも聖書に即して、考えましょう。
昇って行かれた天とは、どのような所でしょうか。
新約的に考えれば、そこは勝利と支配、統治のところ。黙示22:1、命の水の川。
旧約的には、エゼキエルが告げるように、主の栄光が輝くところ、豊かな川が流れ出ると
ころ、すべての水の源となる。この日本の国では、水源はいくらでもある。一本二本枯れ
ても少しも差し障りはない。ところが中近東では如何だろうか。砂漠の国、荒地の国では
、一つのオアシスが地図に記載され、多くの民が、それを頼りに旅をする。何十年、数百
年。
同じところから水を得ることが出来る。他のところではない。恵の源だ。
この水によって人は生きることが出来る。力を獲得する。
キリストが昇られたのは、そういうところ、そこから力を注ぎ、人を生かし、証し人にな
さるためでした。
殆ど半世紀前、神学校の礼拝堂で説教演習の授業がありました。学長が担当、指導します

学生の一人ひとりは、自分に割り当てられた主題、聖句に基づいて説教を造り、みんなの
前で語ります。終わると同級生達の批判や賞賛にさらされます。ある時、5月だと考えら
れます、台湾から来ている留学生が担当しました。徐謙信先生。戦前、お若い日に日本新
学校を卒業しておられる。高崎学長とはその当時、同級生だった方。主題は、『昇天日の
説教』。
福音的な格調高い立派な説教だったことを覚えています。それまで、昇天日説教は記憶に
なかっただけに、非常に感動したものです。学長も高く評価されました。
徐先生は、カルヴァンの綱要初版を巡る諸問題を研究され、修論を書かれました。
『カルヴィン基督教綱要初版の律法論―特にその問題と内容とについてー』 1967年
先生は、いろいろなことを教えてくださいました。とりわけ大きなことは、四寮の洗面所
で、昼休みに交わした立ち話です。多くの学生は、ICUの食堂へ行っていますが、そのと
き、私たち二人は自室で軽食を済ませたのでしょう。先生は言われました。
「もちださん、僕のおじさんは台湾の牧師だったよ。でもね、戦時中特高に連れて行かれ
たまま、帰ってこなかったよ。とても悲しいね。苦しんだよ。でもね、僕達は、もう赦し
たよ。将介石総統はクリスチャンで、日本の罪を赦そうじゃないか、と話した。僕達は、
信仰にかけて赦したよ。」
天に昇らされた主イエスは、このような証し人を生み出し、支え、生かす力となられまし
た。多くの証人は、自分では知らずに、大きな働きをなしています。
「証人は証しすべき事柄がある場合にのみ意味がある」。竹森満佐一
信仰は、私たちの人生を意味のあるものにして行きます。

2015年5月10日日曜日

信仰に酬いる主

[聖書]Ⅱテサロニケ315旧約・ダニエル61023、福音書・ルカ7110
[讃美歌]575,11,461、
[交読詩編]34:2~11、

今日、510日は母の日です。これを教会暦と間違われる方もあります。
元日に始まり似たものがいくつかありますが、これらは教会行事と呼びます。
教団出版局は、牧会手帳を出しています。教団の教師が使うため、と考えています。それなら無料で支給したらいいのに、と思いますが、使いたい者は購入するようになっています。神学校卒業以来、使い続けています。初めの数年分は見つかりませんが、1976年以来、40冊ほどが机の引き出しに溜まっています。長女が生まれ、名を付けた時のことが、書いてありました。

手帳の最初のほうに、教会暦・行事、という一ページがあります。二種が分類されています。牧師が使うものなら、その程度のことはよく知られていて、書くほどのことはないだろうに、と感じます。意外と意外、牧師でも解っていないのかも知れません。この二つに関しては、共通の理解をもつことが大事である、と考えたのでしょう。

教会暦は、待降節に始まり、降誕、受難、復活、聖霊降臨など主イエスのご生涯に関わる日々を数えあげます。これは、キリストの諸教会に共通です。
それに対し教会行事は、キリストのご生涯に起源を持たず、教会が信仰生活上有益であることを認めたものです。母の日は、アメリカの教会に起源があります。
母の日(ははのひ)は、日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧スウェーデンでは5月の最後の日曜日に当たる。

アメリカ
アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。

ジャービスの死後2年経った1907512日、その娘のアンナは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる。

アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908510日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。
1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた。

日本
日本では、1931年(昭和6年)に、大日本連合婦人会を結成したのを機に、皇后(香淳皇后)の誕生日である36日(地久節)を「母の日」としたが、1937年(昭和12年)58日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。母の日にはカーネーションなどを贈るのが一般的。
5月第二日曜キューバ、中国、リヒテンシュタインなど多数の国
510日に固定している国もある。メキシコ、エルサルバドル、グアテマラ、

今週の木曜日14日は、昇天日または昇天祭とされます。これはキリストに起源を持つ教会暦の一日です。使徒言行録13に次のように記されます。
「イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」
そして宣教命令をお与えになり、9節、「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天にあげられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。」

