2015年11月29日日曜日

主の来臨の希望

[聖書]イザヤ52110
[讃美歌]194,8,236、
[交読詩編]47:2~10、
[聖書日課]ヨハネ7:25~31、ローマ11:13~24、

 

本日は、教会暦のアドベント第1主日、この日から教会は新しい年度に入ります。

主キリストの御降誕を以って全てが始まる、という意味になります。降誕日の前、4回の主日を、その準備の期間とします。クリスマス、イースターには、このような準備期間がついています。救いの到来は、旧約聖書以来、長い準備期間がありました。それを考えるなら、迎えるわたし達、教会も相当の備えをして当然でしょう。信仰的な心の備えと同時に、

生活面での実際的な準備も進められます。リース、クランツ、クリッペン、アドベントカレンダー、クッキーやケーキ作り、食材集め、ローソクやモミの木の準備、プレゼントの下見。合唱の練習。クリスマスカード作り。一つ一つが丁寧に整えられます。それによって、年に一度のクリスマスの楽しさが増して行きます。印象付けられるでしょう。

 

本日、与えられた聖書は、イザヤ52110です。イザヤ書は全部で66章。

1章から39章までが第一イザヤ、預言者イザヤは、貴族アモツの息子、紀元前8世紀にエルサレムで活動しました。

続く40章から55章が第二イザヤ。通称ですが、この第二イザヤは紀元前6世紀に捕囚先のバビロンで活動した預言者です。名前は伝えられていません。よく無名の青年預言者と言われますが、そんなはずはありません。

「名もない雑草」といった時、御殿場でした。林冨美子先生にたしなめられました。「もちだせんせい、どんな雑草でも名前があるのよ。こちらが知らないだけ。」自分がその名を知らない、と言うべきでした。

そして第三部は第三イザヤ。名前が分からないため、第三イザヤと呼ばれますが、捕囚からの帰還者を迎えたエルサレムにおいて活動し、56章以下にその預言が置かれています。大まかに、こうした三部構成でイザヤ書は成り立っています。

 

新バビロニア帝国によって、南ユダ王国は破壊され、パレスチナの地から遠くバビロンへと、3千人を越す人々が拉致・連行されました。主として祭司や長老など宗教的社会的指導者層に属した人々でした。こうした人たちが連れ去られることによって、国は完全に機能を停止し、滅亡し、長く荒廃してしまうことになります。第二イザヤもそのように捕囚された民のひとりでした。名を知られぬこの預言者は、捕囚先のバビロンにあって、他の民たちと同じ苦しみを味わいつつ、神のみ言葉を取り継ぐ働きを担ったのです。

捕囚民の一覧を読むと、そこにはバビロニア帝国側の用心深い構想が見て取れます。王やその一族、貴族達、政治・経済の指導者に加えて軍事指導者、勇敢な戦士、軍事技術者・生産者がバビロンへ移されます。軍事蜂起、反乱などが起こされないようにしています。

 

「慰めよ、我が民を慰めよ」40章で始まる第2イザヤ。そのほかにも良く知られた言葉がたくさんあります。「ベルは伏し、ネボはかがみ」、「白髪となるまで、あなた方を持ち運ぶ」とあるのは46章。「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。」

これは幾つもある苦難の僕の中でも有名な53章の一部。

 

さて、52章は何を告げるのでしょうか。預言ですから、当然神の言葉。言葉は単なる音声ではありません。言葉にはそれを発するものの意志や感情、計画、精神などが込められています。或いはその背景なども聴かれねばならないこともあります。

まず、この言葉の背景を確かめましょう。

 

「奮い立て、奮い立て、力をまとえ、シオンよ。」冒頭1節の言葉です。口語訳では

「シオンよ、覚めよ、覚めよ、力を着よ。」となっています。

シオンは、イスラエルを指しています。エルサレム神殿のたつところがシオンの丘でした。それに基づいてしばしば用いられます。

覚めよ、とあるのは、捕囚のイスラエルは長い間眠った状態にいた、と理解しているのでしょう。新訳は、イスラエルは捕囚の間全く無力になっていた、と考え、そこに力を着よ、という言葉を結びつけ訳したものと理解できます。

