2015年10月18日日曜日

天国に市民権をもつもの


[聖書]ルカ191127
[讃美歌]6,441,463、
[交読詩編]78:1~8、
[聖書日課]士師記7:1~8、ヘブライ11:32~12:2、

 

本日、私たちに与えられた主題の背景を、少しだけお話しさせてください。

新約聖書の時代の市民権は、ローマ帝国における市民権であり、イタリア半島内のラテン市民権と呼ばれるものでしょう。それが共和制国家を取り巻く情勢の変化によって、拡充されたものです。共和制国家も帝国も戦争に勝利すると、敗戦国・民族をラテン市民権を持たない非市民層として処遇しました。奴隷と並ぶ労働階級としました。

 

市民の権利は、税金を納めること、武装を整え兵役に服することでした。他にもあります国のため奉仕することが出来る権利。やがてこれらは権利ではなく義務になって行きます。

パウロは生まれながらのローマ市民権保持者、皇帝に訴え、裁きを受けることが出来ました。裁判は、自分の権益・名誉を守るためのものである、と理解されています。

それに対してローマ軍団の千卒長・千人隊長は、自分の代に大変な苦労の末、ようやくその市民権を金で買うことが出来た人です。

 

この事からわかるように、当時の市民権にはいくつかのレベルがあったようです。ベテランズと呼ばれる満期除隊の軍団兵、解放奴隷、服従した敵国の市民、いろいろ考えられます。レベルによって権利に制約がつけられました。投票権のない市民権もありました。

また、市民権は生得のものではなく、権力者(元老院、皇帝、征服者)の側から授与されるものでした。

現代社会で、私たちが市民権を口にするとき、それは市民革命を背景に、特に法的な権利と義務との関わりで用いられるでしょう。聖書の時代とはだいぶ違います。

 

福音書の譬え話で、主イエスが市民権を題材にお話になっているか、と言えば、それはありません。本日の主題が《天国に市民権をもつもの》となっているのは、聖書日課を設定する担当者の考えによります。私には理解しがたいものです。

イエスの十字架によって罪の手から贖い取られたものが、神の国の市民です。

 

さて、ルカ福音書1911以下ですが、始めに文脈を見ましょう。

183543、エリコの近くで、ある盲人・物乞いを癒される。

三福音すべてが、時間的順序や人数の違いなどはあっても、取り上げています。

眼が不自由であることは、イスラエルの構成メンバーの地位を失わせるものです。

 

19110、エリコの町を通っておられると徴税人の頭、ザアカイと出会います。

徴税人の頭ザアカイは、格別に背が低かったように記されます。恐らく幼少期の病気のため未発達だったのでしょう。障害のあるものはイスラエルの宗教共同体から排除されました。誰からも嫌われる仕事につくことしかできなかったのです。裕福な生活を送ります。しかし、彼を助ける友人は一人もいませんでした。そんなザアカイ、イエスの噂を聞いて、何とかお目にかかりたいと願っていました。町の人たちは邪魔をします。遂にイチジク桑の木に登りました。下を通りかかったイエスは、ザアカイよ、と話しかけてくれました。ザアカイは大喜び。

「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰かから何かだまし取っていた

ら、それを四倍にして返します。」 イエスはザアカイの家に泊まることを話しました。

この流れは、財産・資産を持つものは、それをどのように用いているか、という問いがあ

る、と指摘する人もあります。ここでは障害を持つ人、貧しい人が恵みに与るものとされ

ています。ユダヤ人たちの神の国到来に対する熱が一挙に高まったことでしょう。

それが次のイエスの教えに反映するのです。

 

もう一つの視点

視点を変える。盲人の物乞いは何も持っていない。彼にあるのは、イエスに対する信頼だ

け。むしろ、当初はイエスに憧れていた、と言いたい。現代のミーハー的な憧れではない。

もっと熱く、自分の生き方を変える希望に直結している。

彼は何故、無一物の物乞いになったのか。誰も自ら望んでそのような境涯になりはし

ない。中東には、或いは古代世界には眼疾が多かった。砂埃と衛生・医療状況のため。

この盲人の乞食は、視力を失ったために自分自身の居場所を失ったのではないか。さらに、

生きるために必要な最低限度の資産すら失ってしまった。

 