教会暦は、教会がその信仰内容を証しするため、またそれを再確認するため、主日ごとの礼拝で共に読むように編み出してきたものです。キリスト起源
教会行事は、教会が共に楽しみ、喜ぶことが出来、それらによって信仰の確信を深めることが出来るような事柄です。軽んじることは出来ません。然し、教会暦と同じ扱いは出来ません。明らかに第二次的です。

教会暦による礼拝では、その礼拝の主題が定められています。聖書日課から導き出されるもの、と考えていました。それだけではなく、教会暦から引き出され、定められるものでもあるようです。私たちの本日の説教題も、暦に従い、選定された聖書から導き出された主題です。三つのペリコーペ全体を読まないと、この主題が出てくる意味が判りません。
ペリコーペとは、ギリシャ語で「断片」の意味です。聖書日課の個々の箇所を意味します。

旧約日課、ダニエル書6123、十二小預言書の一つ、黙示文学に数えられます。
紀元前539年にバビロンが滅びます。そして531節に「メディヤ人ダレイオスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。」とあります。6章は538年、537年辺りの出来事です。
従って、1章でダニエルがバビロンに捕え移されたのが紀元前605年ですから、すでに67年ぐらい経っています。ダニエルは既に80歳を越えています。バビロンは、メディヤ・ペルシヤの軍隊に征服され、ベルシャツァル王も殺されました(5:30-31)。その後は、「メディヤ人ダレイオスが国を受け継いだ」とされます(5:31)。メディヤ人ダレイオスは、ペルシヤのクセルクセス大王の息子でした(9:1,11:1)さっそくダレイオスは120人の太守を任命し、さらに「王が損害を受けないように」彼らの上に三人の大臣を置きます。それは政治的権力の濫用や歳入のごまかしを防ぐためでした。その一人がダニエルでした(2節)。ダニエルは、既に80歳を優に過ぎていたと思われますが、大臣として起用されます。彼の優秀さは、誰の目にも明らかであり(3節)、ダレイオスは、ダニエルに全国を治めさせようと考えたのです。

ダニエルは、長い年月、異教徒の地、征服者達の国で生活してきました。多くの苦難を経験します。それでも彼の堅い信仰は、少しも揺らぎませんでした。ダニエルが信じるイスラエルの神は、異教の地にあっても、ダニエルを守り、支配者達の上に主であることを現されてきました。イスラエルの神は、世界の主。

福音書・ルカ7110、この聖句は、様々な時期に読まれています。復活後に限らず、受難の時期にも読まれています。
百人隊長の信仰によって、一人の僕は元気になりました。僕のために、ただひと言おっしゃって下さい。その求めを主イエスに告げた百人隊長、そのとりなしによって、名を伝えられない一人の僕は生きることが出来るようになりました。百卒長とその僕は、その信じる神に顧みられ、救いを得ました。ただ存在するだけではなく、生きるために。私たちをこの世へと遣わすべく、主イエス御自身が執り成し、捉え、遣わされる。そのことを深く覚えさせられたいと思います。

詩34編は、讃美頌と呼ばれるに相応しい内容です。
主を恐れる人、主を仰ぎ見る人は、助けを得る。光り輝くようになる。

そしてテサロニケ第二書です。まず、祈って欲しい、と始まります。
祈って欲しい、これは多くはありません。パウロの手紙を読んでいて、「私のためにも祈って欲しい」という文言に驚いたことがあります。大伝道者パウロは、弱気になっているのだろうか。何があったのだろうか? 自分のために、何かを求めることなどないものと考えていました。
Ⅰテサ525、「兄弟たち、私たちのためにも祈ってください。」
ローマ1530以下、「兄弟たち、私たちの主イエス・キリストによって、また、霊が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、私たちのために、私と一緒に神に祈ってください。ユダヤにいる不信の者たちから守られ、・・・あなた方のもとで憩うことが出来るように。平和の源である神が、あなた方一同と共におられるように、アーメン。」296p
ピレモン22、「あなた方の祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。」
エペソ619、「私が適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことが出来るように、私のためにも祈ってください。」
ヘブル1318、「私たちのために祈ってください。」
19、「どうか私が、あなた方のところへ早く帰れるように祈ってください。」

一般的には、祈願は自分たち一家の繁栄、安全無事を獲得するためになされます。
日本の寺社仏閣での祈りを思い出せば充分でしょう。パウロの祈りや、この祈ってくださいという求めは、少しばかり違っているように思えます。
パウロが求めていることは、何時でもキリストの福音が広まることです。更に多くの人々が、この良い知らせ・福音を聞いて喜ぶことを願っているようです。
ここにパウロの信仰があります。そしてこの信仰の姿勢が、聖書日課に共通しています。更に、主なる神は、その信仰に応えて下さいます。神に属すること、神の業を最優先する信仰、ついで、周囲の人々の利益を重んじる信仰です。

このために必要なことは、神の愛とキリストの忍耐を悟ることです。
神の愛は、ヨハネ316でご覧ください。
キリストの忍耐は、ヒュポモネー。キリストは、私たちのために、十字架への道を進まれました。ゲツセマネの園で、「できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと」祈られました。「御心に適うことが行われますように。」
ここにキリストの忍耐があります。持ち場、立場を堅く守り通すことです。

主が、あの苦しい十字架を耐え忍ばれたことを悟り、感謝して受け入れたいものです。