 

異国にいながら、既に赦され、解放されている、と言われなければ判らない、そんなことがあるだろうか。考えているうちに、かつて読んだことを思い出しました。

 

19世紀の中ごろ、一艘の帆船が大西洋を横断する航海に出た。スペインの西部ポルトガルの港を後に、アメリカ南部・カリブ海目指して西南へまっしぐら。快調な航海は間もなく破れた。浪は荒れ、風は強くなり、嵐が来た。まもなく帆は持って行かれ、舵は壊れ、舟の行く先はおろか現在地を定めることもできない。自力航行できないままに、舟は何日も流された。遂に水はつき、食べるものもない状態。行き交う船もない。遠くに通り過ぎる船が見える。あそこはきっと定期航路に違いない。しかし、方向を変えることも、連絡することもできない。ようやく一艘の船と出会った。漂流しているとは見えないのだろう。通り過ぎてしまう。大声で叫んだ。

助けてくれ、水をくれー。返事は、「自分で汲めよ、足元にたくさんあるよ」。

半信半疑、バケツを下し、くみ上げてびっくり、水だ、塩水じゃないぞ、真水だ。

こんなことがあるのか、奇跡だ。海の真っ只中に水が湧いているのか、それとも、川ができたのか。

実は、この漂流船は、いつの間にか潮に流され、ブラジルの大河アマゾンの河口部に入っていたのです。

 

 アマゾン川の長さは7000km超、流域面積は豪州大陸に相当する。

河口は大きく広がっており、どこからどこまでを河口と考えるかにより大きく異なるが、その幅は東京から名古屋・大阪までの距離に匹敵する 300 km とも 500 km ともされる。一般的には、九州より僅かに広い面積を持つマラジョ島は中洲島と考えられている。水量、流出物の量が莫大なため、河口から約 320 km 沖合いまで大西洋は海水の塩分濃度や、海面の色が変化している。

 

アマゾン川の水深は極めて大きい。本流は通常でも50-60mであり、場所によっては120mほどの深さを持つ。このため、かなり上流まで大型の船が航行できる。喫水が6m程度の船ならばマナウスまでの航行が可能で、4m程度の船ならブラジルを超えペルーのイキトスにたどり着ける。なお、河口とイキトスの距離は3500kmあるが、標高差は100m程度であり、アマゾン川は非常に流れが緩やかな点も特徴である[5]

北海道から鹿児島までの直線距離は約2,000km。北海道稚内駅から鹿児島県枕崎駅まで行くとした場合の鉄道の距離を、Yahoo!の路線検索で調べれば3140.9km

 

自分たちは塩辛い海の真っ只中にいる、と信じていたのに、そこは真水の海でした。

わたし達は、神ならざる力の支配のもとに生きているようです。ところが、そのまま神の力の支配するところを生きています。

 

主の来臨は、一個の弾丸が飛んで来るのを迎えるようには考えません。むしろ、周辺一体が朝日に照らし出されてゆくように、明るくなる情景です。やって来るイメージで考えることが多い。しかし、み子は、み父と共に、既に私たちの周囲に満ちておられます。それを見出し、受け入れることが来臨です。

  讃美歌21268、(讃美歌97、待降の部)

朝日は昇りて 世を照らせり、暗きに住む人、来たり仰げ。

知恵に富みたる主 世に出でたり、この世の悟りも むなしきもの。

 

かつて、イスラエル人はエジプトへ行き、奴隷身分に落とされ、厳しい労役に苦しんだ。

また北イスラエルは、アッシリア帝国により滅亡させられ、国民は消滅しました。

そして今、ここバビロンで南ユダの民は、わたしが嗣業として与えた大地から遠く離れた偶像礼拝の土地に捕らえられています。主は言われます。

この状態は、私の名が常に、絶えず侮られていることだ。しかし、それにも拘らず、わたしはこの地に於いても絶えず神であり続けてきた。ここにいる私の民は、間違いなくわたしが神であることを知るだろう。今まで、私の姿、力を見ることができなかった者たちに、私の存在を私の力によって明らかにする。

 