もう一人の人物が登場する。彼は仕事を持ち、豊かな資産を持っている。しかし持ってい

ないものもある。背の高さがない。彼は背が低かった、とある。子どもの頃病気になり、

成長が止まってしまった、と推測されている。

友情を持っていない。イエスの姿を見るために行列・人間の壁の前に出たい。背が低いの

だ。彼が前に出たところで誰の妨げにもなりやしない。しかし、目引き袖引き彼の邪魔を

する。意地悪をする。決して助けようとはしない。

これがザアカイの現状です。有能な徴税人、金はあるが、親しい友はいない。

そのザアカイの家に泊まりましょう、と主は言われます。11節以下は、このときザアカイ

の家で話されたことと考えられます。

35:4心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復を

もって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。

35:5その時、目しいの目は開かれ、耳しいの耳はあけられる。

35:6その時、足なえは、しかのように飛び走り、おしの舌は喜び歌う。それは荒野に水が

わきいで、さばくに川が流れるからである。

 

ルカ722、マタイ115,122220302114、などにも引用されています。

当時のユダヤ人にとってメシア到来の予言としてよく知られていた聖句です。

 

さて、11節以下「ムナのたとえ」は何を告げるのでしょうか。

マタイ251430に、ほぼ同じ物語が「タラントンのたとえ」という小見出しになって出

ています。タラントンもムナもギリシャの通貨の単位です。

タラントンは、計算用の単位で、6,000ドラクメに相当。

ムナは、ギリシャの銀貨で、1ムナは100ドラクメに相当。

ドラクメは、ギリシャの銀貨で、主さ約4.3グラム、デナリオンと等価。

1ムナは、ギリシャ・シリアの金銭価値では約100ドラクマに当たります。これは労働者の

三か月分の賃金に相当します。

 

人々は、ザアカイの家の客となったイエスのザアカイとのやり取りに耳を傾けていました。

すると、イエスはひとつの譬を話し始められました。

立派な家柄の人が、王位を受けるために遠い国へ旅立つことになりました。そこでこの人

は十人の人を呼んで10ミナを渡し、「これで商売をしなさい」と命じました。

 

この譬えのところどころに、歴史的な事実が目に付くように挿入されています。

ヘロデ大王の息子アルケラオスは、父親の死に際して父王の後継者として王位を受けるた

めローマに上ります。彼は非常に嫌われていました。ユダヤ人は、自分たちの代表55人を

王位継承阻止のためローマに送りました。結果、アルケラオスは王にはされず、短い期

間ユダヤを治めることを許されました。同時代の出来事が語られています。

 

主イエスの譬の内容が重なります。ユダの人々が考えているような神の国は来ません、と

いうこと。彼らが考える「神の国」は、あらゆる恩恵、自由、喜び、平和が直ぐに自分た

ちのものになるというものでした。それにたいして主は、この譬を語られます。

十人にムナ・タラントが預けられました。これはすべての者に与えられているもの、何で

しょうか。能力でしょうか。現代のタレントの語源はタラントです。しかし能力には大き

な格差があります。時間では如何でしょうカ。タイム イズ マネーと言われますので、

これも当たっているようです。もっと良さそうなのはです。誰でも命ある限り生きてい

ます。人それぞれは、与えられた命を時間の許す限り、その能力を生かして生きてゆきま

す。

私たちは、それを誠実に生きる責務を担っています。結果が問われるものではありません。

既にその家の者になっている私たちは何かを証明するのではなく、主人に対して忠実であ

ることだけが求められます。

神の国の市民権は、神の国の主権者によって、既に与えられました。市民たるものは、ど

のように評価されるでしょうか。その人の成果ではありません。成果によって市民となる

のではありません。プロ野球の監督・選手は、契約金・給与に相当する働きを求められま

す。

神の国の市民は、神に対する忠実が求められます。その人が、どれほど与えられた能力を

用いたか、与えられた時間を終わりまで無駄なく用いたか、その命がどれほど輝いたか。

たとえ一瞬でも良い、誰かがその人の光によって、輝きによって導かれ、歩むことが出来

たなら、その一生は価値あるものとせられます。

 

 

 

2015年10月11日日曜日

審きの日

[聖書]フィリピ1111、神学校日・伝道献身者奨励日、
[讃美歌]6,480,481、交読詩編9:2~13、
[聖書日課]創世記6:5~8、ルカ17:20~37、

 

