[聖書]ヨハネ8:21~36、
[讃美歌]280,6,412、[交読詩編]125:1~5、
[聖書日課]ヨブ22:11~28,Ⅱヨハネ1~13、
教えるキリスト、次週はいやすキリスト
主イエス・キリスト生前の姿を憶える期間、という主張がなされていたと記憶。
創世記・出エジプト記を欠いているので、教会暦の中に確保する。
ヨハネ8章は、わたし達が誰の弟子であるかに関心を寄せる。
シモンとアンデレ、ヨハネとヤコブ、彼らはガリラヤの漁師。父親がその師匠。
イエスは、ナザレの大工の息子。小さい頃から父親に仕込まれた腕前があり、父の死後、家族と家計を支えることができた。カナンの地、その建築材は石が多く、木材はアカシヤの木、樫、レバノン杉等高級品が多い。家具なども製造、木材に関する何でも屋。
パウロは天幕作り。織物を材料とする製品。皮革を素材とするものもあった。家庭用、軍隊の宿営用、放牧など牧畜用、そして宗教儀礼のために。
イスラエルの律法は、子どもの手に技術を仕込むよう求める。
エデンの園では採集生活。限界がある。 産めよ増えよ地に満てよ
人口論、「食糧は算術級数的に増える。人口は幾何級数的に増大する。」
人口が増大するには、第一に、食糧生産の技術が革命的に進歩することが必要。地理上の大発見、新しい食物がもたらされた。
第二に、死亡率の低下。歴史的には食料が不足すると病気が流行した。大規模な戦争が起こった。
人口増加は、新大陸発見と産業革命を契機として起こった。ジャガイモやトマトなど、旧
大陸の食生活を一新するような変化をもたらした。
戦争と病気は、人口減少を引き起こした。地域限定的な戦争であれば人口減少も地域的で
あった。今や地域限定は終わりを告げた、と考えられます。地球規模で多くの事象が生ま
れ、世界同時の悲惨事を経験しています。グローバル世界、私たちの世界が広がってゆく、
何と素晴らしいことか、と感動しているだけではいけません。
テロ攻撃が地球規模で拡大してゆく時、同時多発する時、感動できません。
最近何かの記事にあった言葉、直接宗教が契機となった抗争、テロなどはありません。
直接、という語で現実から離れてしまいます。
宗教が原因になっています。しかも近縁同士が、厳しく攻撃しています。
北アイルランド、イラン・イラク戦争、イスラム過激派。
現代の十字軍という言葉すら出てきました。
人口増加に応えることを可能とする考え方を、古代人の聖書が示している。
必要な技術の継承、互いに他を必要とする、補い合う。
弟子は師匠に学びその技を習得する。弟子は、師を超えることはできない。
他の相弟子、更に師匠をも超えようとするなら孤立を恐れず、自立、独立する。
イスラエルの掟は、神に従うことを求めます。
同様に父・母を敬い、これに従うことを教えます。
その手に技術がなければ働くことができません。飢えに困窮するようになるでしょう。
犯罪に走るしかありません。神と人、両親すら呪うでしょう。
手に業をつけさせないことは不信の輩を生み出すこと。
技術があれば平和に暮らすことができる。神を讃美するだろう。
自立独立することができ、神との関係も新たに構築することができる。
イスラエルの者たちは、子や孫がいて、自分の死後、墓を守り、主を賛美してくれること
を最大の祝福、と考えてきました。ダビデ王家の系譜を読むと判ります。王上15:20、
王上15:31「レハベアムはその先祖と共に眠って先祖と共にダビデの町に葬られた。」
主なる神ヤハウェのみ言葉の内に留まることが、何よりも大切なことでした。
世の中のものは相対的であり、変化を繰り返します。価値観も変わります。
世のものはいつかは朽ちるものです。それで人々は世の中には絶対的なものはないと言います。
しかし、そうした世にあっても神の御言葉は永遠に変わりません。そのゆえに真理である、と認められています。第一ペテロ1:24,25は次のように語ります。
「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」またヘブル13:8は次のように言っています。
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」
主イエスとその御言葉は、永遠に変わることのない絶対的な真理です。
東京都北区に聖学院という名の学校があります。幼稚園、小学校、中学、高校(各男女別)。
埼玉県上尾市に幼稚園と大学、大学院があります。
アメリカ、アトランタ市には、国際小学校があります。
アメリカの宣教団体、ディサイプルスが外国伝道に乗り出した結実です。
教会としては、滝野川、中野桃園、秋田・本荘、大阪・玉出。
主要な伝道地、関東、京阪、東海道、山陽は先発諸団体が活動しています。
福祉事業では、病院、乳児院など。
ディサイプルスは、無信条、新約主義、会衆主義政治、全浸礼、主日ごとの聖餐。
明確な主張をもって、同意する者たちの集団を形成。やがて教会の結成に進みました。
キリストは、2000年昔、パレスティナで、弟子たちに教えられました。
何を教えたのでしょうか。真理・アレセーヤ、そして真理を学び得た者は、自由を獲得し
ます。キリスト者の自由、マルティン・ルターの著書の題となりました。
「罪からの自由、仕えることへの自由」
真理は自由を得させる。 弟子であることは、自由を得ることです。
恐れからの自由、孤独になり死んでゆく恐れ。イエスは共にいてくださる。
自我からの自由、自分一身の成功を夢見ている。他の困っている人のために何かできる。
他の人々からの自由、他人の思惑に左右される人生、仕来たりや習わし。
罪からの自由、罪を激しく憎むようになります。血を流すほどに抵抗します。
教えるキリスト、救い主は、教えの内容に関し、率先垂範。
弟子たちが道を迷わないように見守っていてくださいます。