神の存在と力は、点ではなく、面によって示され、知られます。

現在でも、神は存在しています。人々が、神は死んだ、と言っているその時にも、神はその周辺一帯に存在しているのです。アマゾン川河口に入った船と同じです。

私たちの周囲に神とその恵みは存在しています。目を開いて見出すことが求められています。そしてバケツを下ろすことが。

 

2015年11月22日日曜日

王の職務

[聖書]エレミヤ2316
[讃美歌]194,386,459、
[交読詩編]17:1~12、
[聖書日課]ヨハネ18:33~40、黙示録17:1~12、

 

本日は終末主日です。何処の教会でも守っているわけではないので、教会暦ではありません。メソジスト系の教会は、比較的、守るところが多いようです。

教会暦一年の最終主日を言います。カレンダーの最後の日に、この被造世界の最後、人生の最後に思いをはせる時です。何よりも、キリストの復活と再臨を考える時です。

終末論は、現世の最後についての教説。個人あるいは民族・人類の死を論じて,審判や他界(天国・浄土・地獄),死後の救済,さらに復活や転生などを問題にする。特にキリスト教では,世界の終末におけるキリストの再臨・人類の復活・最後の審判を説き,重要な教説となっている。

この終末主日の次は、教会暦の新年、待降節が始まります。

 

エレミヤはバビロン捕囚という破局の証人であるばかりか、その出来事の深い秘密についての解説者でもあります。エレミヤ書をじっくりと読むことによって、神の御心にふれることができるものと期待いたします。

 

エレミヤは、ヨシヤの治世13年に預言者として召され、エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤの時代を経て、エルサレム陥落後まで活動した預言者です。ヨシヤ王の宗教改革を支え導いた預言者です。それはイスラエルの歴史において、大きな曲り角に当たる、最も悲劇的な時代を生きた預言者です。つまり、ユダ王国がバビロン捕囚という破局に向かって進んでいた時代、まさに動乱の時代に神のことばを語ることがエレミヤに定められた召しでした。エレミヤは「涙の預言者」と言われるほどに、悲しみを体験した預言者でもあります。

 

預言者エレミヤは、新バビロニアとエジプトにはさまれたユダの民が優柔不断な王の下に戦争の不安と苦しみに悩むという国家の危機の中で、エルサレム神殿への呪術的信仰が広まることに対し、ヤハウェの契約と律法に従うしか祖国の救いはないとし、神殿と祖国の壊滅を預言します。「バビロン捕囚」を神の審判と考えたエレミヤは、新バビロニアへの空しい反抗をやめるように主張しました。敗戦の後、新バビロニアの総督ゲダリアのもとで祖国の再建をもくろみますが、ゲダリア暗殺後、新バビロニアの報復を恐れた民衆によってエジプトに連れて行かれます。ナイル川中流域、アブシンベル神殿、ヌビア遺跡で有名な場所ですが、その東側のエレファンティン島があります。ここは、古くからイスラエル人が居留地を作っていたようです。今回もそこへ逃れ、エレミヤはそこで死んだ、と推測されています。葬られた場所も知られていません。

 

イスラエル王国史、民族史に於いて、バビロン捕囚はとてつもなく巨大な爪跡を残しました。個々人にとって苛酷なものであったことは言うまでもないでしょう。それに先立つ戦闘によって命を奪われた人々、市街戦の中で生命・財産を強奪された人たち、生き残ったけれども筆舌に尽くせない傷を負った多くの人たち。そして、敗戦、捕囚へと進みます。

捕囚、敗戦の民が捕虜となり、囚人となって、戦勝国へ連れて行かれること。日本が敗戦国となった時、この知識を持つ国民は本気で、自分たちも外国へ連れて行かれ奴隷となるだろう、と心配しました。幸いこれは、実現しませんでした。

然し、イスラエルの民には現実のことでした。紀元前6世紀、裕福な人々、民のうちの指導的な人々、とりわけ戦争指導ができる人、軍人・将軍。戦争の道具、武具・兵器の生産に携わる技術者を中心に捕囚作戦が実施されました。

 