教会暦に基づく聖書日課に従い礼拝を構成してきました。週報の礼拝次第の上部に、神学校日・伝道献身者奨励日とあります。これは教会暦ではなく、教会行事と呼びます。

この仲間には、元旦礼拝に始まり社会事業奨励日まで、合計20項目が挙げられています。

間もなくやって来る宗教改革記念日、収穫感謝日も行事の一つです。これらは、信徒教育・訓練の一環として有用であることは認められるが、世界の教会が一致して認めるものではない、一部の地域教会で発生し、ある程度の広がりを持っている、ということが多いようです。たとえば、有名な『母の日』です。アメリカで生まれ、アメリカの宣教師が活躍した地域・国家の教会に広まりました。「有名な」と申し上げましたが、この国の中での話です。恐らく韓国、フィリピンなどでも良く知られているでしょう。歴史の長いヨーロッパの教会では、恐らく受け入れられていないでしょう。批判もあります。

このようなことは、各家庭で考えれば充分であろう。

主旨は、よく理解できるが、教会として受け入れる余地はありません。

母だけに感謝というのはおかしい、父の日があってしかるべきである。

 

神学校日・伝道献身者奨励日に関しては、説明するまでもないと思いますが、少しだけ。

日本基督教団立神学校は東京神学大学(東京都三鷹市)だけです。 

関西学院大学神学部(兵庫県西宮市) 教団認可神学校

東京聖書学校(埼玉県吉川市) 教団認可神学校

同志社大学神学部(京都府京都市) 教団認可神学校

日本聖書神学校(東京都新宿区) 教団認可神学校

農村伝道神学校(東京都町田市) 教団認可神学校

神学校を支え、入学し伝道者になる人たちがまし加えるように祈りましょう。

 

1970年までの神学校は、学生数も今よりは多かった。私のクラスは、40名を超えていた。学園・教会・教団紛争以来入学者は激減。神学教師達も苦労しました。各地の教会を回り、現状を訴え、伝道に献身する人が多く志願するよう語りました。その結果、定年退職後、神学校に進み、寮生活をしながら勉学に励み、卒業し、教師検定試験に合格して各地の教会・伝道所に赴任する人が多くなりました。1025日の礼拝で御奉仕くださる先生も、大阪の玉出教会から東京神学大学で4年間学ばれた方です。玉出教会は、このときもう一人、退職校長を聖書神学校へ送りました。岡山県の教会に赴任され、たいへん良いお働きをされましたが、既になくなられました。次主日礼拝には、このかたの奥様が、ここへ来られる予定です。

また118日礼拝で御奉仕くださる松本牧師も、東大出身で、三菱系の企業の研究者でしたが、定年前に退職され、東神大に学び牧師となりました。

このような神学校の働きを理解し、学生の成長のために祈ってください。教職養成において教会と神学校は車の両輪である とよく言われます。次代の教会のために教職養成は重要です。祈り、献金してくださるようお願いします。

 

「教団立」であることの意味は、日本基督教団が設置主体として経営の責任を負っている、ということではありません。そうではなくて、日本基督教団の成立(一九四一年) において合同した諸教派が持っていた神学校のほとんどが合流して東京神学大学が生まれた、という歴史的経緯を語っているのです。つまり東京神学大学は、日本基督教団 を構成している旧教派の諸神学校による合同(ユニオン)神学校です。英語名がTokyo Union Theological Seminary であることがそれを示しているのです。

 

さて、本日の聖書フィリピ書を見ましょう。

フィリピの信徒への手紙は、初代教会を形成した大伝道者パウロが、書き送ったものです。

このフィリピ教会・始まりの事情は、使徒言行録16章に記されています。アジアの西側で、

御言葉を語ることを聖霊から禁じられたパウロは幻を見ます。その中で一人のマケドニア人が、「マケドニアへ渡ってきて私たちを助けてください」と願います。パウロは、これを神の召しである、と確信して、直ちにマケドニアへ向かった。トロアスを出航してネアポリスの港に着き、マケドニア第一の町フィリピでの活動を始めます。

この時から、キリストの福音は、世界の辺境アジアを出てヨーロッパに向かい、世界の中心ローマに至ります。

その一方、フィリピの教会とパウロとは固い絆に結ばれ、教会はパウロの活動に加わり、パウロを助けました。簡単に言えば、この支援活動に対するお礼状がこの手紙です。もっと詳しいことを知りたい、と思われたら、水曜日午前の聖書研究会においでください。フィリピ書の勉強が始まりました。今週が第三回目です。歓迎致します。