598年とされる第1回捕囚、総数はエレミヤ書では3023人とされていますが、これは家長だけを指し、実際に家族を含めればその数倍。エルサレムのすべての市民、およびつかさと全ての勇士、さらにすべての木工と鍛冶一万人を捕らえて行った。残ったものは国の民の貧しい者のみであった。(列王下24章)

 

このバビロン捕囚の悲劇はどのようにして起きたのでしょうか。当時、歴代の王が、主の目に適わなかった、と列王記、歴代志が記します。ゼデキヤについて次のようにあります。

「主の前に悪を行い、主の言葉を伝える預言者エレミヤの前に、身を低くしなかった。彼はまた、彼に神を指して誓わせたネブカデネザル王にも背いた。彼は強情で、その心をかたくなにして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。」歴代下361213

 

エホヤキン(ヨヤキン)がバビロンに連行された後、バビロンの王によってその叔父が王位に付けられてゼデキヤとなります。しかしこの王も列王紀では前の王たちと同じく「主の目の前で悪を行った。エルサレムとユダにこのような事の起こったのは主の怒りによるもで、主はついに彼らをみ前から払いすてられた。」と言っています。そのゼデキヤがバビロンの王にそむいたので、前586年に第2回バビロン捕囚が起こりました。(列王下25章)

「侍衛の長ネブザラダンは、町に残された民およびバビロン王に降服した者と残りの群衆を捕らえ移した。ただし侍衛の長はその地の貧しい者を残して、ぶどうを作る者とし、農夫とした。」

 

捕囚生活の実体、コロニーのようなものを造り緩やかな監視の下ではありますが、かなり自由な生活ができたようです。決して奴隷生活、強制労働はなかったと考えられています。

おそらく農業中心の生活でしょう。間もなく商業・金融によって定住、蓄財に成功します。

そのため、エルサレム帰還が許されても、今更、と考えたのでしょうか、国際都市バビロンに残ることを選ぶユダヤ人が多かったようです。

バビロニアは宗教寛容政策を取ったこともユダヤ人を引き止めました。これは、英国エリザベス女王時代にも採用されています。多民族を支配下に置こうとする時、どうしても必要でした。ローマ帝国しかり。皇帝礼拝さえ守れば、自分の信じる神を礼拝できるというものです。ローマ時代の迫害は例外的で、直ぐにやむものと考えられていました。

そして、ユダヤ人、神殿抜きのユダヤ教の始まりは、このときでした。

 

詩編137編、川辺の木にかけし緒琴、今しも外して神をたたえん(旧讃美歌283

半世紀に及ぼうとしている異教の地バビロンでの生活も半世紀に及ぼうとしている。

ある日、異教徒たちが、お前たちの国の歌でも聞かせろよ、と求めたのでしょう。

誰がそんな求めに応えるものか。異教の地では決して唄わない、として柳に琴を掛けてしまった。

月日がたって、間もなく郷里へ帰還できる今、救いの光を讃美しよう。

今こそ琴をおろして神をたたえよう。

 

イスラエル・ユダの王たちがその役割を正しく果たさなかった時、捕囚という悲劇が起こりました。

 

王の職務、きわめて現代的な課題です。

王は国内を統治し、外敵より国を守ることが伝統的に職務とされています。

国民生活の安全と平和を守ること、自分の利害を度外視して働く。

王はその役割を果たす故に王と認められます。国民は従順に税を納め、賦役に服する。

役割を果たさず、自己の栄耀栄華に酔いしれるなら、国民は反乱を起こし、違う王を擁立する。さもなければ、国を棄て他所へ移る。

現代の王たち、政治家、官僚達は誰のための、どのような政策を実行しているでしょうか。

 

エレミヤが23章で告げることは、同じ捕囚期の預言者エゼキエルも告げています。37

災いなるかな、羊を食い物にする羊飼い。

 エゼキエルはエレミヤとダニエルと同年代に生きた預言者です。

エゼキエル書は紀元前593565年の間、バビロン捕囚の期間に書かれたと言われている。

 エレミヤ書がエルサレムの滅亡前に語られた40年間の神のことばの記録だとすれば、エゼキエル書はユダの民のバビロン捕囚の最中に語られた神のことばの記録です。エゼキエルは捕囚となった民の中から預言者として召され、神のみこころを伝えた人です。

王が自分の役割を果たすことをせず、私利私欲に走るとどうなるでしょうか。中国や北朝

鮮のような汚職官吏が蔓延するでしょう。最近の日本でも、警官や教師を初めとする公務

員に問題が多くなりました。上層部に問題があるのではないでしょうか。

 

エレミヤの預言は、私たちが、周辺的な事柄に埋没することを許しません。

彼は真の王が来臨することを語ります。羊の牧者、羊を養う者を立てる、それはダビデの

若枝である、と言われます。今年も主の御降誕を待つ季節となりました。「その名はインマ

ヌエル」と記憶してきました。もうひとつの名が示されます。

236、「その名は『主はわれらの救い』ととなえられる。」口語訳は「正義」でした。

この世界は、正義の名のもとに多くの苦しみを経験してきたのではないでしょうか。

一つの宗教や政治の信条、世界観、価値観を標榜し、これこそ正義だとしてそれ以外のも

のを排除する。それが、現在この世界内で起こっていることです。

『主はわれらの救い』とはどういうことか考えましょう。ダビデの若枝、まことの羊飼

いは、人々の上に覇を唱えるのではなく、罪人の罪の赦しを得させるために、十字架の苦

しみを忍ばれた方です。王たる方が、僕となり、私たちの命を守ってくださいます。

 

ヨハネ黙示録は、キリストは私たちを王としてくださった、と語ります。支配者になるの

か、と驚いてもよいでしょう。本当は、全ての人に仕える僕としての王になるのです。

119日、函館から西北の方角? 海岸線をドライブしていました。この辺りの海岸が青

函連絡船洞爺丸が座礁した場所、七重浜と聞きました。アメリカ人・カナダ人宣教師が、

自分のライフジャケットを日本人に着せて、亡くなり、打ち上げられた場所。

函館湾は波穏やかで、あの日を思わせることは何もありません。

ストーン宣教師、Dリーパー主事(YMCA同盟)

御殿場教会のとき、YMCA同盟の東山荘へ良く行きました。ディーン・リーパー記念図

書室があり、所長さんから話を聞きました。たくさんの良い感化を残した方でした。

彼らは本当の意味で王となった人たちでした。

 

 

 

 

 

 

 

2015年11月15日日曜日

救いの約束

[聖書]出エジプト2110
[讃美歌]194,155,467,77、
[交読詩編]106:7~15、
[聖書日課]ヨハネ6:27~35、ヘブライ3:1~6、

 

前主日は、函館教会との交換講壇。ここには松本紳一郎牧師が立って説教されました。

50年前、母教会の小学生そして大学に入った頃を知る者としては、時の流れ、時を支配される主なる神のご計画の不思議を、感じざるを得ません。御名を賛美いたします。

小学校中級クラスのヘルパーにさせられたのは、洗礼を受けた私を育てようとの牧師の計画だったでしょう。メインの教師は、青学の教育学部の女子学生と三菱銀行銀座支店の女子行員。お二人は一つ年上、教会歴も長く、既に洗礼を受けておられました。生徒は、瑠璃ちゃん、滋雄ちゃん、泰洋君、徹君、そして紳ちゃん、この五人は高校時代も一緒でした。

やがて松本先生は深沢教会へ転会。岩瀬君は今も同じ教会で、多分役員。瑠璃ちゃんは結婚して諸国へ。先日お父様を御国へ送られました。松江の教会役員で、100才を超えておられました。

この二人が、50年ほどの時を経て、海峡を越えた北国で、講壇交換をするようになるとは、一体誰が考えたでしょうか。

 