 

112は、当時の手紙の慣わし通り、初めのご挨拶です。発信人の自己紹介と受信人の特定。この部分でたいていの手紙はパウロの使徒職の弁明がありますが、ここでは「キリストの僕」、ドゥーロス・奴隷と紹介します。長い間の親しい関係とそこに生まれた信頼は、使徒職の主張も不必要にしたようです。

それに続いて前文祝祷があります。これはパウロ書簡に共通の「父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和が」あるように、との祈りです。この手紙が、牢獄の中で書かれた事を思うと、不思議に感じざるを得ません。パウロ自身が、その状況を恵みが満ちている、平和な心境だ、と感じていなければ、こうは書けないでしょう。

投獄された中にも神の恵みがある。だから平安が満ちているのです。

1311には、フィリピ教会の人々のためのパウロの祈りが記されます。

 

ここには「感謝」、「祈り」、「喜び」という言葉が出てきます。これらの言葉を聞くと、テサロニケの信徒への手紙一51618に記された「常に喜べ、絶えず祈れ。すべてのこと感謝せよ」との御言葉を思い出します。

 

パウロは、何故、感謝を捧げずにはいられないのでしょうか。

それはただ単に、フィリピ教会の人々との間にある人間的な親しさ故に、感謝を捧げ、祈り、喜んでいるのではありません。フィリピの人たちが、あのヨーロッパ宣教の初めから、今に至るまで、「福音に与っているからです。」福音を共有してきた、という意味です。

 

それにしても、「福音にあずかっている」とは非常に面白い表現です。福音とは、喜びの知らせと言うことです。もう少し具体的に、その中身を説明すると、

主イエス・キリストが私たちのために世に来てくださり、十字架で死に復活して下さった。そのことによって、私たち人間の罪が贖われ、罪と死の力から解放されるという形で、神様の救いの御業が成就した、ということです。

これは、全ての人に伝えられるべき良い知らせであり、私たちは、それを聖書の御言葉を通して聞くことができます。そのようなことを考えると、ここでパウロが、「あなたがたが福音に聞いているからです」と記していたならば、遙かに分かりやすいでしょう。しかし、パウロは「あずかっている」と言うのです。この「あずかる」、と言う言葉はコイノニアと言う言葉で、「交わり」とも訳されます。元の意味は、同一のものを分け合って受けていること、即ち受けることにおける分担、ということです。或いは、一つのものを与えるにせよ、受けるにせよ、他と共有であること。

 

この共有の内容については、7節最後の行がそれを示しています。

「あなた方一同のことを、共に恵みに与る者と思って、心に留めているからです。」

恵みの共有です。これは良い業であって、イエス・キリストによって私たちの中で始められたものです。始めた、と言うからにはその終わり、完成の時がある、と予期されています。それは審きの日であり、キリストの日です。

最後の審判といえば、日本人にとっては、地獄極楽に分けられる時、閻魔大王などが思い起こされる恐ろしい言葉です。

西欧のキリスト教国であっても恐ろしいイメージが与えられています。モーツアルトやヴェルディのレクイエムを聴くとそのことがよくわかります。『怒りの日』と名付けられています。ラッパの音とともに、というイメージがあります。そしてフォーレの作品では、通常の「怒りの日」がなく、6曲『リベラメ』、終曲『天国にて』イン パラディスムが静かに流れます。

 

ブロッホの作品に『コル・ニドライ』があります。学生時代、従姉妹の世話があり、大手町にあった産経ホールでヤヌーシュ・シュタルケルの独奏会。著名なチェリスト、その夜の演奏曲目の一つ。彼は、この曲をステージに乗せるのは初めてということで譜面台を立てての演奏。その所為でしょうか、緊張感のある素晴しい出来でした。私も始めて演奏会で聴きました。以来いつも思い出します。

コル・ニドライは、『神の日』を意味するヘブライ語です。神の裁きが行われる日。

 

どうやらどの国でも、人間は、審判があり、その後、赦された者、義を認められた者は天国へ上らされる、と考えてきています。しかし、パウロはそのようには語っていないようです。

まずあなた方の中には、すでに良い業が始められています。始められた方が、それを完成させてくださいます。その方とはキリストです。私たちが、あくせく自分の義をたてようと行動してもそれは何の役にも立ちません。本当に重要なことはなんでしょうか。