さて、本日の聖書、出エジプト記12章の背景を、少しお話しましょう。

ナイル川のほとりでは、紀元前6000年頃人々が集落を作り、牧畜・農業の生活をしていました。麦と羊、牛・豚などの共通項から西アジアの人々との関連が推測されます。

集落が成長し大きな社会を造り、王国が形成されます。長大なナイル川、流域に10カ国。

 ナイル川は世界最長の川。全長6690km。ヴィクトリア湖から流れる白ナイルとエチオピア高原から流れる青ナイルがスーダンのハルツーム付近で合流し、砂漠地帯を北流してエジプトを流れ、下流に大三角州を作って地中海に注ぐ。古代ギリシアのヘロドトスが「エジプトはナイルのたまもの」と言っているとおり、ナイル川の定期的な氾濫によって形成された肥沃な土壌がエジプト文明を形成した。また人々はナイルの水を利用した灌漑技術を発展させ、高度な文明社会を築き、流域にいくつかの都市国家が生まれ、それらを統合するエジプト王国を出現させた。エジプト王国はたびたびメソポタミア方面まで力を伸ばし、またアッシリア帝国以来西アジアからの勢力の支配を受けることもあった。

 

聖書では、アブラハムの時代に、既に関係を持っています。

その頃から、豊な国であり、飢饉の時には、食糧供給力もある大国でした。

出1:1には「イスラエルの子ら」とあります。これは民族名ではなく、族長ヤコブ・イスラエルの12人の子ども達を指しています。カナンの地が飢饉に襲われたとき、ヨセフが宰相に成っていたエジプトへ避難したことです。

ひとつの家族として避難し、今や民族的な規模となっています。

それ以上と言っても間違いではないでしょう。エジプトを脱出するイスラエルは60万人超とされます。後世言われるような単一民族集団ではなく、いわゆる奴隷階級に属する者たちの集団と考えたほうがよさそうです。

余談ですが、エジプトの地理・歴史には上下(かみ・しも)エジプトという言葉が出てきます。これはおおよそナイル川の上流部、下流部に基づいています。二重の王冠もこの二つを示しています。

 

18には、「ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。」とあります。

イスラエルの人々がエジプトへ下った時代は、西アジア系のヒクソスがエジプトに侵入した後のヒクソス王朝時代、末期であったと考えられます。外国人が支配した時代、イスラエルは彼らと近縁の者たちだったようです。彼らは歓迎され、ナイル河口デルタ地帯東側ゴセンの地で羊を飼いながら生活することを許されました。これはイスラエルにとって伝統的な生活様式を維持できることでした。また自由民としてヤハウェ礼拝を続けることもできました。しかし、歳月と共に、事情は変わります。

 

11314節では、イスラエルはその人口が増え、自由を失い、奴隷の身分に落とされ、厳しい労役が課されています。世界の事情が変化しました。ヒクソスは勢力を失い、エジプト人の王朝が復活しています。紀元前1275年、ラムセス2世が即位します。この王の時代は、211にあるピトムとラメセスの町を建てさせられた時に当たるようです。そして王は、223に語られますが、人の常として死去します。従って、この王は出エジプトの王ではない、ことに成るはずです。ところが、ハリウッドが製作した映画、セシルBデミルの『十戒』、最近の『エクソダス 神と王』にしてもラメセスが出エジプトの王である、と描いています。聖書学者の中にもこれを支持するものが多いのかもしれません。223を承認するなら、出エジプトの出来事はラメセスではなく、その後継者、メルネプタの時に起こった、と考えるでしょう。今のところ、決定的な証拠が見付からず、判定不能のままになっています。

 

先走りました、少し話を戻します。奴隷であったイスラエルの人口問題です。

イスラエルの人口が非常な勢いで増加する、これではエジプト人を圧倒するようになってしまう。ファラオは、心配し厳しい労役を与えました。それだけでは効果が薄い、と見たのでしょう。ヘブルの助産婦に一つの命令を下します。「ヘブル人の女が出産したなら、女の子は生かして置け。男の子なら、ナイルに投げ込め」というものでした。それに対し助産婦は、したがいませんでした。「私たちが行く前にヘブルの女は生んでしまいます。大変元気です」この助産婦達の名が伝えられています。シフラ(美)とプア(光輝)。王の権力よりも神を畏れた女性として今に至るまで、尊敬されています。

 

さて、その頃、レビの家の男子が、同族の娘と結婚します。男の子が産まれました。ファラオの命令に従えば、ただちにナイル川に投げ込まれます。三ヶ月間、密かに育てられました。これ以上隠し通すことはできない、となったので、流域でよく作られる葦舟を造り、アスファルトと樹脂を塗って、子どもをその中に入れて岸辺近くに流しました。

ある人は、王命に従う異なる方法だ、と言います。投げ入れてはいないが、ナイルに浮かべたのだから。むしろそうではなく、神の御手に委ねた、と理解すべきだ、と考えます。

 

葦の籠は、葦の間を流れて行きます。姉が、その後をつけて行きます。籠は、ファラオの娘が見つけ、侍女に命じて取ってこさせます。嬰児は泣いています。どうしよう。

そこへこの子の姉が姿を現し、乳母に適任の者を連れて来ます、と申し出ました。

彼女は、その母親を連れて来ました。ファラオの娘は、「私の代わりにこの子を育てなさい。報酬を与えます」。こうして、男の子はファラオの娘の子どもとして、実の母親によって育てられました。成長後、とあるのは乳離れしたので、という意味でしょう。これ以降、ファラオの娘の子どもとして王宮で育てられます。

 

へブルの家庭の慣習は、割礼を施すこと、名前を付けることを求めていますが、それらは何も触れられていません。

 

王宮において、モーセという名が与えられました。『水の中から引き出された者』という意味を持ちます。ファラオの娘が、自分のしたことに基づいてつけました。名を付けただけではありません。王宮の教育は、王として、国を指導するためのすべてが含まれています。

実はこの王宮で育てられること、この名には、神のご計画が秘められています。

引き出された者が、やがてイスラエルをエジプトから引き出す者となる。

奴隷の身分から自由な民として、神に従い、礼拝するように指導する者となる。

私たちが生きている場には、神の恵みが豊かに然し秘められた形で、備えられています。

それに気がつき、見出し、知るには、長い時間がかかるかもしれません。40年、50年もたってようやく、神の恵みであった、と気付くかも。明日、見つけるかも。

救いの恵みは既に与えられています。讃美しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神さまのご計画の不思議さ、本日の説教の準備のように函館で、出エジプトのことを説教させられていました。《旅路のイスラエル》イザヤ書4317

  讃美歌(旧版)54よろこびの日よ、ひかりの日よ、

283河べの樹に かけし緒琴、

         259天なる主イエスの こよなき愛は、

  交読詩編139篇(11~18節)

長い時間をかけてこの説教を書きました。普段は、次の説教も並行して準備しますが、このときは全く頭にありませんでした。

 

 

イスラエルは、40年間荒野をさすらった人々、と言われます。彼らは40年間自分達の紙を礼拝できる約束の地を求めて旅をしました。彼らは、目的地のないさすらい人ではありません。彼らは旅人です。

その祖先、族長アブラハムは行く先も知らず、カルデアのウルを出立、まことの神礼拝の地を求めて旅を続けました。目的の地が何処であるかは知りません。でも旅人。

その子孫イスラエルは、エジプトで奴隷となっていましたが、神の導きにより奴隷の頚木を振り払い、約

束の地カナン目指して荒野へ旅立ちます。

 

カナンの地へ入るまでの40年間の旅路、唯一神礼拝に習熟する期間。実は、定住後もまた旅を続けたのではないか、と考えています。

イスラエルは、周囲の異教徒と戦い、時に敗れ、圧迫を受けました。そうした折、ヤハウェ礼拝から逸脱することもありました。彼らの唯一神礼拝は、絶えず挑戦を受け、守るための困難な戦いを繰り返したのです。戦いの旅の連続でした。

 

イスラエル民族は、幾度かの大きな旅を経験しながら成長し、神の民となりました。

 

 

第一の旅は、楽園追放に続く旅、族長アブラハム・イサク・ヤコブへと続けられ約束された地で唯一の神を礼拝するようになります。

第二の旅は、ヨセフの時代、エジプトへの逃避行に始まり、モーセの時に神の憐れみによる出エジプトの旅となります。これは第一の出エジプトと呼ばれます。

エジプト支配からの解放

第三の旅は、バビロン捕囚の旅、そして帰還の旅となります。これは第二の出エジプト。

  バビロン支配からの解放

第四の旅は、全く新しい世界への歩み、宇宙への旅かもしれません。

現代のわたし達、新しいイスラエルに必要なものは、第三の出エジプトです。

  罪の支配からの解放、