簡単なことです。私たちの中に与えられた神の恵みを受け入れ、神の栄光と誉れを褒め称えることです。自分の義を自分で立てようとする試みは放棄しましょう。

キリストによる救いに身を委ねましょう。審きの日は、私たちの救いが完成する時です。

感謝と喜びをもって祈りましょう。

 

2015年10月4日日曜日

弱者をいたわる


[聖書]フィレモン125
[讃美歌]6,390,402、77、交読詩編82:1~8、
[聖書日課] レビ25:39~46、ルカ17:1~10、

 

与えられた主題に従い、考えました。弱い者とは誰か、と。久しぶりに思い出した言葉があります。余りにも久しぶりでようやく搾り出したようです。頭の中に浮かびながら、なかなか決まらない状態でした。ようやくはっきり。 『弱き者、汝の名は女なり』

諺のようだが違うかな、調べてみました。出典は、英国の文豪wシェークスピアーの戯曲『ハムレット』。ハムレット解釈は様々、今は触れません。

≪ハムレットの母親は夫(つまりハムレットの父)が死ぬと、すぐに父の弟(つまりハムレットの叔父)に心を動かし、再婚してしまう。それを嘆いてハムレットが言ったのが、この言葉。すなわち《女は誘惑にもろいもの》というのがもとの意味です。『脆きもの』と訳せばまだしも、『弱きもの』と逍遙が訳したばかりに、そんな誤解が生まれました。

本当はいたわっているのではなく、なじっているのです。

 

母親が夫であるデンマーク王の死を悼む間もあらばこそ、ひと月もしないうちに王の弟クローディアスの妻になったことが、ハムレットにはどうしても納得できません。いともやすやすと心変わりする女を軽蔑して吐き捨てるように言ったことば。そこには母に対する複雑に屈折した思いが託されています。又、同時にここに述べられている、女=弱い、という図式は当時の決まり文句のようなもので、シェイクスピア劇の女性達はしばしばこの種の台詞を口にする。例えば『十二夜』のヴァイオラの

Alas,Our frailty is the cause, not we! (II.ii.31)

「ああ、私たち女の弱さがいけないんだわ、私たちのせいじゃない。」のように。

 

 ここに展開されている、女と女の弱さは別物という発想は、聞きようによっては責任逃れにも受け取れますが、 人間の他に、人間の属性をひとつの存在として認める思考法は我々の発想にはないシェイクスピア独自のものの見方とも受け取れる。それゆえ、上の『ハムレット』の例も、ハムレットが責めているのは女の弱さであり、母ガートルードその人自身ではない、という解釈も生まれる。≫

 以上の説明文を書いた人は、続けて書きます。「このことばはまるでことわざのように一人歩きしているが、現代では受けないことばではある。」これは、現代社会では弱い者は女である、とは誰も考えていません、と言いたかったのでしょう。そして、

We soon believe what we desire.《ひとは自分の望むことを、たやすく信じるもの》と。

これは、わざと判りにくく残したようです。人は、何を信じたいのか。女は弱い、という言葉か、それを誰も考えてはいない、ということなのか。どちらでもお好きなものを、気随気ままにおとりください、というのでしょう。弱い者、そのときその場で現れてきます。

 

先ほど、フィレモン書をお読みいただきました。僅か25節の短いものです。2ページ、どこにあっただろうか?  テモテ・テトスへの手紙の次、ヘブライ人への手紙の前。エフェソ・フィリ・コロ・テサロニケ・テモ・テト・フィレモン・ヘブライ書、鉄道唱歌のメロディーに載せて覚えたものです。青年時代でした。日曜学校は経験していません。

なかなか、これを読もうとは思いません。聖書日課を取りあげる大きな利点の一つです。

普通なら説教に取り上げないようなところも、日課に入っていれば取り上げます。

 

これは、パウロの獄中書簡の一つ、きわめて個人的な手紙ですが聖書正典に取り入れられました。事柄が普遍性を持つと認められたからでしょう。書かれたのは60年ごろでしょう。

 

あらすじを申し上げましょう。実は、いのちのことば社から、『オネシモ物語・・・二度目の解放』という小説が出ています(1978年)。パトリシア・セントジョンという人の作品です。あとがきや解説もなく、何も判りませんが、聖書を素材に取り上げ、良く調べて書いています。一つの解釈に推理、推測を加えたものです。お読みいただくと、よく聖書を読み込んでいるなあ、と感心されるでしょう。そのほかにも同種の本があることでしょう。

 

フィレモンの奴隷にオネシモという青年がいましたが、主人フィレモンに対して不都合があったようで、金銭的損害を与えてしまい、悩んだ末にコロサイ信徒の誰かがパウロの元に向かった時に一緒に付いて来て、パウロに相談したと想像します。つまり、人との間に立って問題を収めてくれる人物としてパウロを頼って来たのでしょう。パウロは、この奴隷を自分の身の回りの世話をさせながら、溢れるイエスの福音を教え、キリストを主と信じる者に者しました。パウロはオネシモのことを「わたしが監禁中にもうけたわたしの子」と呼んでいます。オネシモは深くパウロを敬愛し、獄中のパウロに仕え、パウロもまた、この信仰に燃える聡明な青年を心から愛するようになったようです。パウロはオネシモを「わたしの心であるオネシモ」とまで言っています。

 

パウロはオネシモを彼の主人フィレモンのもとに送り帰す為に手紙を書き、それをオネシモに持たせます。パウロは真心をこめ、礼を尽くし、表現に気を配って丁寧に書いています。使徒としての権威で、頼むと一言いうような事をしません。当時、奴隷は主人の持物でしたので、主人の了解の下に、オネシモを解放してほしい、つまり自由な人間として、またパウロの弟子として働かせたいと願い出ているのです。蛇足ですが結びの部分で・・・わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです・・・このマルコが、以前パウロが嫌ったマルコなのかは不明です(ありふれた名前らしいので)。

 

オネシモのその後

この手紙が保存され、公開されて新約聖書正典に入れられた事実から、フィレモンがパウロの頼みを受け入れたことを物語っていると思いますし、パウロのこのような愛あふれる依頼を断るキリスト者はいないと思います。オネシモについてのその後の記録は、コロサイ信徒への手紙の中に、手紙を届けたティキコと一緒にオネシモがコロサイに派遣されたという記述があります(コロサイ信徒への手紙4章9)。オネシモは解放され、パウロの協力者になった事が窺えます。

2世紀初頭のアンティオキア教会の監督イグナティオスの手紙の中に、エフェソスの教会指導者としてオネシモの名が出てきます。手紙の内容から、きわめて同一人物に違いないと思われています。

 

ここに登場するパウロとその仲間の中で、オネシモは確かに弱い人物です。オネシモは、役立たずの奴隷でした(11節)。彼は、主人フィレモンに損害を与え、借りを作っているようです(18節)。彼の身分は奴隷です。彼は主人フィレモン様の所有物です。主人は奴隷の生殺与奪の権を握っています。オネシモは、どこから見ても弱い存在でした。

よく気がつき、働く奴隷は貴重ですので大事にされたでしょう。しかし奴隷です。値打ちがなくなれば売り払い、放り出されても何も言えません。徹底的に弱い立場の者にパウロは愛を注ぎました。

 

何故、パウロはこうした弱い者を愛し、身内のように、わが子のように感じるほどに守り導くことが出来たのでしょうか。そのことへの答えは、Ⅰコリント811でパウロ自身が書いています。偶像に供えられた肉を食べることは許されるか、という問題に関する答えです。  「弱い兄弟のためにも、キリストが死んでくださったのです。」

複雑な問題ですがパウロは単純化します。偶像の神々など実は存在しない。すべてのものは唯一の神によって造られた。何でも食べるのは自由だ。食べることが出来る。

その自由が、弱い者にとって障害になるなら、それ・私の自由を棄てるでしょう。

これこそキリストの十字架の愛に他なりません。

 

オネシモに注がれたパウロの愛は、やがて芽生えました。フィレモンの内に。その一家の中に、地域の人たちに。大きな木となったでしょう。オネシモ自身も大きな木になったようです。その木々にはやがて花がつき、実がなりました。小鳥がやってきて実をついばみ、

種を各地に運びました。そのようにしてキリストの福音は、世界各地に芽生え、育ち、花開き、根を張るようになりました。そうして世界中に愛を再生産していったでしょう。

愛の欠乏も再生産されます。欠乏や貧困のほうが再生産されやすいでしょう。

愛と自由、悦びと希望こそ私たちに必要なものです。

世界聖餐日はこの愛を確かめ、更に世界の各地へ告知するものです。